第197話 一閃の色
これは、悪夢だ。
だが、夢とは思えないくらい。自分の胸が痛かった。
今、自分の脇腹を貫いている。この大きな槍の傷よりも、胸が痛かった。
「ガルシ……ア……さん」
「ここで死ね。イマイシキ ショウ」
何かの間違いだ。
こんな出会い方じゃなかったはずなんだ。
自分に、冒険者としての生き方を教えてくれて。この世界に来て右も左もわからない自分に、手を引いてくれたこと。
そんな彼が、行方不明で。もしかしたら死んでるかもしれないと思っていて。
そんな彼が、自分を殺そうとしている。
何かの間違いだ。
「あ……ああぁああああああああっっっっっっ!」
左手でつかんだ槍を自分の体から引き抜いてゆく。体から一気に血が溢れ、腕から力が抜ける。頭は割れるほどに痛い。
だが、それ以上に胸が痛い。
べっとり自分の血で濡れた槍が脇腹から抜ける。息は自然と早く、そして思考は逃げることを優先しろと言っている。気がつけば両足を動かし、目の前の亡霊を睨みつけ、必死にメルトの手を引きながら街中を走っていた。
路地を走り抜け、道に転がる積荷を手で払いのけながら息も絶え絶えに走り続ける。手を引かれているメルトは必死に何かを叫んでいたが、そんな声は耳に届かないくらい大音量で耳鳴りが響いている。
自分は、何から逃げているのか。
王都か、
彼からか、
過去からか、
いや、自分だ。
あの時、何もできなかった自分から逃げている。
無力な自分から逃げている。
そして、そんな自分を殺そうとやって来た過去から逃げている。
「ショウさんっ!」
「っ!」
突如、左ほほに鋭い痛みが走る。それと同時に、彼女の姿を確認するまでに冷静さを取り戻す。自分の脇腹には鋭い痛みが走り、いまだに血が止まることなく流れ出ているのがわかる。そして、メルトの左手の甲に走った傷から血が滲んでいる。
「落ち着いてください。深く息をして」
「ふーっ……ふーっ……ふーっ……フゥ……」
三度深く呼吸をすると、頭の中がいい具合にスッキリして来た。改めて自分の置かれている状況を整理する。
まず、確実なことはパレットソードを奪い返したということ。この目標さえクリアされれば、あとは魔石を空にあげて救出を待つだけである。
悪いことは、現在進行形で自分が追われているということと、自分の精神状態が不安定すぎるということだ。
「……ごめんなさい」
「謝るよりもまずは、逃げることが先です。魔石を打ち上げましょう」
「いや……この場所で魔石を打ち上げたら、確実に救助に来た彼女たちも危険でしょう。まずは、できる限り街から僕達が離れないと……」
そういって、脇腹を抑えて歩き出すが。足に力が入らない、目の前が暗くなったり、白くなったりと意識がどこかに飛びかけているのを必死に抑える。メルトがすかさず肩を貸すが、それでも歩くのが精一杯だ。
この包囲陣をくぐり抜けるにはあまりにも深手を負い過ぎた。
「僕を置いていけ、って言ったら……」
「殴ってでも連れて来ますから、安心してください」
「ですよね……」
そう言って、彼女は自分を支えたまま路地を歩く。いつの間にか雨は止んでいて、必死に自分のことを運ぶ濡れた彼女の顔がとても綺麗だと思った。
そういえば、王都でも似たようなことがあった。あの時も、自分は彼女に支えられて逃げてたんだった。
「ふっ……」
「何笑ってるんですか、ショウさん。本当に張っ倒しますよ?」
「それは勘弁……いや、こんなこと。前にもあったような気がして....」
「……もう、二度と嫌です」
本来なら、メルトと二人っきりでお忍びのデートだったというのに。どういう因果だかわからない。
それにだ。
「やっぱり、本物だよね……あの人」
「何年一緒にいたと思ってるんですか....? あの顔、忘れもしないって……っ」
メルトの顔が苦しそうに歪む。彼女と自分は、あのロード=ガルシアという男を知っている。故に理解出来ないのだ。
どうして、自分を刺したのか。
どうして、パレットソードを狙っているのか。
どうして、王都側に付いているのか。
様々な疑問が浮かんでは頭の中で消えてゆく。とにかく、いまは逃げることが先決だ。彼が本当にガルシアなのかどうかもわからないのだ。
もしかしたら、王都の人間に操られているのかもしれない。何か弱みでも握られて、そうだ。
そうに違いない。
「こふッ……!」
「っ! しっかりしてくださいっ!」
突如、口から血が吹き出る。体に力が入らない、自然と彼女の肩から手が離れる。すでに血をどれだけ流しただろうか、このままでは本当に憲兵どもに見つかるのも時間の問題だ。
その前に、なんとか。
なんとか、彼女だけでも逃がしたいと思っていた。けれども口にしようとするたびに、喉の奥からこみ上げてきた血が喉を塞いでうまく喋れない。すでに痛みを通り越してだんだん眠くなってきた。瞼の先に重りがついてるのではないかと思えるような睡魔が様々な感覚を麻痺させていた。
ふと、体が浮遊感で包まれる。霞む視界でなんとか頭を持ち上げると、ぼんやりと映った景色には見慣れた猫耳が写っている。
「……メル」
「デート、まだしてませんよね?」
「……え?」
「まだ、ちゃんとお付き合いもしてないじゃないですか」
「……」
「キスだってしたりないし。それに、子供は何人欲しいですか?」
「……」
「私は3人欲しいです。リーフェ先輩の家をお借りして、そこに住んで。あの広い草原でショウさんと子供達が走り回るのを見ながらお昼ご飯の準備がしたいです」
「……」
「……こんな、こんな……こんなことを考えていた私は……バカな女ですか?」
微かに震えるメルトの背中。だが、それでも自分を抱えたまま、メルトは前へと進んで行く。冷たい雨が徐々に体を冷やして行く、痛みなどとうに忘れ、体は自然とそのまま終息して行く自分の命に身を任せていた。
だが、それでも。彼女の背中はとても暖かかった。
「私は……ショウさんとしたいことがたくさんあります。ショウさんは……ないんですか? ここで死んでもいいんですか?」
「....」
「生きることを……っ、諦めないでくださいっ! 未来を諦めないでくださいっ!」
その表情は、メルトの頭しか見えていないため見ることはできない。だが、彼女を泣かしてしまったのはこれで何度目だろうか。彼女を泣かさないためにここまで頑張ったのに。全くもって、自分はつくづく罪深い。
本当に、罪深い。
だからこそ、
だからこそだ。
未来を諦める権利なぞ、どこにもないのは。知っていただろう?
「ショウさん……?」
「……っあ……あぁっ! はっ……」
命からがら取り戻したパレットソードを寒さで震える手で腰の鞘に収める。そして、いつぞやのように。求めるままに、その持ち手を左に捻る。だが、鞘に嵌め込まれた精霊石は反応することはない。
だが、それでもなんども呼びかける。力を貸してくれた精霊に語りかける、なんども諦めかけた時に、そして脅威に立ち向かうための力を与えてくれた精霊に語りかける。
今一度だけ、もう一度だけ。
どうか、力を貸してくれ。と
次の瞬間、周囲の雨がピタリと静止する。
まるで空中に貼られたかのようにピタリと静止した。
息を吹き返す音がした。パレットソードを引き抜くのと同時にその白い剣身に雨粒が集まって行く。それは徐々に槍で貫かれた部分に集まり、傷を癒して行く。体は熱を取り戻し、霞んだ視界は徐々にその色彩を取り戻して行く。
そして、再び雨が降り出した。
「……メルトさん」
「っ……はい」
「子供は……5人欲しいです」
「それじゃ……頑張らないといけませんね……っ」
雨に濡れた彼女の顔は、微笑みながら素敵に涙を流していた。
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槍で貫かれた傷は完治していて、失ったはずの血もしっかりと元に戻っているようだった。だが、右腕の不全までは完治することができなかったのかどう頑張って動かしても指先ひとつ動くことがなかった。だが、怪我が治ったのは大きい、これで心置きなく脱出のポイントまで移動することができる。
「まだたくさんいるな……」
「はい……」
路地裏から顔を出すと、武装した人間が必死に何かを見つけようと走り回っている姿がちらほら見える。その中に、カルシアと思しき人物は見えない。
「どうしましょう……」
「とりあえず、移動を続けたほうがいいです。このままじゃ見つかるのも時間の問題でしょう」
顔を引っ込め、これからの行動を考える。夜明けまでは残りわずか、脱出を試みたとしても周囲に敵がいるのであれば街から逃げる最中に止められるのがオチだろう。
目的のパレットソードを手に入れたのであとは移動するのみである。本来ならば、ローブを使って身を隠しながら移動するはずなのだが、なぜか体から魔力を流すことができず、まるで体から魔力が抜け落ちたかのようにローブの魔術を使うことができなくなっていたのだ。
「ローブは僕以外使えませんし、それにもう一つ。路地裏は、ここが最後っぽいです」
目の前に立ち並ぶ二階建てほどの高さの建物。それらはずらりと目の前に建っており、人が通れそうな路地は無いように見える。つまり、何を意味をするかといえば、ここから先は大通りを進んでいかなくてはならないということである。
ふと、彼女と結ばれた左手がカタカタと震えているのがわかる。軽く握りしめ後ろを振り向き、メルトの顔を覗き込んだ。
「怖い?」
「えぇ……もちろん。でも」
ショウさんとなら。大丈夫です。
その一言で、次に取る行動は決まった。
身体強化術は使えない。故に、魔力を帯びていない普通の走りである。ただ、彼女の手を握りしめ路地へと飛び出た。
濡れた地面が、足を踏み入れるたびに石畳から弾けた水滴が月の光に輝いて宙を舞う。そんなたった二人の逃避行をひとつの光が明るく照らしていた。
どこからか遠くから笛の音が聞こえる。振り返れば笛を片手に構えた憲兵がこちらを見ながら追いかけくるのが見える。睨め付けるように正面を振り返れば湾曲した道の向こう側からぞろぞろと手に槍を持った憲兵たちの姿がのぞき見える。
「メルトさん、腰の鞘を持ってください」
「え、どっちを?」
「バンさんにもらった刀の方を」
メルトは手を離し、腰に備え付けてあるパレットソードではないもう片方の刀の鞘を握る。正面から見える敵の数は8人、全員が鎧姿の重装備だ。こっちは右手が使えず、魔力を回すこともできない。後ろで走りながら付いてきているメルトは服装こそ憲兵の着ているものと同じものだが、戦闘能力は期待できない。
そもそも、戦わせるつもりなど毛頭もない。
徐々に近づいてくる憲兵隊は手に槍を構えそのまま真っ正面に突っ込んでくる。逃げる場所はない、つまりは正面真っ向からの勝負。すでに背後からも憲兵隊の手は迫っている。
「そのまま鞘を強く握っていてくださいよ」
「は、はいっ」
ガチリと鞘を強く握る音が後ろから聞こえ、左手を刀の持ち手に添える。正面の憲兵隊は距離にして30メートル先。すでにこちらは準備はできている。
正面から向かってくる憲兵隊は矛先をこちらに構え、どうやら生かして返すつもりはないらしい。
「いいですか、3カウントで体をしゃがめてくださいね」
「はいっ」
3
背後から近づいてきた憲兵隊も同様、こちらに矛先を突きつけて完全に追い込まれた。
2
完全に、囲まれる。360度、追い詰められた獲物のように周囲で鎧を着込んだ憲兵たちが近づきながら槍の刃先を向けてジリジリと躙り寄る。
1
手をかけた、刀の柄に力を込めた。
『今道四季流 剣技抜刀<夏> 円月斬<地>』
鞘から滑り出した刀身は水平に一直線。自分を中心とした半径二尺四寸内にある槍の先端のその全てを刈り取る。月に照らされ映し出されたその刀身は、明るく鋼色に輝き。その一閃は見るもの全てを魅了する一振りだった。




