第195話 寄り添う色
一瞬、何が起こったかわからなかった。
だが、自分の顔を濡らす生暖かい血の感触と鉄の匂い。
目の前で崩れ落ちる友人の姿。
そのどれもが本物だ。
「ハンっ.....!」
『動くな、動けばこの男を殺す』
思わずパレットソードを掴み上げ、正面に構えるが相手の方が一歩早い。くぐもった声で地面に倒れたハンクの肩を足で踏みつけ、彼の腹から引き抜いた槍の先端をハンクの頭に向けている。
動けば彼は殺される。こちらにできることはない。
「……要求は?」
『その剣をこちらに渡せ、そうすればこの男に危害は加えない』
『その剣』というのは明らかにパレットソードのことだろう。ということは、この男は王都の回し者だ。ハンクが外に出た時に見つかったということか。
だが、彼に非があるはずもない。ここまでの道中、一番周りに警戒していたのは彼だった。行きと帰りでは別のルートを選び、そして人目に触れないように人の集まる街を避けて通るルートを選んでいた。
『早く返答しろ』
「わかったっ、そらっ!」
鞘からパレットソードを引き抜き、それを男の前に放る。軽い金属音が部屋の中に反響した。男は迷わず、その剣に右手を伸ばし拾い上げようとする。その時初めて男の全貌が明らかになった。
黒いローブに身を包み、見えた顔は鉄製の仮面で覆われている。声がくぐもって聞こえたのはそのせいだろう。そして、パレットソードを取ろうと伸ばした腕は黒い革のグローブで覆われている。
『確かに、受け取った』
「っ……」
革手袋で覆われているせいなのか、パレットソードの魔力吸収は働かなかったらしい。本来ならば鞘から出た状態のパレットソードに無色以外の人間が触れると魔力を吸収し始め、立っていられなくなるほどに魔力が吸われるのだが彼の場合その吸収が起こらなかった。付け焼き刃な策だったが、うまくはいかなかった。
男はそのままパレットソードを持って、その場から離れてゆく。本気で危害を加えるわけではないらしい。そして、完全に姿が見えなくなった。
「ハンクっ!」
「……」
とっさに彼の元に駆け寄る。彼の周りに血だまりができており、このままでは出血多量でショック死しかねない。
「メルトさんっ! 治療をっ!」
「は、はいっ!」
このメンツの中で唯一治療を行えるのは、メルトだけだ。メルトが水の準備をする間、ハンクに対して呼びかけを始める。心臓は動いてるし、息も絶え絶えだが、まだなんとかなるかもしれない。
しかし、次に行動したのはバンだった。
「馬鹿野郎っ! 甘いんだよテメェはっ!」
すぐさま、先ほどハンクが倒れていた入り口のそばに立ち、手に持った棒の先に針金のついたもので入り口に上にかかっていた細い金具にそれを引っ掛けると一気に引き落とす。
現れたのは鉄製の扉。そして、もう一枚横にある取っ手を引きもう一間の扉で二重に入り口を塞いだ。
「あの野郎がそのまま帰るわけねぇだろっ! ぞろぞろ仲間引き連れて皆殺しにされるぞっ!」
「ということは……っ」
「とっととココからずらかるぞっ!」
次の瞬間、鉄製の扉の向こう側が大きく軋む音が聞こえる。その音にメルトが驚き、手に持っていた水の入った盆を落としてしまう。
「こいつの傷口に布当てておけ。これ以上血を流したら事だぞっ」
そう言うと、バンはこちらに彼が持っていた布を手渡し工房の奥の方へと走って向かってゆく。
「ジジィの言う通りにした方がいい。今は治療よりも、逃げることが先よ」
いつの間にかジジューも起き上がって逃走の準備を始めている。戦闘服に着替え、最低限の荷物を持ってバンの跡を追う。
「メルトさん、行きましょう」
「え、でも」
「彼らの言う通りにした方がいい」
ハンクを抱え上げ、メルトに傷口を抑えるように指示をする。そして、腰にパレットソードのベルトを巻き、そこにバンからもらった刀も差し込む。背後から鉄のへしゃげる音が響くのと同時に、足元に扉を支えていたパーツが転がってくる。
時間は、ない。
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『闇を光で照らすんだ』
ある偉大なミュージシャンはそう言って、二日前に銃弾で倒れたにも関わらず平和のために歌を歌った。
ふと、そんな話を思い出した。
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「おいっ! そっちを押せっ」
「はいっ」
工房の中、まだ炎が炊かれた状態でかなり暑い。だが、その中で作業場におかれた剣を分解しておいておく台をずらしている。
「引けっ!」
「っ!」
左手に魔力を込めて思いっきり引くと、地面にさらに地下へと続くはしごのような物が見える。
「下水に降りるから、臭いのは我慢しろ」
先に降りていったのはバンだった。手にランタンのようなものを持ち地下へと降りてゆく。それに続いてジジュー、そしてメルトと降りていった。自分はハンクを抱えて、最後に降りてゆく。
「最後。扉閉めるの忘れるなっ!」
「はいっ」
台についた取っ手を左手で掴み、梯子に齧り付きながら地上へと続く扉を閉めた。完全に閉じたのを確認すると暗闇の中足元に注意をして地下へと続くハシゴを降りてゆく。
降りてゆくのと同時に、鼻が曲がりそうな匂いがしてきた。いろいろな生活排水がここを流れているのがわかる。
「よし、ココが終着点だ」
ハシゴを降り終え、底の方でバンが火をつけた松明を揺らしながら場所を知らせる。ふと、左側を見るとそこには大きな水の流れがあり、いろんなものが浮いたり流れたりと衛生環境としては最悪な状態だ。
「おい。魔術は使えるか?」
「無理、あと三日は絶対使えない」
「わかった。とりあえずこれを持っておけ」
そういってジジューにバンが手渡したのは、この下水道の壁に設置されていた箱の中身にあった赤の魔石だった。それを五、六個彼女に手渡す。
「そんで、その小僧だが。メルトちゃんよ、今ココで穴だけでも塞いでやってくれないか?」
「はいっ」
メルトがとっさに反応して、バンは彼女に青の魔石とブリキの盆を渡す。彼女に抱えていたハンクを手渡し、地面に下ろすと魔石を使って水を生成したメルトはすぐさま治療を開始する。
「おい、ショウ」
「はい」
「テメェはなんとしてでもあの野郎から剣を取り戻せ」
「え、あ。はい?」
まさか彼の口からこんな言葉が出るとは思わなかった。だが、バンが自分の懐から取り出したのは、一枚の紙だ。
それは松明の光でゆらゆらと照らされた、彼の模写したパレットソードの設計図である。だが、そこにはただ模写しただけではない様々な図形と記号が描かれていて、おそらくバンが手を加えたのだろう。
「これを作った人間は悪魔だか外道だかわからねぇ。けど、使用者の魔力を一気に爆発的に放出する術式が柄に彫り込まれていやがるんだよ」
「……それは」
それは、聖典にも描かれていない勇者の末路だ。パレットソードを使った国もろとも滅ぼす自爆行為。これにより、無色の国は崩壊。偽りの歴史が刻まれたと言うわけだ。
ということは。
「あんな野郎の手に渡ってみろ。どんな使い方をされるかわからねぇ。その前になんとしてでもあの剣を取り戻さねぇと」
バンの表情からは苦悶の感情が読み取れる。それは彼がずっと追い求めてきた『人を殺す武器ではない。人を守るための武器を作る』という理念から遠くかけ離れた使われかただからだ。
自分としても、今まで人を守ってきた剣をそのような使われ方をするわけにはいかない。それに、あれは自分にとって命をつなぎとめるための生命線だ。
「それにだ。丹精込めて治した剣をみすみす奪われてたまっかよ」
「同感です」
互いの利害が一致した時だ。メルトの呼び声が下水道内で響く、治療を行なっていたハンクが目を覚ましたらしい。とっさに駆け寄り、しゃがみこみ彼の顔を覗き込むとうっすらと目を覚ました彼の顔が見えた。
「……よう、元気か?」
「あぁ……脇腹が痛い」
「だろうな、さっきまで穴空いてたんだから」
「ははっ……脇腹に穴あけられた行商人なんて……そうそういないだろ?」
「そうだな……レアな体験をしたな」
「絶対あの野郎を叩きのめしてこい……」
「……わかった」
そう言った後に、再び彼は気絶してしまった。
さて。
これからのことを考えるとしよう。ここが見つかるのも時間の問題、ならば移動をしながら話をせねばならない。容態の安定したハンクを抱え上げ、下水道の中を移動する。
それにしても、いよいよ逃走劇ぽくなってきたような気がする。
「この町は俺の庭だ、逃走経路もしっかりと把握してある。問題は足だな」
「私がハンクとメルトを連れて馬車を用意するわ。それで、あんたはどうするの?」
「俺は、もう一度あいつと立ち会う。そしてパレットソードを奪い返す」
「左手一本で? バカじゃないの。あいつ、相当なやり手よ」
確かに、あの一瞬の出来事であの男は熟練された槍使いだということがわかる。おそらく王都の先鋭、もしくは騎士団。両手を使ってでも勝てる相手かどうかも怪しい。しかし、自分が左手を使えないことと獲物は刀一振りという事実は変えられない。
どうあがいても、現状ではそれが限界だ。
「でしたら……ショウさんと一緒に私も行きますっ!」
「メルト……? ダメに決まってるでしょっ!」
「私も冒険者の訓練で一通りの戦闘はできますっ! それに……ショウさんが怪我をしたときは私しか治療ができませんっ!」
「けれど....っ!」
メルトの提案にジジューが反応する。確かに得策とは言い難い、それにメルトをかばって戦闘を行えるほど相手は優しくない。それに自分も生きて帰ってこれるかわからないのだ。
だが、あの剣だけは取り返さないと。
「ダメよっ、あなたは私と一緒にきなさ……っ」
「そんなんでは……私は、私は。家を捨ててショウさんと一緒に来た意味がありませんっ!!」
「っ!」
突如、メルトの叫びが下水道に響き渡った。
初めてだった。彼女のこんな声を聞くのは、
そして初めて知った、彼女の本音を。
そうか……彼女は……
「ショウさんに死んでほしくないっ! 私は……私は……っ! そのためだったら……っ!」
歩みを止め、涙に膝を追った彼女の肩にバンが優しく、その大きな手をのせる。彼女が顔を上げると、そこには一本の脇差しほどの長さの剣が彼の手に握られていた。
「こいつはあの小僧に渡した剣と同じ鉄、同じ作り方で仕上げた試作品みたいなもんだ。無いよりはマシだろうよ、持ってけ」
「ちょっ! ジジィっ!」
今にも掴みかかろうとジジューがものすごい剣幕でバンの胸ぐらを掴み上げる。だが一瞬、剣を受け取ったメルトの表情を見た彼女の顔は一瞬だけ悲しそうな影を見せたかと思うと、すぐさま目を細めメルトと向かい合う。
「メルト、いい? 絶対に死にそうになったら一番に逃げなさい。生きてそこのバカと一緒に帰って来なさい。わかった?」
「わかってます。絶対に、ショウさんと生きて帰って来ます」
「……わかったわ。ショウっ! その両腕切り落としてでもこの子を連れて帰って来なさいっ!」
ジジューの表情はすでにどこか泣き出しそうだった。それもそのはずだ、彼女にとっては妹のような存在だったのだろう。
そして、メルトの表情を見て確信した。
彼女もまた、一緒に戦いたかったのだろう。決して寄り添うだけでなく、同じ歩幅で、同じように肩を並べて共に脅威に立ち向かいたかったのだろう。
そんな表情をしていた。
「無論。そのつもりです」
パレットソード、奪還。
開始




