第181話 トラウマの色
遺跡の地下はひんやりと、肌寒い。肌にピリピリと突き刺さるこの感覚は、恐怖からか、それとも単なる気温のせいか。中に入り込むと、まるで自分たちが入り込むのを待っていたかのように、背後の扉が閉ざされ入り口が天井に向かって閉じてゆくのがわかった。
どちらにせよ、喉を通る唾の感覚は心地のいいものではない。
「それにしても、どうして読めたの?」
「……単純に読めただけだ。あとは、ジジューの見様見真似で」
「あんな古代魔術文字が読めるだなんて、あんた何年生きてるのよ」
そう言いながら、少しふてくされたかの様に足早に地下へと進んでゆくジジュー。彼女の後をランプで照らしながら後を追うが、どうも地面が滑らかではなくボコボコとした感触のため、たまにその段差に足を取られてしまう。
次の瞬間。
軽い悲鳴とともに、ジジューが視界から消えた。
「……え?」
漆黒の闇に、一人。
無音が耳を突き刺す。
そうだ、
そうだ、
そうだ、
あの時と、同じだ。
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「ハンクさんは、どうやってショウさんと知り合われたんですか?」
「ん? あぁ、旅の途中で盗賊に襲われたところをあいつに助けてもらったのさ。いやぁ、あん時はすごかったよ。来る敵来る敵をバッサバッサと倒していって、見ているこっちが清々しかったわ」
灯が一つ灯るギルドの宿舎の部屋では、画用紙にペンを走らせている音が響いていた。ベットに並んでいるのは色鮮やかな民族衣装や、ドレスの数々。そしてそれらを順番に着替えながら、モデルの様に立つメルト=クラーク。そして、その姿を一分も逃さない目つきで画用紙に書きなぐるハンクの姿がそこにあった。
現在、メルトの着ている衣装はフォディーナの民族衣装だ。全体的に、動きやすい様にゆったりとしたスタイルで袖口は紐で締められている、布は黒を基調として体のラインに沿って金色の刺繍が施されている。
「いやぁ、悪いね。なかなか眠れないもんだから」
「いえ。その……私も一緒でしたから……」
こうして、モデルの役をメルトが請け負っているのも、眠れず廊下でぼんやりしていたのを同じ様に眠れずにいたハンクが声をかけて、互いに暇なら手伝って欲しいことがあるという話で、この様なことになっているのだ。ハンクは馬車から大量の服を持ち出し、メルトがそれを着てハンクがそれを絵にするというものだ。
「メルトさんだっけ? ショウもだけど、二人ともスタイルいいから筆が乗るんだよなぁ」
「この絵って、どうするんですか?」
「ん? まぁ、買いに来てくれたお客さんの宣伝目的で使うのが多いかな。結構うまいって評判なんだぜ?」
そういって、メルトに書きかけの絵を見せるが、確かに長い間描いているだけのことはあってかなりうまく描けている。ただ単にモデルを書き取るだけではなく、服の特徴とモデルになっている人物を相互に引き立てる様な書き方をしており、これならば服を買いに来た客も着てみたいと思うだろう。
「いやぁ、それにしてもこんな可愛い彼女さんいるなんてなぁ。罪な野郎だぜ」
「あ、その……ありがとうございます……」
真っ赤に頬をそっと抑えるメルト、その姿を見て一心不乱に画用紙と向き合うハンク。心なしか翔と一緒に作業を行なっていた時よりも生き生きとしている。
そして、数分後。完成させた絵を脇においたハンクは別の画用紙をセットしてメルトに次の衣装を渡す。一旦、部屋から出たメルトは衣装を持って隣のメルトの部屋へと戻る。
他人の女性だ。もし彼女が独り身だったら、手を出していたかもしれないが命の恩人の彼女に手を出すほどの勇気がある男ではない。
「はぁ〜……俺も下に降りて、遊女と遊ぼうかねぇ……」
そんなことをぼやいていた、次の瞬間。
隣の部屋で大きな音が響いた。
「え? メルトさん?」
画用紙をセットし終えて、ベットから立ち上がったハンク。突如隣から聞こえた音に違和感を覚えながら、宿直の廊下に出てメルトの部屋をノックする。
「メルトさん、どうかしましたか?」
『....』
扉の向こう側は無言だ。
明らかに、様子がおかしい。
「メルトさんっ! もしもしっ!」
『....』
扉をノックし、声をかけるも何も反応がない。だが、気の扉の隙間から冷たい風が流れ込んで来るのがわかった。
着替えるのに、部屋の窓を開けるやつを自分は知らない。
「くそっ!」
とっさにハンクは身体強化術で扉を蹴破る。大きな音を立てて扉は部屋の中に吹っ飛び、ハンクは部屋の中へと入り込んでゆく。
部屋の中には、メルトに渡した衣装のみがベットの上に置いてあった。肝心のメルトはどこにもいない
「おいおい……嘘だろ」
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動悸が一気に激しくなる。
足が震え、手元からランプがこぼれ落ち割れたガラスの中から地面に溢れた割光石が散らばる。
どこからともなく、水の滴る音が聞こえて来た。
これは、幻聴か?
あの時、自分が置き去りになった洞窟の中で見た光景。あの時も、真っ暗で、一人で、いや。
一人ではなかった。
あの時、自分を出口へと導いたものは誰なのだろう。誰でもいいとは思っている、だがあの慈愛に満ちた表情。そして、そのままどこかへと消えてしまった彼女は、未だ自分の知ることがない。
そう、自分は未だに知らない……
知らない……
「ショウっ!」
「ハッ……ハッ……ハッ……」
いつの間にか自分は地面に突っ伏して、息が乱れ、頭が割れそうなくらいに痛い。冷たい地面が自分の心臓を締め付けられる。だが、突如聞こえて来たジジューの声に顔をあげ、彼女の顔を見ようとするが目の焦点が合わない。
「深く息をしなさい、ほら」
「フーッ……フッ……フーッ……フーッ……」
体を抱えられ、ジジューが背中をさすりながら優しく言葉をかける。徐々に自分の呼吸は落ち着いてゆき、頭痛もある程度は収まって来た。
まさか、過去のトラウマがここまで自分の体に影響するとは思わなかった。
そして、呼吸が正常に戻り。ジジューが離れ自分の頭を彼女が抱きかかえる。正直な話、そこまで豊かではないため骨が当たって痛い。
「どう、落ち着いた? 薄いなんて思ったらこのまま首の骨折るわよ?」
「……ありがとう」
ジジューは自分の頭を戻すと今度は顔をペタペタと触って、その細い指先で自分の目元を拭う。
「どうして、泣いてるの?」
「いや……あ……」
自分でも目元を触るが、指先から感じるのは水滴の感触。
自分は、泣いていたのだ。
どうして?
どうして?
どうして?
知ってるくせに。
「俺、昔。こういったところで、一人取り残されたことがあって」
自分は五歳の頃、町内会の山登りで迷子になったことがある。そこで迷子になり、おまけに近年稀に見る豪雨に見舞われた。
近場の洞窟で身を隠し、雨をしのいでいたのだが土砂崩れが発生。洞窟の入り口は完全閉ざされ、中は闇に包まれた。その時のトラウマが今でも体に染み付いて離れない。暗闇や、狭いところ。そう言ったところに極端に反応するようになってしまった。
だが、九死に一生を得たのには理由がある。
幻覚なのか、それとも本当にそうだったのかはわからない。
洞窟の中で暗闇に震えていた時、そこにはだれかがいたのだ。自分に語りかけてくれるだれかが、誰もいないはずの洞窟で。
だが、その慈愛に満ちた声を自分は覚えている。
その声は、自分を洞窟の出口へと導き。救助隊が動き出す前に町内会のメンバーと出会うことができた。そして、自分を導いたそのだれかは、最後まで姿を見せなかった。
これが、自分をホラーに対してトラウマを植え付けた記憶の全てである。
たったそれだけのこと。だが、それは自分をのちの15年間縛り続ける呪いにするには十分すぎる出来事だった。
そして、この短い話をジジューはただ黙って聞いてくれた。
「とりあえず、あんたのトラウマの原因はわかったけど。あんた一体どんな場所に住んでたのよ、チョウナイカイ? わからないけど、よく生きてたわね」
彼女の指摘はごもっとも。これは、自分が地球にいた頃の話だ。もし、この世界で同じような目にあったら子供一人で生きていられた確率はゼロに近い。そして、ジジューには自分が異世界から来たということは説明していない。それは決して自分をスパイしていたとしても気づくことは難しいだろう。
だが、その説明は後回しだ。
「なぁ。その顔はどうしたんだ?」
「え? 私? それよりもあんたの方がひどい顔してるわよ」
「そういう話じゃなくて」
自分の顔を覗き込んでいる、ジジューの顔にそっと自分の左手を添える。触れられた瞬間、ジジューは軽くビクついたが気にせず、彼女の頬を指でなぞる。左指にはねっとりとした感触の液体がこびりつく。そして、それは独特の匂いがあり、光に照らされたその色は真っ黒。
この液体を自分は知っている。
「ジジュー、これをどこで」
「どこでって....さっきそこでつまずいた時にくっ付いたのかしら?」
「.....」
間違いない、これは『生命の起源』だ
ふと、地面をなぞると先ほど彼女の頬から拭った液体と同じようなものが指に絡まりついてくる。
次の瞬間、
地下に広がる空間に設置されていたのであろう魔術光の照明が起動する。それは壁に設置されており、部屋の全体像がはっきりわかる。部屋の広さは校庭のグラウンド並みの広さ。だが、その床には一面と所狭しに魔法陣が描かれており、先ほど地上に描かれていた五重円環の魔法陣とは比べ物にならないくらいの規模だ。10、いや。50以上ある。そして、その規模の大きさが語っている。
ここが、勇者召喚の間なのだと。
しかし、問題なのは。
「いったい誰が……」
「っ、隠れてっ!」
照明の起動と同時に、先ほど自分たちが入って来た入り口から足音が聞こえてくる。とっさに地下を支えている柱の裏へと駆け込み、その影から二人して様子を見る。
聞こえてくる足音の数は複数。だが、耳をすませばすませるほど様子がおかしい。どこか足の運びが重々しかったり、無理やり歩かせれているかのようにリズムがバラバラだったり、何かを引きずっているような音まで聞こえてくる。
そして、今ここに入り込んでいる人間は。この地下の存在と、開け方を知っていたということになる。
「全員しっかり歩け、裁きは下されるのだっ!」
「きゃっ! 痛いっ、何するよっ!」
どうやら、女性も混ざっているようだ。だが、聞こえてくる声は女性の方が比率的に高い、男性は少ないように感じる。そして、耳をすませていると……
「堪忍して、いやっ!」
どこかで聞いたことのある声と訛りが聞こえて来た。顔を少し出し、様子を伺うとそこには白装束を着た複数の女性たちと、手に槍を構えた男たちが脅しながら正座で座らせている。そして、座らされている女性の中には遊郭で会った、目元に布を巻いた盲目の女性の姿もいる。
あまり良い状況ではなさそうだ。
『おい、なんだこれ?』
『知らないわよ。私ここの出身でもこんなの知らないわ』
小声で話し合うが、どうやらジジューは全くこの状況に見に覚えはないらしい。この町の出身だから何か知っているとは思ったが。
「おいっ、この女はどうする?」
「あぁ、なんだかわからんが連れていけと言ってたよな。まぁ、いつも通りでいいだろうよっと」
入り口から、二人の男が何かを抱えて入って来た。そして、中にいた男に話しかけ、他の女性たちが座らせている場所へと持ってくる。だが、彼らが抱えているのは人であるのはわかるが、ほかの女性とは明らかに待遇が違う。
彼らの運んで来た人には、耳がついていた。はっきりいえば獣人だ。そして、服を身につけておらず、下着姿である。
そして、とてもよく見たことのある顔立ちをしていた。
気づいた瞬間には、背後に立っていたジジューの制止を振り切って駆け出してしまっていた。
どうして、
どうして、
どうしてメルトがここにいるんだ。




