第180話 穴の色
入り口に立ち並んだ鳥居をくぐり、ぽっかりと暗い闇が大きな口を開けて待っている遺跡の入り口の前へと立つ。周囲に人の気配はない、隣に立っているジジュー息遣いだけがやけに耳に入ってきた。
「……えっと、手。つながないか?」
「え、何急に。キモっ」
案の定、怪訝そうな顔でこちらを睨みつけるジジューの顔が目に映る。当然の反応だろう、だがこれだけは絶対に譲れないのだ。
僕は、ホラーが大の苦手だ。
しばらくジッとこちらの顔を覗いていたジジューの顔が、一瞬何かを察したかのような顔をしたかと思うと、その頬が少し歪む。
「もしかして怖いの?」
「……はい」
「へぇ〜、そ〜なんダァ〜。じゃぁしょうがないなぁ〜。お姉ちゃんが手を握ってあげるねぇ」
屈辱である。
確実に年上なのは間違いないはずなのだが、見た目が小学生にしか見えない幼げな少女にバカにされるのはなかなかに堪える。だが、怖いものはしょうがない。なにせ、未だに両足が入り口を前にしてすくんでしまっている。このままではいくら待っても足が前に進むことはないだろう。
決して自分は、ロリコンなどではない。
ジジューが差し出してきた左手を掴もうとするが、自分の右腕が動かないことに気づいた。仕方なく、彼女の右側に回り自分の左手で彼女の右手を握る。
「どう、行ける?」
「……はい。大丈夫です」
一回深呼吸した後、両足が震えていないのを確認する。自然と自分の左手に力がこもる。その小さな彼女の手だけが、自分を安心させているという事実にどうしようもなく情けなく感じる。
「それじゃ、行くわよ」
「はい」
歩幅を揃えて、
同じ呼吸で、
一歩、
遺跡の入り口へと足を踏み入れた。
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暗い。
ただひたすらに暗い。
聞こえるのは自分の息遣いと、どこから聞こえてくる水の滴る音。そして、高い天井に反響する自分の足音と彼女の足音。
「そこ。石が飛び出てるから躓かないように」
彼女の声が隣で響き、度々自分に指示を送る。今、自分の目にはぼんやりとしか建物の輪郭は写っていない。そこからわかる建物の構造は、人が通れる広さは横で並んで二人がギリギリといったところか。結構狭い通路で、その割には天井がかなり高い。壁には元々はなかったであろうランプのようなものがぶら下がっているのは確認できたが、不法侵入のため点灯させることはできない。
暗闇に慣れた目でも足元すらおぼつかない。そんな暗がりの中で、隣にいる彼女だけがしっかりと見えている。
ふと彼女の顔を覗き込むと、彼女の目元に掘られている刺青が青白く光っており、おそらくそれのおかげで暗いところでも、ものが見えるようになっているのだろう。
「あんまりジロジロ見ないで。気が散るから」
「わかった。すまん」
真剣な面持ちで彼女は答える。
現在、遺跡の中に入って1時間ほどが経過しただろうか。周りの風景はさほど変わらない。両脇に佇む壁と、高い天井。
探しているのは、パレットソードを修復するための手がかりだ。
「一応、ここの建物の構造は調査済み。けれども、そのほとんどが調査済みで、隠し部屋や隠し通路、その他諸々はすでに発見済み。観光場所としてしか機能してないし、私も調べた限りでは特に何も発見できなかったわ」
「そうか……」
ただし、
と、彼女は続けた。
「この遺跡が取り壊されないで、今だにここにあるのは理由があるの」
「理由?」
「そう。こっちよ」
そっと手を引かれ、通路の奥へと進んでゆく。
この遺跡の近くには、巨大な遊郭がある。観光名所として、遺跡を残しておくのは何と無くわかるが、この近くにある遊郭の方がどちらかといえば集客効果は高いだろう。例えるのならば、歌舞伎町のど真ん中に遺跡があるようなものだ。少なからず、ファミリー向けではない。
だとしたら、遺跡を取り壊し、遊郭を作った方が集客効果も上がるだろうし、何より町全体の活気だって上がるだろう。なのになぜそれをしないか、
理由は三つ考えられる。
一つは、遺跡の解体をするほどの金がないか、
二つは、遺跡の観光客数が多いからか、
上の二つは、完全にありえないだろう。一つ目は、遺跡を解体するだけの金は確実にあるからだ。そして二つ目は、ここの遺跡の観光客数が少ないのは時折通路に落ちている発掘品ではない、紙くずやゴミの様子でわかる。
ならば、最後の三つ目だ。
それは、未知の場所であったり、遺文が存在している可能性がある場合だ。
「割光石は持ってる?」
「あぁ、二つくらいだけど」
「なら今のうちに一個割っておいて。もうすぐで着くから」
ジジューの言葉に従い、懐にしまっておいた割光石を一つ取り出し、それを地面に叩きつけると、軽い音が通路の中に響いた。しばらくその場で地面を見つめてると、割れた割光石の断面が徐々に淡く光り始めた。割れた割光石を入れるために、壁に下がっているランプの一つを拝借して、そこに割光石を詰めてゆく。これで光源は確保出来た。
しかし、ランプを左手で持ち、前を照らしてゆくが一部だけが明るくなって逆にホラー感が増してしまった。それに加えて左手でランプを持っているせいでジジューとは手が離れてしまってどことなく心細い。
「……ジジュー、肩車してやろうか?」
「へぇ、死にたいのあんた?」
「だよなぁ……」
だが不幸中の幸いか、目の前で明かりに照らされたジジューが歩いているおかげで先には進めそうだ。両足はガタガタ言ってるが竦んではいない。
「ねぇ、そんなに何が怖いの? アンデット?」
「まぁ、そんなところだな」
「別にあんなの、叩き斬ればおしまいじゃん」
「そういう問題でもないんだよ」
アンデットと総称されて呼ばれている幽霊の類だが、この世界においてはよく現れるらしく、しかも叩き斬れば簡単に退治できる代物らしい。日本の幽霊や海外の悪魔みたいにめんどくさいお祓いなんかせずとも、叩き斬ればそれで終わりというのだから簡単な話だ。
だが、それがどうしようもなく怖いのだ。
「単純にホラーやアンデットが大嫌いなんだ」
「わからなくはないけどね。でも、あんたのそれは異常よ?」
「ほっとけ」
前を歩いている彼女がそんなことをこぼすが、確かに異常なのかもしれない。
地球にいた頃は、ホラーや怪談などの類の漫画小説は一切目を通さなかったし、テレビがあった頃もそういった映画、ドラマ、番組は避けていた。ゲームなんかもやるのはほのぼのとした育成ゲームだった記憶がある。
とにかく、ホラーが大っ嫌いなのだ。
それ以上深く聞いてくる気はないようだ、そのあとは無言のまま黙々と遺跡の中へと進んでゆく。そして、彼女が案内を始めて三十分ほど経った。遺跡の中の構造は基本かなり入り組んでいて、今回は見学コースとは大きく外れた場所を歩いている。そして、その先を進んで行き見つけたものは大きな空間が広がる部屋だった。
手元のランプから漏れる光が、ぼんやりと部屋の壁を映し出している。そして、辺りを見渡して気づいた。
自分は、この光景を知っている。
「ここは……」
「何? 知ってるの?」
「あぁ、ここは。リュイの遺跡で見た空間と同じだ」
かつて、ウィーネの精霊石を探すためにレギナと共に訪れたリュイの遺跡。そこで、彼女の精霊石が封印されていた場所と酷似しているのだ。唯一の違いといえば、そこには遺跡を支えるための危険な一本柱は存在せずただ広い空間だけが存在していた。
その部屋の真ん中で、周囲を見渡しながら佇んでいる。壁にはリュイの遺跡にあったような文字であったり壁画のようなものはない。一面まるでヤスリで磨いたかのように滑らかな壁である。
問題なのは地面だ。
「これは....魔法陣か?」
「そう。ここは、パンフレットによると聖典に登場する勇者様を召喚した場所らしいわ」
そう言った彼女は地面に手を置き、地面に掘られた魔法陣を手でなぞる。そして、彼女は深く深呼吸をした次の瞬間。彼女を中心に、青白い光が魔法陣の溝に沿って一気に流れ溢れ出る。それは自分の足元にまで迫り思わず後ろにたじろぐ。
まさか。
「おいっ、ちょっと待てっ!」
「大丈夫。この魔法陣は偽物よ」
思わず声を荒げて彼女を止めようとするが、周りの様子を見る限り変化があるのは地面の魔法陣のみで壁が動いたり、天井が落っこちたりするようなことはない。そして魔法陣が勇者召喚に使われたからと言って、そこから何かが召喚されるような気配もない。ホッと息を吐き、その場に腰が抜けたかのように地面にへばるのを確認したジジューがゆっくりと地面の魔法陣から手をはなし、立ち上がる。彼女の手から離れた魔法陣は、未だに青白い光を放ちながら起動している。
「大丈夫? 全くヘタレね」
「....立たせてくれ」
左手を差し出し、それを近寄ってきたジジューがその手を掴む。体を起こされ、立ち上がり再び地面へと向き直るが魔法陣の知識は全くもってないので見たところでどうともいえない。わかるのは、魔法陣に書かれている一部の文字くらいだ。
今、地面に描かれている魔法陣はいわゆる円形型。五重に囲われた円の間には魔術文字らしきものがびっしりと書き込まれており、陣の中心にもこれでもかと言わんばかりに魔術文字がびっしりと書かれている、図形なんかが小さく端っこの方にあるだけで、これだと魔法陣というよりかは契約書のようだ。
「どう? なんかわかった?」
「いや、さっぱり。そっちはなんか気づいた?」
「そうね、一言言えば。これがもし勇者召喚で使われていたとしたらショボいわね」
「ショボい?」
するとジジューは未だに青白く発光している魔法陣の上に立ち、その一部分を指差す。彼女の後を追い、自分も指を刺した方へ見るとそこには光が行き届かず、全く魔力の流れていない魔法陣の溝が引かれていた。
「これは?」
「単純に接触不良ね。見た所、陣は不完成だし、それに勇者召喚なんて大層なものをやろうとしてるんだったら、こんな五重円環の魔法陣なんてショボすぎるにもほどがあるわね」
全くもって専門外の話だ。でも、彼女が言わんとしていることはわかる。要するに、勇者であったり何かを召喚する魔法陣にしてはあまりにも簡単な構造だということなのだろう。これまでの道のりの中で彼女の魔法陣に助けられたことが多くあった。そして、敵に回った時もかなり厄介だった。ゆえに、彼女の持つ魔法陣の知識は専門家以上のものだろう。
そんな彼女が言うのだ。
統括して考えて。ここは、勇者召喚で使われた場所ではないと言うことだ。
今から約二千年前。無色の国を蹂躙するためだけに呼ばれた者たち、そして同じようにこの剣を握り戦って、そして最後の最後まで利用されて殺された者たちが召喚された場所。
なんの手がかりがないままここで終われと言うのか?
「……ん?」
そんなことを考えながら地面に目を向けていると気づいたことがあった。思わず片膝をついてランプで魔法陣との接触不良と言っていた部分を照らす。
「どうしたの?」
「なぁ、これを見てくれ」
屈み込んだ自分のそばにジジューが同じようにしゃがみ込み、左手で指差した場所をみる。魔力の通っていない溝の部分、細かく見ると円のところに隙間が見える。
「これは、魔法陣に必要なものか?」
「いえ。むしろいらないわよ、こんなの」
「だよな……」
軽く自分の左手の指を舌で舐める。そして、湿った指をその隙間にかざすと、かすかに風が吹き抜けているのがわかった。つまり何が言えるか、すなわち下にはなんらかの空洞であったり、空気の出入り道があると言うことである。
「接触不良の原因はこれね。見たところ、円環全部に同じような隙間があるわ」
いつの間にかそばを離れて地面を覗き込んでいたジジューがそのように報告する。となると、この魔法陣は勇者召喚で使われたものではないと言うのは確かだ。とすれば一体なんのためにこれを置いたか。
宝物を隠すには良い場所を選ばなくてはいけない。
人目に触れない、決して開かない。
だが、それだけでは宝物を持っていても、使うことはできない。
ならどうするか。
鍵が必要だ。
自分しか持たない、世界にただ一つの鍵が。
『道あり、救済を欲するごとく閉ざされし門の先には力あり。一つにその鍵を己の底に眠る悪鬼のごとく、命を賭して掛かれ』
「あんた、何を……」
ジジューが話しかけるが、無視して魔法陣の真ん中でしゃがみこみながら契約書のような文字の羅列を口で唱える。この文字は自分だけが読むことができる、そしてこの文章の意味は、
何かを開けるための、覚悟としての誓いの言葉だ。
地面に置いた左手から自分から流れ出た魔力がこぼれ出す。それは魔法陣の溝を通って行き、ジジューの流した青白い線を徐々に透明なランプの光が当たるとキラキラ七色に輝く魔力で塗りつぶしてゆく。
二つ
三つ
四つ
言葉を唱えるごとに、自分を中心に広がる魔法陣の溝に魔力が注がれてゆく。そして、それは、先ほどまで機能していなかった円環にまで注がれてゆく。
五つ
そして、
『其は世界を正すものなり、道を開けよ。救済への道はいざ開かれん、六つ。円環する六つの扉よ、今ここに誓いは結ばれた。注がれた言葉に従い、今ここに救済への道は開かん』
次の瞬間、足元で大きな音が響き始める。地震とは違うその揺れに確かな手応えを感じた。そして、魔法陣を囲む円環がそれぞれ石同士が擦れるかのような音をさせ始め、徐々に視界が下の方へと下がってゆくのを感じた。とっさに、自分のいる円の中へと飛び込んできたジジュー。周りの景色はどんどん下がってゆき、まるでエレベーターのような感覚だ。
そして、しばらくするとせり下がった壁から現れたのは、ぽっかり空いた地下へと続く入り口がポッカリと空いていた。
思い返したことがある。あの遊郭で盲目の遊女が言っていた言葉。
『穴』
まさに、目の前の入り口と頭上から見上げたその風景は『穴』の底だった。
「行こうか」
「……」
無言で頷いたジジューとともに、暗い、暗い、暗い闇の底へと進んでいく。




