第177話 引かれぬ色
「さぁて、お客さまぁ? 本日はどのような髪型になさいますか?」
「え……」
「ど・ん・な。髪型にしますかぁ?」
「そうですね……」
とりあえず、殺さないでください。
ジジューのもったナイフのひんやりとした金属の感触が背筋を凍りつかせてゆく。まるでそれは、蛇に睨まれたカエルのごとくというやつだろうか。
現在、休憩がてらに馬車の荷台で散髪タイムである。
青空の下、実に清々しい光景ではあるのだが馬車の荷台では見るからにドロドロとした光景が広がっているのである。馬車の荷台に乗っているのはメルトとジジューそして、すでに散髪の被害者になって残念な頭になって意気消沈しているハンク。そして次の被害者となる翔が座っているのだった。
「……ひとつ聞いていいです?」
「なんでしょう? お客さまぁ」
「……ハサミとかないんですかね?」
座り、後ろで立っているジジューが握っているのは普段使用しているナイフよりも少し小さめのものだ。だが、人を殺傷するには十分すぎる鋭さである。
「ん? これはねぇ〜。こ・だ・わ・り」
なんとまぁ、はた迷惑なこだわりである。
正直、いつか刺されるのではないかと心配で心配でしょうがない。見た感じ、そのナイフは実戦ではなく、毒殺とか暗殺をするために使用するものだというのを悲しかな、わかってしまっている自分がいる。
本気で殺されるかもしれない。理由はいろいろと思いつくが、やっぱり決めてはあれだろう。うん、あれしかない。
「その、すまなかった……」
「ん? 何がかなぁ?」
「いや、お前のことを貧乳とか言って……いや、別に貧乳が悪いっていうわけじゃなくて、自分がいたところではステータスとか……」
「ふふ〜ん、このナイフね普段は牛一頭を即死させる毒を仕込んでるんだけど、ちゃんと洗ったかなぁ?」
チクリと翔の首筋に何かが刺さった。その瞬間、馬車から転がり落ちるようにして芝の生えた地面で悶える。牛一頭を即死とか、そんな強力な毒を暗殺で使っているだなんて思いもしなかった、ましてやそれを散髪用に使っているだなんて。
大丈夫だよな、大丈夫、苦しくないよな、息してるよな、心臓動いてるよな。
その姿を馬車の荷台に乗ってみていたジジューは悶える翔の姿を見てケラケラと笑っていた。
「冗談に決まってるでしょ。でもまぁ、その件は面白いもの見れたからチャラにするわ」
「.....ハァ.....」
「だいたい、そんな頭で戦闘とか邪魔で鬱陶しいでしょ。それに追われてる身なんだから、万が一見られた時にわかりにくいくらいにしておかないと」
確かに、今の自分の頭はイニティウム付近でアンナさんに散髪して以来、ほとんど散髪をしていない状態でかなり長くなっていた。あまり気にはしていなかったが、前髪とか後ろの髪とか結構な長さになっている。そんな暇がなかったといえば嘘になるが、正直言って面倒だったから怠っていたというのが正しい。
「いい機会なんだし、ここで切っておきなさい」
「……そうだな」
まぁ、ハンクの二の舞はごめんだが。
ハンクの髪の毛はメルトが切った。使ったのはハンクの布を切るための裁ちバサミだったが、想像以上に切りずらかったらしく勢い余ってざっくりとハンクの髪を切り取ってしまった。それこそ、一部分が大きくハゲてしまう感じに。
それに慌ててしまったメルトは全体のバランスを整えようと躍起になったものの結果として、それがより状況を悪化させてしまいほとんど坊主のような頭になってしまったというわけである。
そんなこんなで、馬車の荷台に戻った自分は、虚しくも散っていた若干赤毛交じりの自分の髪を握りしめうなだれるハンクの肩に手を乗せる。
「その……なんだ。大丈夫だ、すぐ生えてくるから」
「……お前、自分が同じ立場になって同じこと言われて。慰められたかと思うか?」
「……すまん」
隣ではメルトが何度も謝っている。まぁ、彼女に罪はない。今回は互いが互いに運がなかった、ということにしておこう。
翔は再びジジューの前に座り、頭部を彼女に預ける。
「頼んだぞ……」
「えぇ、でも動かない方が賢明よ。間違って頭とか耳を切り落としたくはないでしょ?」
確かに、動いた瞬間に切り落とされそうだ。
動くどころか、呼吸と心臓を止める勢いで静かにはたりはたりと落ちてゆく自分の髪を目で追った。
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「それにしても、綺麗な色ね。羨ましいわ」
「えへへ……ありがとうございます」
キャキャキャうふふの声が響く馬車を離れ、男二人が体育座りで湖のそばでしゃがみこむ。そして、地面に向かって深くため息を同時に吐いた。
水面に映り込む自分の髪の毛は、ハンクのように坊主ではないものの全体的にバランスが悪い。何も床屋だとか美容室の技術を求めているわけではない。単純に全体的に短くして欲しかっただけなのに、中途半端にところどころ長かったり短かったりなど、不安定な髪型だ。
「まだいいじゃん……髪の毛あって……」
「ですよねぇ……」
再びため息。
それにしても、後ろの二人は楽しそうだ。女性のことはよくわからないが、やっぱり危機的状況を共にすると、やはり仲が良くなるというか、そういったことがあるのだろうか。まぁ、喧嘩されてドロドロされるよりかはずっといいのではあるが。
「そういえば、あのお嬢ちゃん。グラウス家のご令嬢なんだろ? 家出でもしたのか?」
「家出であんな大掛かりなことは起きないよ」
「だよなぁ」
そういって、地面に寝っ転がったハンクは青空をぼんやりと眺め始める。自分も彼に習って、地面に寝っ転がり青い空を眺めた。背中に刺さる草の感触がこそばゆい。
まだ冬になりきれていない空気を大きく吸い込み、そして吐いた。
自分は何がしたいのだろう。彼女を連れ出したのは、彼女の望みを叶えるため。だが、そのためにいったいどれだけの人間を巻き込んでしまったのだろう。ハンクもそうだ、ジジューもそうだ。そして、メルトの兄のエギル、父親のソドム、メイドのソフィー。
自分が行動を起こそうとするとき、それは必然的に多くの人を巻き込んできた。大事な人を含め、全く関係のない人も。わがままで、自分ではどうしようもない問題を周りの力に頼って解決してきた自分は、本当にこのままでいいのかということを夜眠る前に考えてしまう。
こうした瞬間でも考えてしまう。
異世界に来て、こうやっていろんな人と触れ合ううちに自分はどれだけの人間の人生の捻じ曲げてしまったのだろう。
そんな自問自答を何度繰り返してきただろう。
「なぁ、ショウ」
「ん? 何?」
「今度さ、新しい服をデザインしたんだけどよ。モデルまたやってくんね?」
「別にいいぜ。世話になってるんだから、そんくらいは協力するよ」
「……ハァ、やっぱお前。優しすぎるわ」
「ん……?」
聞き返そうとした時、遠くから声がかかる。起き上がってみてみると、馬車に乗っていたメルトとジジューがこちらに近づいてくる。彼女の着ている服は、チェックのワンピースのようなもので、一見貴族には見えない。
こちらに駆け寄って行くメルト。そんな彼女の表情は自分の悩みが吹き飛びかけるくらいに清々しい。そして、今まで後ろに言っていた髪は伸ばしたら結構長いもののだったものの、綺麗に肩の部分に揃えられていて、可愛らしさが増しているような気がした。
「ショウさん、その……似合ってます?」
目の前で、少し恥ずかしそうに髪の毛をいじっている彼女の姿はとても新鮮に感じた。受付嬢時代は、あまり身なりに関して気を使っている余裕はなかったはずだし、彼女が貴族の立場であった時は逆に不自然に感じた。
だが今。こうして一人の女性として立ち振る舞いをしているのは新鮮に感じたのだ。
「えぇ、かわいいですよ」
「かわ……っ! その、えと……ありがとうございます……っ」
恥ずかしそうに、余計に髪の毛をいじり尻尾なんかもブンブン振り回っている。そんな彼女の頭に左手を置いて動かす。時折、彼女の頭に生えている猫耳がぴくりと動いてこそばゆい。
それにしても、綺麗な切り方だ。
綺麗に左右対称になっているし、バランスが悪いところが見当たらない。これは明らかに美容室や、床屋の技術だ。
「いいでしょ〜、やっぱショートも似合うじゃない」
後ろからナイフをくるくる回しながら近づいてくるジジュー。
さて、
「なぁ、ジジュー」
「なぁに?」
「メルトさんの髪を切ってくれてありがとうな」
「いえいえ、どういたしまして」
「めっちゃうまいじゃないか。切るの」
「そうだね。まぁ、ナイフは3歳から扱ってるから? 髪を切るのはお手の物だし?」
「そうなのかぁ……」
では説明をしてもらおうか。この俺の頭がひどくアンバランスになっている事案について。
自分の頭を左手で指差し、無言と無表情で向き合う。
そして、
「……ぷっ」
「ぶっ飛ばすっ!」
軽く吹き出したジジュー。
許さん。
追いかけ、追いかけ。そして、二人に止められるまで湖の周りをぐるぐると回ることになったのは、また別の話である。




