第169話 針路の色
ふと目が覚めると天井のない視界の先は夜だった。
木々の隙間から、漆黒の闇にポツポツと散らばる星が覗いている。手を伸ばせば届きそうなその距離に思わず翔は自分の右手を伸ばそうとするが、力を込めてもビクともしない。
体を起こそうとしても背中に走る激痛に苛まれ起き上がることもできなくなっている。
左手に関しては、肩の部分を脱臼しているのかピクリとも動かない。
両腕は完全に死んだ。
果たして、自分は一体どこにいるのだろうか。また生死の境をさまよっているのだろうか。
「ショウさん……? ショウさんっ! ハンクさんっ、ショウさんがっ」
突如聞こえた声に、目線を動かすとそこには正座した状態で座っているメルトの姿が映る。見れば、その背後で焚き火をしているのか炎の明かりがチロチロと見える。
そして、メルトの声を聞きつけ自分が横になっている馬車の荷台が揺れる。馬車に入り込んできたのは、すでにマスクを外し素顔になっているハンクだ。なんだか、呆れたというか、心配していたというか、泣きそうだというか、とにかく不思議な表情をしている。
「はぁ……言いたいことは山ほどあるけど。とりあえずはだな、生きててよかったよ。翔」
「……あり……がとう」
かすれた声で感謝の言葉を述べる。
彼がいなければ自分は今頃王都に捕らえられて、すべてを無駄にしていただろう。エギルの思いも、ソドムの思いも、ソフィーの思いも、すべてを無駄にしてしまっていただろう。
だが、
「ハンク……どうして、あなたが?」
「ん? あのお嬢ちゃんがよ、必死な形相で店にやってきてさ。お前さんがピンチだとか言ってきてよ」
「でも……あんたが関わるようなことは……」
「はぁ……何言ってんだよ」
そう言ってしゃがみこむ彼は、自分の頭の上に手を置きワシャワシャと頭をかき乱す。
「あの時、魔物の群れから俺を助けてくれたろ。お互い様だ、お互い様」
「ありがとう……」
お互い様か。
すると、もう一人馬車の上に乗ってくる気配がする。メルトが横にずれそこから顔を出したのは、ジジューだった。
彼女の表情は感情があまり読み取れない。
「さて、私にも何かいうことがあるんじゃないかしら?」
「……ありが……とう。助かった……」
今回の脱出劇はハンクもそうだが、ジジューが判断して行動をしなければ確実に終わっていた。一番の功労賞は彼女だろう。そして、感謝の言葉を聞いた途端彼女は大きくため息をついた。
「あんたを逃がすために、王都じゃもう私の顔も割れちゃったし、それにいろんな魔術を同時に行使したせいで、魔力の大半を消費したし。おまけに、初めて竜の目をごまかす魔法陣を即興で開発してもうヘトヘトよ」
「……なんか、その……ごめん」
少し顔を左にそらすと、馬車の床に何かが掘られており、その溝に沿って青い光が循環している。あれが開発した魔法陣だというのか。それにしても、あの短時間であんな状況で魔方陣とは開発できるものなのか。
見れば、先ほどのジジューの発言を聞いてメルトの目は点になっている。
「え……魔法陣を開発したんですか? あの、短時間でっ!?」
「そうに決まってるでしょ? それに魔法陣の開発だなんて即興でできなきゃ。この業界では生きてけないのよ」
若干得意げに言う彼女だが、なるほど。確かに、彼女の立場を考えれば撹乱であったり、隠蔽工作であったりと緊急で頭を回転させなければならない時は多いだろう。
だが、
得意げに話をした後、一瞬。彼女の顔が真剣なものへと戻った。
「ショウ。あんたに話さなきゃいけないことがあるの」
「……はい」
その瞬間、メルトと、ハンクの表情が大きく曇る。
もうわかっている。
自分のことは自分が一番わかっている。
大きく息を吸い込み、痛む肋骨に顔を歪める。
そして。
「あなたの、右腕」
もう、二度と使い物にならないわ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
半身不随と言うのかわからないが、確かにジジューの言う通り、右腕はどうやっても動きそうにない。動かそうにしても右腕にまったく力が入らず、ブルブルと震えるのみで、物をつかむどころかダランとして上がりそうにもない。
「ショウさん、口を開けてくださいね」
「はい……」
開いた口にはスプーンに乗った野菜たっぷりのスープだ。口の中で熱く思わず零れそうになるが、なんとか口の中で跳ねる野菜を噛み砕きなんとか飲み込む。トマトの酸味がよく効いたスープによく野菜が溶け込んでいる。作ったのはメルトだ、なかなかに美味しい。
「あ、熱かったですか?」
「い、いえ。大丈夫です。美味しいですよ」
そう言った後に優しく微笑む彼女の姿はとても安心した。
自分の右腕が使い物にならない。それはおそらく、パレットソードを折られた時、壁に思いっきり背中をぶつけたことによる損傷だとジジューから言われた。多分、脊髄というところを損傷した結果なのだろう。
それ以外にも、右腕を大きく損傷した結果だ。メルトのあまりにも痛い治癒魔術でなんとか骨はつないでもらい、左肩の脱臼を治してもらったが、それ以外は治癒魔術ではどうしようもない領域なのだという。
とにかく言えることは。
自分は、もう二度と。剣を握ることはできないということだ。
それに、その握る剣すらも破壊されてしまった。もうどうしようもない。
「さて、とにかく。逃げてきたわけだけど、ここから先、プランはあるの?」
「今は、特に……」
「ハネムーンは別料金よ。もしプランに入れてたなら自分の財布と相談しなさい」
「入れてねぇよ」
ハネムーンで思い出した。なんの抵抗もなく、ジジューの言われるがままに逃げてきたわけだが、ここは一体どこだというのだろうか。みたところ森の中にいるようだが、それだけでは全くわからない。
「なぁ、今どこにいるんだ?」
「ん? あぁ、そうそう。ハネムーンも場所がわからなきゃつまんないわよね」
「だからチゲェよ」
すると正面に座っているジジューが手に持っていたスープの皿を地面に置く。
「ここはフォディーナ。通称機械都市と呼ばれる場所がある国ね。人口は人が一番多いけど、それと同じくらいにドワーフが多いわ。基本的には武器とか生活用品とかを作る産業の盛んな国よ」
なるほど。
ものづくりの街。ドワーフ。
思い出すのは、この防具の作者であるパルウスだ。もしかしたら彼もこの街出身なのかもしれない。すでに、使い込んでボロボロになってしまった防具だが、ここで一つ直しておくというのもありだろう。
直したところで使う機会はもうないのだが。
そして、この剣も。
「ねぇ、その剣どうしたの?」
「え……あぁ。その、折れてしまって……」
刀の形から姿を変えないパレットソードを指差したジジューがそのまま刀を取り上げる。
「へぇ、見た目の割には軽いのね」
そして、そのまま剣の持ち手に手をかけ引き抜こうとする。思わず身を乗り出して引き留めようとするが、今まで自分とレギナ以外抜くことのできなかったパレットソードが、確実に無色ではないジジューが何の抵抗もなく引き抜くことができた。
「何?」
「……いや」
「……それにしても、派手に折れたわね。見た感じ鉄じゃないし、それに……うわ……何これ」
刀の折れた断面図を覗き込んでいた彼女が、まるで汚いものでも見たかのような目でそれをのぞき込んでいる。すると、その刀を逆さまにひっくり返すようにすると、白い刀の断面から何か黒い液体のようなものがこぼれ出る。
「うわっ……」
「これって……」
地面に落ちた謎の黒い液体。
メルトの支えで立ち、その液体のそばまで近づく。そして、それを左手で拭い取るが、それはとても粘着質で、鼻に近づけると独特の匂いがする。
「ハンクさん、これなんだかわかります?」
「ん? どれ」
食事をしていたハンクを呼び、その液体を彼に見せる。彼も同様、それに触り、鼻を近づけて匂いをかいだりしている。そして、しばらく額に皺を寄せて考えた後合点がいったという表情な顔をしてこちらに向きなおした。
「これは油だよ」
「油....?」
「うん、確かフォディーナに来たときこれと同じものを見たような気がする。なんだったけかな……確か、魔力を使わないでものを動かすのに必要なえっと……燃料? ってのに使うって聞いたなぁ」
となると、
先ほどの油という正体。でもってこの色と、使い道を聞いた限りで思い浮かぶのは、地球の知識では『石油』である。
確かに、機械を動かす燃料。地球では車であったり飛行機であったり、動力源にはなくてはならない代物だ。だが、
機械でもない、ただの剣になんでこんなものが。
いや、ただの剣ではない。これは精霊の力を変質させ、その形状を変える。いわば、剣ではなく強力な兵器だ。そして、それが無色の国を滅ぼすことになったとされている。まさかとは思うが、石油が関係しているのだろうかと、翔の頭の中で思考が交差する。
「でも……フォディーナでこの気色悪いのを見たってことは……」
「……てことは?」
「これ、もしかしたら。直せるんじゃない?」
ジジューが剣を鞘にしまってこちらに返してくる。それを左手で受け取ると、鞘にはまった精霊石を見る。どれもくすんだ色をしていて、初めて目にしていた時よりもずっと光を失っている。おそらく、この剣が折れたことが原因だろう。
精霊石を見て思う。
死にかけるような危険な時、自分の生きる道ですら、この精霊たちが導いてくれた。彼らがいなかったらもっと悪い結果になっていただろう。
もし、このまま放っておいたら。彼らは死んでしまうのだろうか。だが、ここで見殺しにできるほど、自分も悪人ではない。もし、この剣が直せるのであれば、尽力を尽くそうではないか。
「……直そう。多分、もう使うことはないけど、こいつには世話になったんだ。せめて綺麗な姿に直してからにしたい」
「フゥン、義理堅いのね。まぁいいわ、お釣りの分も働いてあげる」
「お釣り?」
お釣り、はてなんのことだろうか。そんなことを考えている翔だが、ジジューが両手を広げ何やら数え始める。
「今回の任務にさしあたって、私を雇うのに必要な料金はだいたい金貨百枚。それで他にかかった経費を考えても、百二十枚にしかなんないわね」
「え?」
「料金以上の働きはしないけど、金貨残り三百八十枚分のお釣り分は働いてあげる」
フォディーナにいい鍛冶職人がいるわ。
彼女の言葉により、次の旅の行き先は決まった。




