第168話 走馬灯の色
「次っ! そこを左っ!」
「そういうのはもっと前にぃっっ!」
力一杯引っ張られた手綱は、あの伝説の走り屋も裸足で逃げ出す後方ドリフトで直角九十度に曲がる。その際に周りの露店なんかを巻き込んでいるが、一般市民を巻き込んでいる様子はない。
決して安全運転とは言い難いが。
そう思った束の間、突然翔の意識とは裏腹に全身が痙攣を起こし始める。呼吸が乱れ、心臓の動きも不安定になり血液の循環がうまくできていないところで痺れが起こる。
「はっ....はっ、はっ.....」
「ちょ、あんた大丈夫っ!?」
「だ、いじょ....ぶ....じゃな....」
その瞬間、意識が遠くに飛びかける。
全身の感覚という感覚が停止し、ものすごく揺さぶられているはずなのにまるで極上の布団で寝ているかのような浮遊感を覚えた。
なんとなく翔は理解した。自分、死ぬんだなと。
死ぬ前に生きてた頃の記憶が流れることを走馬灯と人は呼ぶらしいが、死ぬ寸前に頭に流れ込んできた記憶の渦は、本当にろくでもないものばかりだ。
親父に今道四季流を叩き込まれて大泣きしていた子供の頃。
寝る前にトイレの近くの廊下で見た幽霊の面影。
親父が死んだ時、葬式で今まであったことのない親戚との会話。
進学希望に『特になし』と書き込んだ紙を提出した。
ゴミ箱に放り込んだ大学のパンフレット。
灯りもろくにつけないで一人食事をしていた台所。
けど、こっちの世界に来て、
自分の食事に喜んでくれる人がいた。
自分のせいで、その人は殺された。
自暴自棄になって、死に場所を探した。
監獄で、大勢の人を殺そうとしていた。
呪いで死にかけた。
生きてきた人生で一番愛している人とキスをした。
そして、
今、その人の前で死のうとしている。
本当に、ろくでもない。
本当に、後悔しかない。
本当に、救い難い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ショウさん? ショウさんっ!」
「何っ! どうしたのっ!」
「ショウさんが、ショウさんが息をっ」
「チィっ、ちょっとそこ代わってっ!」
猛スピードで進む馬車の中、足元で寝ていたはずのショウさんの口元に手をやると、彼は息をしていなかった。
あれだけ傷つきながら戦っていたのだ、こうなることは想像に難くない。
すると、馬車の後ろで魔術を使っていたとても小さい女の子が、その姿に似合わない怖い顔をしてこっちに近づく。彼女はショウさんのそばに座り胸に耳を当てたり、口元に手を当てたりする。
そして。
「服を脱がせてっ、大至急っ!」
「は、はいっ!」
言われるがまま、ショウさんの服を脱がしてゆく。
防具、
その下に着ている、自分が今まで見たことのない燃えるように赤い服。胸元の部分を大きく開けると、そこにはあざだらけになった胸が大きく開けられる。
「心肺蘇生法はっ!?」
「できますっ!」
「なら今すぐやってっ! 彼氏の命はお嬢ちゃんの手にかかってるわよっ!」
彼女はそれだけ言うと再び馬車の後ろの方で再び魔術による狙撃を行っている。
あまり時間はない。
言われた通り、袖をまくり、自分の胸で言うちょうど右側の胸の部分を思いっきり力強く押して行く。
自分の心臓の鼓動と合わせて。
もう折れそうなくらいに力強く。
そして、20回。
彼の口と自分の口を合わせてそこからい息を押し込んで行く。ギルドで散々習わされた蘇生方法だ。ここで、彼が戻ってこなければ今までの歳月はなんだったというのだろうか
もっと、もっと。
もっと、もっと。
彼と一緒にいたいっ!
「お願い……お願い……!」
戻ってきて……っっ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
死んだら、人は三途の川というところに行くらしい。
だが、今見ているこの光景は絶対に三途の川ではないというのはわかる。だって、空には星が出てるし、すごくきれいで。
周りには水たまり、と言うかその真ん中で自分が立っているわけだが。その水面には自分と空の星が写っていて。
ふと、自分の足元に目をやる。すると水面に映るのは自分の顔と、その背景にある夜空。
少し、風が吹いた。
揺れた水面に映った自分は徐々にその姿を変えてゆく。
そこには、見たことのない男の姿が映ってる。
どこか悲しげな表情をしている彼は、水中で涙を流していた。
この男を、自分は知っている。
この男は自分だ。
死の間際に、そうレベリオの船の上で見た時の夢に出てきた男。
この男は、
この男は、
僕は、ただ画家になりたかったんだ
男はそう語る。
なぜか、自分も涙を流していた。
その涙は水面に当たると、まるで水に溶けた絵の具のように細い糸のような柱を作りながら水面に映る男の頬を色で濡らしてゆく。
「あんたは……僕なのか?」
そう、僕は、君だ。
「なら……、だったら僕は一体。一体、誰なんだ?」
夜空いっぱいに広がる星が、一つ。一つ、また一つと水面に落ちてゆく。
男は答えない。
一つの流星が翔の胸を貫く。ぽっかりと空いた自分の胸には星の輝きで様々な色に輝く石が鼓動している。
その瞬間、翔の体が、心が、星の光と同じ虹色の炎で包まれて燃えてゆく。
何れ、わかる。
その言葉を聞いた瞬間、翔の体は燃えつきて消えていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……はぁっ! っ!」
「っ! ショウさんっ!」
目を開けるとそこには目に大粒の涙をためてこちらの顔を覗いているメルトの姿がある。妙に胸が涼しい、見れば和服の襟が大きく開けられ胸部が露出している。
そして、背中から感じる振動から未だに危機は脱していないのだということを悟る。
「良かった……良かったぁっ」
「メル……トさん……いっ」
翔は起き上がろうとすると、自分が生死の境をさまよっていたときよりも明確な痛みが起き上がろうとした時の両脇に襲いかかる。
「すみません……多分。肋骨が……その、折れてます」
「あぁ……はい。大丈夫ですよ、多分正しいです」
おそらく行っていたのは心肺蘇生法だろう。肋骨が折れてたとしても命が助かるのならば安いものである。
「起きたっ!? しぶといわね……まぁいいわ。とにかく、そろそろ出口よ」
馬車の後方で追っ手に向かって弓での狙撃を行っていたジジューが呆れた表情でこちらを見下ろしている。自分は一体どのくらい眠っていたのだろう。どちらにせよ危機は脱していないというのは大いに分かるが。
「お、おいっ! 本当にこのまま突っ込んでいいんだよなお嬢ちゃんっ!」
「えぇっ! いいからあんたは前に集中っ!」
「いい加減怒るよぃおっっ!」
急カーブ。
体を起こそうとして、メルトに支えられながらなんとか馬車の壁にもたれることはできた。
ハンクの座っている向こう側。そこには巨大な壁が立っており、遠目で見るとその壁に大きな門のようなものが見える。
「まさか……あそこ?」
「そうっ! 唯一王都にある国境を断絶する門っ! 門がある方が追っ手はまけるわっ! それにこれから行くところちょっと王都と仲が悪いのっ!」
馬車のスピードが大きく跳ね上がる。突然のことでついた右手から大きく激痛が走る。痛覚はあるということは右腕はまだ生きてる。
「荷物だけは守ってくれぇっっ!」
「ねぇ、これ落としたら妨害できそうじゃない?」
もはやジジューのやることは鬼である。
ハンクが涙目で訴えているにもかかわらず、ジジューは右手に大きな木箱を抱えて今まさに投げようとしている。
『そこの馬車今すぐ止まりなさいっ! さもなくば強力な魔術を行使するっ!』
壁の上に、数人の騎士が立っているのが見える。そして拡声器でも使っているのだろうか、よくはわからないが拡張された声が馬車を走らせてるこちらまで飛んでくる。
だが、それはどう見ても剣を専門に戦う輩には見えない。あれはおそらく、魔術専門の騎士団なのだろうか。
「おいっ!?」
「構わず突っ込んでっ!」
ハンクの不安そうな後姿が、自分たちにも不安を煽る。
一切のスピードを緩めず、門へと向かって突っ込んで行く。そして、次の瞬間。壁の上から何か破裂音のようなものが響き渡り赤い閃光がこちらに向かって飛んでくる。
「嘘っ! あんなのマジで打つ気だったのっ!?」
一瞬こちらに振り返ったジジューがまさに驚愕の表情をする。
とにかく予想外だというこというのはわかった。
対応策はおそらくない。
なら、動ける自分が動かなくては。
「メルトさん、自分をお願いします」
「へ、え? ショウさんっ!」
『炎下統一』を拾い上げ、左手に持ち馬車の中を駆け出す。
ハンクの横を通り抜け、走らせている二匹の馬の上に立つ。
そして、
『スクトゥムっ!』
その瞬間、右腕に鞘が変形した盾が装着される。そして次の瞬間に赤の閃光が直撃する。
「グガァアアッッッ!」
右腕がねじ切れるかのような衝撃が盾を通して伝わってくる。
だが、馬車の速度は緩まない。二匹の馬の上で自分の体幹を頼りにその攻撃の一身に受けている。
「ハァアアアアアアアッッッッ!」
受け流す。
受け流す。
受け流す。
徐々に体を捻らせてゆく。
次の瞬間、馬の背中の上に立っていたせいか、足が滑った。
「しま……っ!」
赤の閃光は馬車をかすめ、後ろの方で巨大な爆発を引き起こしたのが見た。本気であれを馬車相手に放とうとしていたのだとすると、もはやそこには狂気すら感じる。
だが、自分の頭が徐々に地面へと接してきているのもまた事実。
死ぬ。
確実に、馬車に轢かれて死ぬ。
そう思ったその時だ。
「いタァ……っ」
「ショウさん……捕まってぇっ!」
見れば、右手を馬車から身を乗り出してメルトが掴んでいる。髪の毛と地面がぶつかるすれすれのところで助かった。
だが、右腕はもう完全に死んだ。
左手を突き出しメルトの手を掴んで引き上げてもらう。
「た、助かりました」
翔の言葉に無言で頷くメルト、そのまま汗をびっしょりとかいているハンクの横を通り馬車の中へと戻ってゆく。まず一つ危機は脱した。
そして、次の危機が。
「おいっ! 門がっ!」
乗り込んだ後、ハンクを背景に見える徐々に近づいてくる壁の門。徐々に上から鉄格子のような扉が下がってくる。
門を閉じる気だ。
「いいわ、そのまま突っ込んでっ!」
「えぇ……」
追っ手を迎撃するジジューが叫ぶが、となると。
「メルトさん……頭を低くして」
「え……ひゃっ」
勢いよくメルトの頭をだき抱え、馬車の床に彼女の体ごと押し倒す。
馬車のスピードはさらに上がる。
閉じてゆく門。
そして、その刹那。
「つっこむぞっっ!」
ハンクの言葉を合図に、メルトの頭を抱える左手に力を込める。
次の瞬間。
頭上からものすごい破壊音が響き渡る。より一層、彼女をかばうようにして力を込めるが自分の背中に何かの破片がいくつも当たり、急に緩んだスピードに体が持っていかれそうになりながらも必死に耐える。
そして、音が止んだあと。
髪をなぞる風が心地いい。
体を持ち上げ、上半身を起こすと。そこには先ほどまであった馬車の屋根が消失しており、壁代わりの布がビリビリに裂けて風ではためいている。ふと後ろの方を見ると、門は完全に閉じられ追っ手は来れなくなっていた。
「さぁて、こっからが本番よっ!」
ジジューがものすごく張り切ったように、先ほどまで地面に書いていた図式に向かい合うが、正直もう限界である。
意識を手放し、あとはなるようになれだ。
多分、なんとかなるだろう




