第167話 大脱出の色
かすれた視界と歪んだ音が頭の中で情報を処理している。すでにボロボロの自分はメルトに肩を借りながらなんとか歩いている状況だ。
「しっかりっ……」
「すみ……ません……」
おそらく、自分は今肋骨にヒビが入っていて、そして肩も外れかかっている。もはや息を吸うのも吐くのも辛い。
そして、この感覚は……
今目の前で見えているのはおそらく祭りが行われている露店の並びだ。大勢の人が行き交い、露店の中を物色している。自分たちは脇道の細い路地に身を潜めているのだ。
なんとか屋敷を脱出することは叶ったが、果たしてここからどうやって王都から脱出しようというのか。おそらく、先ほど騒ぎで騎士団の数も増員されているだろう。見つかるの時間の問題である。
そして、空。
少し痛む首を上に向けると、青い空に黒い点のようなものがいくつか飛び交っているのが見える。身体強化術で視力を上げてみると、それは竜だった。
エギルから王城に入った時の説明を思い出す。確か王都騎士団3番隊が竜騎士だとか、となると空からも偵察をされている。
地上もダメ、そして空からも監視されているとするならば逃げる場所はない。そして、そうなると果たして奇跡的に王都を抜け出したとしても外で一体どうやって逃げるというのか。
「ショウさん……」
「策なしです……」
今まで働いてきた悪知恵もここまでだ。
だが、今ここで何としてでも逃げなくては、残ったエギルとソドムにどんな顔をすればいいか。自分はともかく、どうにか彼女だけでも王都から逃さなくては。
いや、それはダメだ。自分も、生きなくては。
彼女を守ると、ソフィーにもエギルにも誓ったではないか。
ここで諦めてどうする。
だが。
「ん? おいっ。そこを動くなっ」
「……っ」
突如、背後から声がかかる。
声からして、挨拶ではなさそうだ。
自分を引きずりながら歩くメルトの足が止まる。
「な、なんでしょうか?」
冷や汗が自分の頬に落ちる、これは自分のではない。メルトのだ。
「いや、どうかしたのか。その男は?」
「え、いえ。その、ちょっと人酔いしてしまったみたいで……これから宿に戻ろうかと……」
「そうか、だが女性が男を抱えてるのは大変だろう。どれ、宿まで運んで……」
「いえっ! その、大丈夫ですので。お構いなく」
背後から迫る男は馴れなれしく接してくるが、メルトが言っているのにもかかわらず、その男は止まらないで近づいてくる。
突如、翔は抱えられていた腕をメルトから外し、勢いよく振り向く。
感じる気配は一人、ならまだ切り抜くことはできそうだ。
突然振り返った翔の姿に驚いた騎士の男は手に持っていた槍をすぐさま構え、こちらに突きつける。だが、動揺して狙いの定まっていない槍の先端を右手で掴み、一気にこちらへと引き寄せる。
「い……っ」
近づいてきた男の体の腹部に、思いっきりパレットソードの柄を思いっきり叩きつける。そして、ぐったりとして動かなくなった男を支え、道の脇に放り捨てる。幸いにも誰も見てはいないらしい。
「ショウさんっ」
だが、体が限界だった。
崩れ落ちそうになった体をメルトが支える。自分の呼吸が乱れ、心臓の動きがおかしいのは自分が一番よくわかっている。こんな状況で彼女と逃げるなどただの足手まといだ。
「メルトさん……あなただけでも……」
「ショウさん……」
「サイズ……合うかわかりませんが、そこの男性の衣服を借りれば……少しは……」
震える手で、先ほど気絶させた男を指差す。見れば、服装は王都騎士団の軍服だ。これを着て、カモフラージュをすれば多少はなんとかなるだろう。
だが、その提案をした直後、左ほほに鋭い衝撃が走る。
見れば、涙目でメルトが右手を振り切っていた。
「ショウさんのバカっ! そんなことしたら、ショウさんが助からないじゃないですかっ! もう騎士団本部で同じ思いをしたくはありませんっ!」
「そう……ですよね。なら……っ、もっといい案を……っ」
『炎下統一』の赤い炎のような色の鞘を支えに体を起き上がらせる。
そうだ、二人で逃げるんだ。どこまでも、一緒に。
そう思ったその時、ふと、路地裏の向こう側から見えていた祭りの様子が変わった。全員が、何かを避けるような動きをしている。
「いたぞっ! 捕らえろっ!」
「な....っ」
なぜ、何でバレた。
その時、ふと見た男の右手には何らかのスイッチが握られている。おそらく、それで仲間を呼んだのだろう。
「チィ....っ」
舌打ちをしながらメルトを自分の背後に回し、腰から『炎下統一』を引き抜く。すでに刀は折れて使い物にならない。だが、鞘ならまだ何とか。
幸いにもここは狭い路地。横に並んでもせいぜい二人が限界だ。このくらいの少数ならまだ何とか戦える。後退しながら逃げるようにして戦えばまだ望みが。
だが、それも付け焼き刃には違いない。
徐々に近づいてくる王都騎士団の面々。手には槍、直線距離に敵がいるのであれば有効な獲物だ。そして、この通路は直線だ。じりじりと槍を持って近づいてくる王都騎士団、おそらく戦闘能力は高い。手負いでどこまで戦えるか。
「メルトさん、いいですか。今から5数えます。そしたら全力で走ってくださいね、僕もついていきます」
小声で背後にいるメルトに話しかける。真剣な表情で数回頷いた彼女のことを確認した後、深く息を吸う。
1
騎士団の背後にいるのは、5人。まだ通路には入っていない。
2
全力で逃げたとして、背後から迫る奴らを一人ずつ叩く。
3
優先順位はメルト、彼女が逃げ切るのを確認したら離脱。
4
万が一、捕まった場合は....
5
その時はその時か。
数え終わった瞬間、一気に通路の後ろへと走り出す。だが、同時に背後になった通路の向こう側の表通りからものすごい音が聞こえてくる。何かが転がるかのような、そして混じって聞こえてくるのは人々の悲鳴。
駆け出そうとしていたのに自分も含め、メルトも立ち止まってしまう。王都騎士団も辺りをキョロキョロしだした。
すると、何かが転がるような大きな音は、何かが滑るかのような大きな音へと変化した。
同時に、
表通りにいたはずの五人の王都騎士団は何かに引かれて吹き飛んでゆく。目の前にいた二人の槍を構えた王都騎士団は唖然とその様子を見ていた。
やるなら今だ。
『今道四季流 剣技一刀<冬> 時雨』
パレットソードを振るい、目の前にいた王都騎士団の首筋、肩、頭に思いっきり鞘で殴り込む。
そのまま地面に倒れこんだ騎士団。だが、体の限界がきたようだ。痛みが頭を痺れさせ、視界を強制的にシャットアウトしようとする。目の前にあるのは、なんだか皮のような白い壁。
これを翔はどこかで見たことがあったような気がした。
「ボロボロね。いい気味だわ」
皮の壁の向こう側でで誰かがしゃべっている。いや、正確に言えば、皮の一部がカーテンのように開いて、そこから見慣れた。というか、ここのところ忘れていた顔があった。
「さぁ、乗ってっ!」
ジジューだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガタゴト、なんて生易しい音はしていない。
ガッタンガッタン、まぁ近いほうだろう。
だが、正解は。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッッ! というのが正解である。
「もっと飛ばせないのっ!」
「限界ですっ!」
現在、馬車の荷台に乗って街中を疾走。もとい、暴走している最中である。通り過ぎる景色がもはや電車から見る車窓の風景である。
そして、荷台から伝わる振動がもろ体に響いて痛い。
「ジジュー……お前……どうして?」
「契約内容に従ったまでよ」
「契約……?」
「『メルトさんを王都から連れ出す』それが契約内容でしょ。なら、サポートは私の仕事。なのにこんなボロボロになってまで、まぁいい気味だわ」
自分の横で何やら馬車の地面に書き込んでいるジジュー。だが、なかなかうまくいかずところどころ舌打ちをしたりとものすごくやりづらそうである。
「ねぇっ! もっとスピードを落としてっ!」
「さっきから飛ばせだの落とせだの、わがままだなぁあんたっ!」
ジジューが前方に向かって文句を言っているが、今この馬車を飛ばしているのは一体誰だ。
だが、この周りを見た感じ、置いてある木箱とかなんだか見慣れている感じはある。そして、その声もどこかで聞いたことがあるような....
「ハンク……?」
「よぉっ! 一週間ぶりって感じかっ? 言ったろっ! 王都で何かやらかしたら生きて出れねぇってっ!」
振り返った彼の顔には自分が以前買った仮面がつけられている。おそらく顔隠しのためなんだろうが。
「なんで……ハンクが……」
「話は後でぇぉおおおおおっっ! あっぶねぇっっ! ごめんなさぁあいっっ!」
どうやら話をしている時間はないようだ。
そして、何かを書いているジジューの横で状況が読み込めずあたふたしているメルト。説明したいのは山々だが、今は自分のことで精一杯だ。
もう、すでに右手が麻痺して動かない。
おそらく、あの時。ペンドラゴンの戦いで、壁に背中からぶつかった時背骨が一部がやられたのだろう。さっきまでは気力でなんとかしていたが、もう限界だ。
もしかしたら……もう。
「ちょっとあんたっ」
「ヒュっ! え、私?」
「そうっ! あんたよ、お嬢ちゃんっ! なんかできないのっ!」
突如、地面に向かって爪を噛みながら図式を書いていたジジューがメルトに突っかかる。
話しかけられたメルトは突然の事態に混乱しているだろう。
「なんでもいいからっ! 魔術、戦闘、何かないっ!?」
「え、えぇっと……弓ならっ!」
「上等っ!」
すると、自分をまたぎ、ジジューが一つの木箱を拳で叩き割る。
彼女が取り出したのはどこか民族模様の入ったバラバラに分解してある弓と数本の弓矢だ。
「組み立てはっ!?」
「え、はいっ!。なんとか」
「10秒よっ! いい? できなかったら死ぬわよ」
メルトに放り投げられた弓はバラバラだ。
だが、ジジューの『死』という言葉は妙に重みがあった。その重みがメルトを本気にさせたのだろう。渡された弓をものすごい勢いで組み立ててゆく。そこには先ほどまでのお嬢様といった雰囲気ではない。
自分が今まで見たこともないようなイニティウムの受付嬢ではなく。冒険者としての彼女姿があった。
「できましたっ!」
「じゃあ、そこから追ってくる奴らを狙撃っ!」
「えっ! でも、人は……」
「いいからやるっ! つべこべ言わないっ!」
ジジューの必死な形相に唾を飲んだメルトは、自分をまたいだ後馬車の後ろのカーテンを思いっきり開ける。
入り込んだ風に、入り込む日差しが彼女のその堂々たる雄姿を映し出す。
風ではためく耳と尻尾、そしてスカートを裂き前あしを荷台の下扉に乗せて弓を構える姿は今まで見たことのない彼女の凛々しい姿だった。
揺れのひどい馬車の中で彼女は片膝をつき、弓を勢いよくひく。
そして、
放たれた弓矢は、悲鳴とともに後方で激しい音を立てて追っ手を妨害したのはわかった。
「やるじゃないっ! 次っ」
「はいっ!」
馬車の床に置かれた弓矢を拾い上げ、メルトが再び馬車の外で狙撃を行う。だが、次に飛んできたのは魔術だった。
馬車の中に火の玉が飛んでくるのを仰向けになった翔は視認する。
「お……いっ!」
「チッ、お嬢ちゃんっ! そこを変わってっ!」
火の玉は馬車の中を通過、前で馬を制御しているハンクにギリギリのところを通過する。
「あ、あぶねっ! ってうわぁあああっっ! すみませんッッッ!」
ハンクが悲鳴をあげ、後ろでは先ほどまで弓矢を構えていたメルトとジジューが交代する。ところどころ緑の魔法やら赤の魔法やら物騒なものが飛んでくるが、それは馬車の皮の部分を破壊する程度で収まってる。
そして、先ほどまでいたところにジジューが立った。
『其は青 命の元にして この世界を循環せし....』
ジジューが何かを唱えているが、攻撃の真ん中に立っている彼女は次々と被弾してゆく。そして、別れたときから変わらない白いワンピース姿ではあるが、彼女の服の下から、全身に掘られた刺青が青白く発光をし始める。
そして
『起動っ!』
最後に放った呪文を合図に追ってからの攻撃が消えた。
少し体を起こしてみると、道の向こう側で馬に乗っていた騎士団が地面に足を取られて身動きが取れないようになっている。まるで、沼地に足元を取られたかのようだった。
「ちゃんと逃げれるようにいたるところに罠は貼ってるのよっ!」
逃げれるか?




