第164話 それぞれの戦いの色
自分には家族がいた、少数民族である銀狼の獣人。ほんの数百人しかいない村では全員が顔見知りで、全員が家族のようなものだった。
しかし、
そんな生活は長くは続くはずはない、なんて常套句を自分は身を以て知った。
周囲には炎、家族だったものの亡骸。何もわからず、訳がわからず、涙を流す暇すらなかった。そんなところに颯爽と現れた白い服を着込んだ偉そうな人々。
まるで、死神のようだと思った。
その中の一人に連れ去られ、自分はその男の家に住むことになった。
自分の知らない色で埋め尽くされた家。そして、その男は自分に生きる術を教えた。
憎かった。
弱い自分が憎かった。
そして、そんな弱い自分に手を差し伸べたその男が憎かった。
その男の元で剣を学び、そして数年が過ぎた。
すでに、自分の記憶の中にある本物の家族の顔が思い出せなくなってきた頃、その男は自分の娘を初めて自分に見せた。
か弱い。
触ったら壊れてしまいそう。
だが、こっちに向かって一生懸命手を伸ばしてくる、その赤子はとても愛らしく思った。
自分にないもの。
ある時それをあの男に言われたが、その赤子と対面した時、それを始めて理解した。
自分は、その時。とてつもなく、この娘を守りたいと思っている。
自分の、のちに妹となる彼女を。
「エギル様、本当によろしいので?」
「あぁ、構わん。それよりも、お前は親父を連れ出さなくていいのか?」
「ソドム様は今準備をなさっています」
「……わかった」
玄関の前で仁王立ち。そんな姿を見られたらソフィーにまた怒られるだろうとエギルは思っていた。
現在、屋敷にいるメイドと執事たちは地下にある通路から外へと向かわせている。残っているのは、一番この屋敷に仕えている執事のハルジ。そして、メイドのソフィーだけだ。
「お前も早めに出て行ったほうがいい。少なからず、この家はしばらくの間使えなくなる」
「……どうか、質問をなさることをお許しください」
「なんだ」
質問、その内容はわかってる。
「どうして、あのような客人をかばうために家を投げ出すのですか。あの者を差し出せば、こちらには何も……」
「……ハルジ、貴族とは一体なんだ?」
「は?」
「俺は養子だ。もっと言うなら平民だった。富もあり、名声もある。自分がグラウスの名前を背負っただけで、この家の当主になるまで上り詰めた」
だが、
だが、それだけだった。
安定した生活。危険とは無縁の生活。ただ何もせず、存在のために背負った名前と役割。
そこに、何の生きる価値があるか。
いや、ないだろう。
「自分は、妹が全てだ。妹の選択した道に障害があるのならば断ち切る。妹に近づく男がいるのなら切り伏せる。そして」
妹の選んだ男が正しいというのなら、最後まで信じる。
五年前冒険者になり、ギルド職員になると言った妹を送り出したのは自分の選択でもあった。それから音沙汰もなく、風の噂で彼女の働くイニティウムで災害が起こったと聞いた時は心臓が止まるかと思った。
その時初めて自分は彼女の選んだ道を否定した。
それは愛ゆえか、それともただのエゴだったのか。
これは、一度でも彼女の行く道に立ちはだかった罰だろう。
「付き合ってくれるか、ハルジ?」
「付き合うも何も、私の命はグラウス家とともにあります。最後まで、お供させてください」
恭しく礼をするハルジに背を向け玄関へと向かう。
かつて、自分が失ったもの。
そして、与えられたもの、
そこで得たもの。
そうか、自分の剣には何がないのか。
どうして自分は、あの男に未だに勝てないのか。理由がわかった。
俺は今、こんなにも、
この家と、家族を守りたいと思ってる。
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「ここを抜ければ、裏に出られます。それではお気をつけて」
「ありがとうございます」
ソフィーの案内で、目の前には鉄格子の扉だ。外から漏れる太陽の光が導いている。そのまま、彼女は背を向け元の屋敷へと戻る道へと戻ろうとした。
その時だ。
「ソフィーっ!」
「お、お嬢様っ!?」
突如、自分の横からメルトが荷物を放り出しソフィーのそばに駆け寄り抱きついた。その姿は、まるで母親と子供だ。
「ソフィー……今まで、ありがとうっ」
「お嬢様……あなたのおそばで使えさせていただき、十八年……一度も気の抜けない日はありませんでした」
「う……」
「でも、それは……私にとって、かけがえのない十八年間でした。お嬢様が笑えば、私も笑い。お嬢様が涙すれば、私も涙を流しました」
ですから、今は。隣にいる、その殿方と。ともに泣き、ともに笑い、ともに生きなさい。
その言葉を最後に彼女はメルトを体から離す。
「しっかりと生きなさい、メルト」
「っ、はい……っ!」
メルトの肩を軽く叩いた後、彼女は再び、二度と振り返ることなく屋敷の道へと戻って行く。
自分たちも、前に進まなくては。
戻ってきたメルトの肩を抱きながら、通路の鉄格子の扉を開ける。すると、そこには広い庭があり、その真ん中に一台の馬車が控えていた。あまり派手ではない、街中で貸し馬車として走ってそうなものである。
これならば、他の馬車に紛れ王都を脱出することができるだろう。
「お嬢様っ! イマイシキ様っ! お急ぎを」
遠くの方で馬車の御者らしき人物が遠くで手を振っている。
少し駆け足気味に馬車の方へと向かうと、御者がメルトの荷物を取り、馬車の中に荷物を運びいれた。
「王都を抜けたら、私はお屋敷に戻ります。そこまでの付き合いですがご勘弁を」
「えぇ、わかりました」
荷物を運び入れながら御者は説明をする。
あくまで、この馬車は王都から脱出するために使うものだ。長く使ってしまえば特定されてしまう可能性だってなくはない。そう思いながら、御者の手伝いをする。
いずれは、メルトを連れてこの屋敷に戻ってくるときがあるだろう。また、大きな借りを作ってしまった。改めて自分は大勢の人に助けられて、文字通り生きているのだと感じる。
馬車への詰め込みが完了した。その瞬間、屋敷全体が大きく揺らすような爆音が響く。そして一部の窓ガラスが割れて庭の方へと降り注ぐ。
「お急ぎをっ!」
「は、はいっ」
おそらく、屋敷の中では攻め込んできた王都聖典教会と戦闘状態になっているのかもしれない。急がねば。
そう思い馬車に乗り込んだその時、前の方へと乗り込んだ御者が軽い悲鳴をあげた。そして、そのままズルリと地面へと落下してゆく。
「ちょ、大丈夫ですかっ!」
慌てて御者に駆け寄るが、息はしている。どうやら何かに当たって気絶をしたらしいのだが、ふと後頭部を見ると血を流している。周囲を見渡し、警戒をする。だが、周囲を見渡す必要はなかった。
すでに、目の前にその敵はいたのだから。
「どうも、先ほど会ったばっかりでまた会うとは。奇遇だね」
「あなたは……」
サミュエル=ペンドラゴン。
白い軍服を着込み、そして真っ白な髪を揺らしながら近づいてくるその姿はまさに、死神のようだと翔は思った。
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「いやぁ、それにしても。まさか王家の剣術指南の方と殺し会えるだなんて夢にも思ってませんでしたよぉ」
「はぁ……はぁ……趣味が悪いですね副隊長……」
すでに屋敷の中の壁には大きく削られたかのような跡、そして地面には大きな穴がいくつも開いている。修繕を考えただけでも頭がイタイ話だ。
「騎士団の人同士での決闘は禁止されてますからぁ。こういった体験も、いいものですねぇ」
「……スゥ」
深く息を吸い込む。その瞬間、体全身に軽量の魔術を行使、爆発的な速度で相手へと向かう。
相手は、王都騎士団副隊長のユークリッド=アレクセイ。
王都騎士団で剣の腕はペンドラゴンを除き一、二を争う。ペンドラゴンははっきり言って化け物だ。
元一番隊のレギナ=スペルビアとは全く違った戦闘スタイルをとるこの男。レギナは相手に隙を作らせるまで攻撃をするタイプだが、彼の場合、相手に隙ができるまでとことん防御をするタイプだ。ゆえに、あの二人は常に模擬戦では激戦を極めた。
まずは突き、だがそれを少しも触れることなく、ただ体を反らしただけで躱されてしまう。そして壁に激突する寸前に反転、壁を思いっきり蹴り上げユークリドに再び攻撃を仕掛けるが、それも少し体をそらされるだけで躱されてしまう。
見えてるのか、
いや、それにしてはあまりにも動きがギリギリすぎる。
「それにしても、これが神速ですかぁ。全く見えませんねぇ」
「っ、勘だけで……っ!」
「はいぃ、そうですよぉ」
ふと耳元で囁くかのような声。
疾さだけでは、あの男には手も足も出ない。
ならばっ
三度目の攻撃が終わった直後、先ほどと同様に、壁を蹴り上げるが向かう場所はユークリッドの方ではない、広いエントランスに見える二階の廊下、そこまで一気に飛び上がる。
そこで、壁にかかっている剣を片っ端から引き剥がし、一階の真ん中に立つユークリッドに向けて勢いよく投げつける。
疾さで勝てないのなら、手数で勝負だ。
身体強化と、さらに上乗せした魔術で飛ばされた剣は地面で大きな音を立てながら衝突してゆく。どれもただの鈍ではない。かつて、この家の先祖が代々戦場で使ってきた由緒ある名剣だ。たかがこのような使い方をして折れるようなものは一つもない。
地面が大きくえぐれ、そこには舞い上がった煙が一階に立ち込める。これで彼を倒せたとは思っていない。むしろ、警戒すべきであろう。今ここで飛び込んだら、自分も全く敵が見えないのだから。
両手に剣を二つ持ち、一階へと舞い降りる。
煙漂う中、ユークリッドの姿はどこにも見えない。
だが、一瞬。
ほんのかすかに、煙の動きが変わった。
「……!」
一閃、だが剣は煙を斬るかの如く消えてゆく。
手応えはない。
再び煙が動く。
その度に剣を振るうが全くもって手応えはない。
しかしだ、
確かにそこにいるはずだ。どこからともなく、クスクスと確実に笑い声が聞こえてくる。
「さてぇ……私を見つけられますかぁ?」
「っ……」
煙の中から声が聞こえてくる。
であれば仕方がない、剣の鞘を持ち、一方向に投げつける。すると、奥の方で窓ガラスが割れる音が聞こえた。外から入り込む風が徐々に一階の煙を取りはらう。
見つけた瞬間、即刻……
「第3章 英哲の人より。あなたは良き人を得た、なぜなら目が見える、耳が聞こえる、肌で愛を感じる。だが同時にあなたは知ってしまった……」
その瞬間、全く感じ取れなかった気配が自分の肩を切りつける。
吹き出た血が、ビタビタと地面を叩く音が響いた。
「な……っ」
振り返り、正面を見る。
そこには、左手で胸元の首飾りを握り、なんとも慈悲深い顔で剣を振り上げているユークリッドの姿がいた。
「目が見える恐怖を、耳が聞こえる恐怖を……」
そして、
肌で、愛を知る恐怖を。




