第161話 王城の色
屋敷の大きすぎる扉を抜けると、そこにはこの屋敷の前で一度見たことがある馬車が停まっていた。どうやら自分は殺されずに済むらしい。だが、乱暴に引かれた手枷の紐のせいで少し前に蹌踉めく。
「さっさと乗れ」
エギルにケツを蹴り上げられ、開かれた馬車の扉をくぐるが、もはや扱いは囚人のそれである。中に入ると、さすがは貴族仕様の馬車。座る部分には綿が仕込まれており、座るととてもふかふかしている。比べてしまっては申し訳ないが、ハンクの馬車よりも乗りごごちが良い。
そして、その向かい合わせに自分の手枷の紐を持ったエギルが座るわけだが、
「おい、何罪人が堂々と馬車の椅子に座ってるんだ?」
「え? 罪人って……確かにそうですけど……」
「妹のキスを勝手に奪った罪、妹にキスされた罪。それだけで今貴様の首と体が繋がってることをありがたいと思え。床で正座しろ」
「は、はぁ……」
飛んだ言いがかりである。このシスコン兄貴は。
仕方なく、馬車の狭い足の置き場に腰を下ろし、両膝を前で合わせて正座をする。ソファーの柔らかな感触から突然硬い床に変貌したため明らかに足が痛い。
そして、目の前で馬車の扉が閉じられ、それを合図に馬車が進む。大変揺れが少なくて乗りごごちも最高だったんだろう、と翔は思いながら地面からくるダイレクトな衝撃に思わず顔を歪めてしまう。
そして、門を抜けとうとう屋敷の外を馬車が走る。
「いいか、まずお前はこれから王城で色々と手続きをしてもらうわけだが。文字は書けるか?」
「えぇ……まぁ、簡単な文章くらいでしたら」
「ならいい。そんでもって、しばらくは投獄という形になるだろうが、裁判の準備が整うまでそこで待ってもらうしかない」
「どのくらいかかるんですか?」
「まぁ、案件も情報もそれなりに揃っているし、一週間もあれば準備ができるだろうさ。何、一週間の辛抱だ。なるべく弁護は行う、妹も裁判に参加できるように手配する。あとは、貴様次第だ」
「はい……で、すみません。足が当たってるんですが」
「当ててんだよ」
馬車の揺れに合わせ、エギルの足のつま先が右肩に食い込む。少しため息をつき、なされるがままでいるしかないのは確かである。こんなシスコンでも、今は頼るしかない。
この世界での裁判は、王都が定めた法律によって行われる。ある程度、エギルから借りた裁判の手引書で昨日の晩に勉強していたが、客観的に見て穴だらけの法律としか言いようがない。
まず、弁護人と検察官のようなシステムは存在するのだが、一定以上の身分が必要で、その上依頼に莫大な金が必要になる。それでもって、貴族側を保護する法律が多すぎるため、もし平民が被害を訴えでても裁判どころか、一方的に罪を押し付けられて終わるパターンも少なくはない。おそらく、自分もこのパターンだったのだろう。だが、その内容に身分の違いはあったが、人種によっての差別はない。
思わず頭が痛くなるような内容だが、基本的には『目には目を、歯に歯を』で有名なハンムラビ法典に通った点は多い。ただそれが、少し自分の知っている裁判を織り交ぜてあったという感じか。
そんなことを思い返しながら蹴られていると。ふと、外から小さな破裂音がいくつも聞こえてくる。気になり、少し痺れた膝を持ち上げ、馬車の間どこら外を眺めると、青空に小さな煙がいくつも破裂しては消えてゆく。そして、街並みも見てみると、そこは以前よりもさらに盛り上がりを見せた街並みが広がっている。
まるで祭りみたいだ。
「貴様も知っての通り今日は、王都を上げての祭りだ。これから二週間、王の生誕に合わせて王都に保管されている神器が民衆の間でも公開される。聖典に登場する聖遺物だ、各国から様々な人が集まる」
「聖遺物……」
各所で聞いた、聖遺物の存在。そして、そうだ。あの消えた紫の女。ステラ=ウィオーラから最初に聞いたのだ。自分の持つ剣が神話級のものだと鑑定し、そして、精霊石の中にいるサリーの存在までも見破った鑑定師。今彼女はいったいどこにいるのだろう。会ったら、知りたいことが山ほどある。
そして、行き交う人の流れをぼんやりと眺めていると。一つの屋台に目が止まった。
それは、露店に色とりどりの服を飾り、商品を片手に汗を流して一生懸命大声で売り文句を叫んでいる男。
そう、ハンクだ。
「は……ッング!」
「大声を出すな。貴様は指名手配犯だということを忘れたか? こうして床にでも座らせなければ窓から顔が見えて大変なんだぞ」
思わず声をかけようとした自分の口がエギルの手によって塞がれる。
なるほど、床に座らされているのはそういうことだったのか。彼の手が口から離れ、再びエギルが元の席に戻り腕を組んで、自分の体を蹴り始める。
なんだ、案外優しいじゃないか。
「優しいんですね」
「勘違いするな。九割九分は貴様に対しての当て付けと、妬ましさから。残り一分は自分の沽券のためだ」
前言撤回。このシスコン兄貴はただのシスコンのドSだ。
そして、馬車はやがて大きな門の前で止まる。そして、馬車の外に顔を出したエギルと、そこに立っている門番が話をすると大きな鐘の音とともに門が横にスライドするようにして開かれる。
「王城だ。決してここで問題を起こそうと思うなよ。ここには各国の資料、政治、そして王都騎士団の中枢がある。問題を起こしたらすぐさま首をはねられると思え」
「……はい」
窓の外を見ると、そこは大理石で作られたかのような白く輝く建物が多くあった。翔も地球で見たことがあるようなパルテノン神殿のような建物であったり、正面に見える建物は王城だろうか、まるでヨーロッパで見るような中世の城のようなものが見える。
一言で言うなら、世界中の巨大建造物を一箇所に集めました。といった感じの、一種のチグハグな不気味さを感じた。
「そこにあるのが、図書だ。蔵書数は世界一だろう。そして、目の前に見えるのが王の住まわれる場所だ。あそこは一番隊の騎士団と、そして選ばれた国の主要人物しか入れない」
「はぁ……」
国の中枢がここに揃っている。地球でいうところのキリスト教の総本山であるバチカンみたいだと翔は思った。バチカンもその広さは某夢の国より少し小さいくらいだそうだ。行ったことはないが。そんな広さでもしっかりと国として動いている。だが、実際聖典を信仰して成り立っている国なのだから、あながち間違いではないのかもしれない。
馬車は様々な建物を通り過ぎながら進んで行く。その間に多くの人とすれ違ったが、その中で一番気になったのは、一部分滑走路のようになっている建物があるのだ。飛行機でもあるのかと翔は思ったが、疑問に思っている翔を見かねてエギルが説明をする。
「あそこは三番隊の王都竜騎士団の訓練場だ。名前の通り、竜に乗って空から偵察を行ったりする騎士団だ」
「……」
ようはドラゴンライダーというわけかと翔は思った。確かに、この街に入った時ハンクがこの王都で犯罪を起こす奴の気がしれないなどと言っていたが、ようやくその意味がわかった。
日本で言うなら自衛隊の本部の中で犯罪を起こすようなものだ。これは。
「よし、着いたぞ。いいか、姿勢は低く。決して周りは見るな。何があってもしゃべらず、首の動きだけで対応しろ。いいな」
「....」
無言で頷き、それを見たエギルは無言のまま馬車の扉を開ける。
さぁ、勝負だ。王都。
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無言のまま、地面にひかれたタイルを見つめながら歩き続ける。一切の感情を捨て、ただ罪人のように階段を上る。
だが、ここを出るときは、自分は罪人でなくなって、堂々と胸を張り出るのだ。常にそれを考えていれば、今ここで自分に手枷をはめ紐で引かれていて、つまずくことはない。
「おやぁ? これはこれは。妹君思いのエギルさんではないですかぁ。今日はどういった後用事でぇ?」
「これは。副隊長」
突如、引かれていた紐の動きが止まる。どうやら誰かに呼び止められたらしい。声からして男性だというのはわかるが、その声は馴れ馴れしい。
「今日は、以前お話ししていた罪人を証言台に立たせるために連れてまいりました。これから手続きをさせるつもりです」
「そうですかぁ。それはご苦労様ですぅ。確か……お名前は……ぁ?」
「イマイシキ ショウ。あのイニティウムでの火災事件での犯人とされている人物です」
「ほぉ……確か、あの色落ちの隊長を誘拐した人ですよねぇ……? イマイシキさん、でよろしかったですかぁ?」
突如、話が自分の方へと向く。思わず顔を上げそうになるが、手枷の紐がそれを止めるようにして強く引かれる。
「いえ、副団長。申し訳有りませんが、この後すぐに用事を控えておりますので。失礼させていただきます」
「それは残念ですぅ。隊長を誘拐した人なんてあまり聞きませんからねぇ。では、また会う機会があれば……」
彼が自分の横を通り過ぎる。
その瞬間、今まで体験したことがないようなとてつもない寒気が全身を包み込む。まるで、今自分の喉に無数の剣が突きつけられ、一切身動きが取れないと言ったらいいだろうか。
冷や汗が、頬を伝う。そんな耳元で聞こえた彼の馴れ馴れしい言葉。
『たくさん、殺し合いましょおぉ』
狂気の域だと思った。
そしてその殺気は、自分に向けられたものだと知る。エギルは全く気にした素振りもせず、再び歩き始めた。
殺気というのは二種類ある。
一つは、一対多数で、相手全員を圧倒するかのような殺気。
そして、もう一つは、その大多数にいる中の一人に焦点を当てて殺気を飛ばすもの。以前、親父に教えてもらったことだが、特にこの二つ目を飛ばしてくる人物は絶対に関わるな、ということだった。
そして、今その危険人物が自分の後ろにいる。これほどの恐怖を自分はレギナとの対戦でしか味わったことがない。
「あ、そうだエギルさん」
「はい、なんでしょうか?」
突如、後ろを歩いていた副団長と呼ばれた男がエギルに声をかける。
「そのイマイシキさん。手続きの前に、一回団長があってみたいとおっしゃってましたよぉ」
「……隊長が?」
「はい、なので。一回合わせてあげてくださいねぇ。では、礼拝の時間なので失礼しまぁす」
そして、彼が立ち去る。それと同時に、体を舐めるように縛り付けていた殺気が解ける。力が抜け、思わず体が蹌踉めくが、なんとか肩で息をしてそれを押しとどめる。
「おい、大丈夫か?」
「は、はぁ……なんとか」
「すまないが、寄り道だ。手続きの前にまず、隊長に会ってもらおう」
「隊長……ですか?」
「あぁ、そうだ。王都騎士団の創設者にして、一番隊の隊長を発足当初から務めてきたお方だ」
建物の中に入り、足音が高い天井に大きく響く。そして、その団長の話を聞かされるのだが、創立当初からいるということで、どうやらその人は人間ではないらしい。そして、彼自身もあまり会ったことがないようだった。
「前線には出てこないお方だが、その腕は王都騎士団随一だと聞いている。粗相のないようにしろ」
「……」
無言のまま頷き、少しばかり身構える。
なぜ、あったこともない団長に自分は呼ばれたのか。思い当たる節はあるのだが、それはどれもこれも団長には結びつかない。
そもそも会ったことがないのだ。
そんなことを考えていると、徐々に細い道へと入って行く。人通りも少なくなり、先ほどまで忙しそうだった空間がまるで異次元に放り込まれたかのように静かになる。まるで、この空間だけ時が止まっているかのようだ。
少し、顔を上げてエギルの顔を見るが、彼も少し緊張しているらしい。
そして、一つの扉の前に止まる。それはこの廊下の一番奥にある部屋で、とても王都騎士団ので一番権力のある人物の隊長がいそうな部屋には見えない。そういったお偉いさんがいるにはあまりにも質素な扉だ。
「すぅ……」
エギルが扉の前で、息を吸い込み声をかけようとする。
だが、その前に扉の向こうから優しい声が聞こえてきた。
「入りたまえ。エギル=グラウス殿。そして……」
イマイシキ ショウ殿。




