第160話 第一歩の色
再び朝がやってくる。朝日が昇るのと同時に、腰にパレットソードを巻きつける。昨日は一睡もできなかった。おかげで頭がぼんやりとして体が重い。
昨日のことが鮮明に頭の中で繰り返される。そして思い返すたび頬が赤く染まるのがわかる。なんて恥ずかしいことを口にしてしまったのだと頭を抱えてしまいそうになるが。決して後悔はしていない。
あれは自分自身の正直な言葉だし、それにようやく少しだけ平穏をつかめそうな気配があるのだ。少しくらい本音を言ってもバチは当たるまい。
「フゥ....さて」
今日はどうするか。まずは、この屋敷で最後の朝食をとる。そしたらエギルにつられて王都の王城へと出向き、そこで弁護を行う準備を申し出る。彼曰く、それは約束を交わした以上、確実に実現させると言っていた。
軽く、ため息をついた後。部屋のドアに向かって歩こうとした時。再び、壁の下にはまっていた板が、地面に倒れる。
「んっ、はぁ〜。あ、おはようございます」
「....おはようございます」
下から出てきたのは、胸を突っかえさせて必死に出ようとしているメルトの姿だった。にこやかに挨拶を交わす彼女のその表情とは裏腹に、今彼女の置かれている状況は深刻そうだ。
「手を貸しますか?」
「い、いえ。お構いなくっ。あれ、おかしいな....」
小さい頃は通れたのに。などと、言っている彼女だが、色々と成長しているのだからしょうがない。
そう、色々と。
見ているのもなんだかあれなので、彼女が一生懸命に抜け出そうとしている壁の穴の前で跪き。彼女の頭に乗ったほこりを軽くとる。
「あ....ありがとう、ございます」
「両手、出せますか?」
「は、はい」
穴の両脇からモゾモゾと両腕を出した彼女の手を握る。そして、
「せえの、でいきますからね」
「はい」
「行きますよ。せえの....っ」
「ん....っ」
両手を引っ張り、彼女を穴から引きずり出す。
すると、ちょっと力をかけただけでまるでポンッ、という効果音が出そうな勢いでメルトが穴からすぽんと抜けた。
「キャ....っ」
「うお....っと」
勢いのまま、自分も彼女も後ろへと倒れる。寝不足も祟っているのか若干頭がクラクラする。少し歪んだ視界をこすり、まぶたを開けるとそこには至近距離で迫った彼女の恥ずかしそうな顔があった。
「「あ....」」
二人同時に、喉から声が出た。
すると、何かに気づいたのか彼女は馬乗りになった状態で、自分の目の部分に親指をなぞる。
「クマ、できてますよ? 眠れましたか?」
「ちょっと....だけなら」
「嘘をついちゃダメです。ベットが綺麗なの、どうしてですか?」
「う....それは....」
「自己管理はしっかりしてくださいね。睡眠も大切ですよ」
少し怒ったような表情をした彼女に思わず苦笑をしてしまう。なんだか懐かしい感じがした。しっかりと、彼女にもイニティウムでの経験が根付いているらしい。
「はい、気をつけます」
「今日は大事な日ですからね。ショウさんも頑張ってください」
「えぇ....え〜っと....そろそろいいですか?」
「へ?」
現在、自分が彼女に押し倒されて自分が下敷きとなり、彼女が馬乗りになっている状態である。キョトンとした彼女の表情が少し愛らしかったため、握られた左手に軽く力を込める。
そして、既に色々とキツいのだ。
特に胸とか。
そのことに気づいた彼女は途端に顔を真っ赤にさせ、有り余った勢いで飛び上がる。さすがに恥ずかしかったのだろうか、だがその反動で大きく飛び上がった彼女は大きく後ろに倒れそうになる。
身体強化術発動。
魔力を流し、早業の腹筋の力で後ろに倒れそうな彼女の背中を抱きすくめ、引き寄せる。
「あ、ありがとうございます....」
「い、いえ」
とっさに引き寄せたのだが、顔の距離は明らかに先ほどよりも近い。
このままいけるか?
徐々に近づくふたりの顔、
聞こえる息遣い、心なしか彼女の顔もとろけているように感じる。
そして、互いの唇が今まさにふれ合おうとしたその時。
「ンンッ! 失礼します」
「「わぁっ!」」
二人して軽い悲鳴をあげる。せきばらいの声が聞こえた方を向くと、そこにはメイド服に着替え少しばかり目線をそらしているソフィーの姿があった。
ノックの音。聞こえていないように思ったのは気のせいだろうか。
「そ、ソフィー....」
「お嬢様、いくら恋人同士であるとはいえ。朝から殿方の部屋に向かうのは、女性として、だらしないのではないでしょうか? そして、イマイシキ様もここは当家のお屋敷であるということをお忘れなきよう」
深く、深く一礼をした彼女。言われてみればその通りだ。いうならば、ここは彼女の家だ。日本でもしそんなことをやろうものならば、彼女の家族に殺されるかもしれん。いや、実際この状況を彼女の兄に見られたら、本気で殺されかねん。
事実、やることはすでにやってしまっているのだがそれがバレていないのは奇跡過それとも知らないふりをしているだけなのか。
とっさに二人は離れ、服装を正し。自分は、入り口の方へと、そして彼女は何を慌てたのか、先ほどの隠し扉の方へと入り込み始めた。
「お嬢様?」
「ひっ....」
「....お部屋の出口はこちらでございますよ?」
そりゃそうだ。
すでに上半身が入り込んだ状態だった彼女はのそのそと体を外へと出し、服の裾を払い、部屋の出口へと向かった。なんだか足元までおぼつかない。
「お食事の方はもうご用意しております。私はこの部屋の清掃があるため、案内はできませんが。お嬢様の後をついて行けばわかりますので」
「はぁ……ありがとうございます」
「どうか、ただれた関係はやめてくださいね。昨日も言いましたが、お嬢様は私たちの宝です。もし、お嬢様に何かあったら……」
全くのノーモーションで素早く花を切る用のハサミが翔の喉元に突きつけられる。
「刺し違えてでも、あなたには死んでいただきますので悪しからず」
「……き、肝に銘じておきます」
彼女は、愛されているのだ。
そう、それは深く、
深く……
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「き、貴様っ! 貴様は刺し違えても殺すっ! 殺してやるっ!」
「ま、待ってくださいっ! 食器は凶器じゃないんですからっ!」
そして、ここにも深すぎて多少歪んでしまった愛の持ち主が一人。いまエギルは、食事用のナイフとフォークを両手に振り上げ、翔の上で馬乗りになり、翔はそれをパレットソードを抜かず鞘でエギルの両腕を押さえているのである。
どうやら、自分とメルトが部屋から一緒に出てくるのを見ていたようだった。
寝癖なのか怒りかわからないが、白銀の髪が逆立ち、正直闘技場で戦っていた時よりもおっかないと翔は感じていた。
なんとも爽やかな朝にふさわしくない光景である。
「お、お兄様。昨日は、昨日は何もありませんでしたからっ! き、キスしただけですからっ!」
「この野郎、ぶっ殺してやるっ!」
必死にエギルの方を押さえているメルトだが、その発言は火に油を注いだだけのようだ。よりエギルの両腕に力がこもり身体強化術を使っているのにもかかわらず押し負けそうになる。
自分の腕が所々変な音を立て始めた、その時だ。
「次期当主様とも、あろうお方が。食器で客人に襲いかかるとは何事です? すでに私が指導することはないとは思っていましたが……、またやり直しますか?」
「そ、ソフィー……さん」
急に力が緩み、その場に軍人のごとく立ち上がったエギル。彼の視線の先にいたのは、先ほどまで自分の部屋の掃除をしていたはずのソフィーだった。
と言うか、10分も経っていないのにもかかわらず部屋の掃除を終えたというのか。メイドとはみんなこんな感じなのか?
「で、ですが。メルトが、メルトがこんな男にっ」
「エギル様。お嬢様も成長をするのです。以前の話したとは思いますが、お嬢様もいずれはどなたかと結ばれ、この家を離れるのです。お嬢様を愛するがゆえ、一昨日のように『妹に何かがあった』などと言って職務を放棄して帰られては困るのですよ」
「ぐ……」
ソフィーの言葉に一昨日、彼が急に家に乗り込んできたのってそういう理由だったのか? と思い思わず目を丸くしながらエギルのことを見る翔。
だとしたら、もう恐ろしいを通り越して感心すらする。
そして、いつまで床に突っ伏しているわけにはいかないため、いい加減立ち上がるが、立ち上がった自分を見るエギルの目は冷たい。
「さっさと食べるぞ、そしたら貴様を王城に連れたのち、拷問にかけてやる」
「……勘弁してくれ」
朝食の内容は、貴族の家でなのか、それとも彼らが獣人で猫なのかわからないが、肉中心の料理が多い。ちょっと人間には胃がもたれそうな内容だ。メルトも含め、家族は全員美味しそうに食べている。その中には昨日会ったソドムはいなかった。
「当主は朝に弱いゆえ。朝食には参加できないのです」
「あ、はい。ありがとうございます……丁寧に」
だいぶ顔には出さないようにしてはいたのだが、やはり自分の顔は他人から読まれやすいのだろうか? それともこのソフィーというメイドがすごいのか。
「イマイシキ、今日は朝食をとった後王城へと向かう。希望はできる限り叶える。もし、何かそぐわないことがあったら言え。対処はしよう」
「ありがとうございます」
「あぁ、約束だからな。これで妹に嫌われたら俺は生きてられん」
そう言いながら肉にがぶりついているエギルだが、自分のためではなく、メルトのためというのが彼らしい。そして、その発言を聞いて肝心のメルトは訝しげな目でエギルを見ている。すでに彼は嫌われているのかもしれない。
そして、重すぎる朝食は終わり、自分は両腕を拘束される。一応自分は犯罪者だ、拘束されていくのは当たり前だろう。
「では、いくぞ」
「はい」
広すぎる玄関、紐で結ばれた両腕の手枷をエギルに引かれながら、扉へと近づく。すると、広い玄関にパタパタと軽い足音が響いた。後ろの方を振り向くと、メルトが出迎えに来てくれたようだ。
「ショウさん」
「……行ってきます。大丈夫です、自分は無実なんですから。ちゃんと帰ってきますよ」
「……はいっ、気をつけて」
少し微笑んだ彼女は、そっと近づき。頬に口づけをする。生きて帰らねば、約束を違えてはならない。
もし、この約束ですら守れなかったら。自分は生きている価値なんてない。
しっかりと望んで、胸を張り、出向こうではないか。
自分への第一歩に。
「おい、貴様殺すぞ」
「……すみません」
だが、その前に。今自分の手枷の紐を握ってるやつに殺されそうだ。




