第157話 炎色反応の色
覚醒の兆しはあった。
他者の深層心理を燃焼し、己の色に変換させる赤を冠する炎が為すことができる奇蹟の技。
『炎色反応』
炎を通して、翔が見たエギルの深層心理はとても温かく、そして優しいものだった。それを、己のプライドという名の牙で覆い隠していたのが彼の本当の正体だった。そしてそれを知った瞬間、エギルの見えなかった動きが感覚で理解することができた上に、強固だったエギルの木剣の魔術を突破することができた。
「おめっとさん。これでまた一皮剥けたんじゃねぇの?」
「……おい、どうしてこの力のこと黙ってたんだよ」
「単純なことよ。今までのアンタだったら《《使えなかった》》。だから言わなかった」
「……そういうことにしてやるよ」
現在、翔はグラウス家の屋敷にある総勢二十人は入れそうな西洋風の大浴場で文字通り手と足を広げながら湯気で見え隠れする、美しい天井画をぼんやりと眺めていた。そんな翔の隣で風呂の端に寝転がりながらサリーはどこかほくそ笑み指先でいろんな色の炎をお手玉のように転がして遊んでいる。
「炎色反応……化学でやったっけか……何が何だかもう覚えてないけど……」
「相手の色で自分の色が変化するってことは、逆に染められる可能性もある諸刃の剣っていうことを頭に入れておきなさい。アンタはただでさえ他人に共感しやすいタチなんだから、相手に飲み込まれたらお終いよ」
「……肝に銘じておきます」
サリーの反対側で湯気を弄んでいたウィーネが補足で注意を入れるが、確かに彼女のいう通りである。今回はエギルとの想いが翔自身の想いと重なっていたからこそうまくいったものの、相反する想いを持つ相手に挑むときに、この新しい力を使えば負けるのは意志の弱い方である。それを頭に入れておかなければ、この力は使いこなすことはできない。
「ま、昨日の時点でちゃんと男になったんだ。あの嬢ちゃんと添い遂げたいなら、ここからがスタートラインだぜ?」
「……なんだ、珍しく真っ当なことを言うじゃないか」
「別に、俺としちゃ。さっさと面倒ごとを終わらせて、中途半端な契約をしっかり結び直して人間になりたいわーけよ」
サリーが手で転がしていた炎を握りしめるのと同時に、細かい火の粉が舞い飛ぶ。そんなサリーの言葉に呆れたように首を振るウィーネは湯気とともに姿を消していった。
「勇者様」
「ん? どうしたの?」
「誰か入ってくる」
シルの言葉に後ろを振り返る翔、確かに誰かが入ってくるような人の気配を感じる。しばらく、浴場の入り口を見ていると湯気に隠れて、タオルで前を隠しながら一人の男が入ってくる姿が見えた。
「イマイシキ ショウ。邪魔をするぞ」
「……エギルさん」
浴場に入ってきたのは、エギルだった。白銀の髪は湯気でしっとりと濡れており、この姿だけを見れば一目惚れをする女性がいてもおかしくはないだろうと翔はなぜだかそんなことを考えていた。だが、その体は軍人らしく引き締まっており無駄な筋肉がほとんどなく、そしてレギナと同様傷だらけだった。
「……ふぅ」
「エギルさん……その……えっと……」
「……言いたいことがあるならはっきり言え。少なくとも、昨日貴様と妹の間に何かがあったことくらいは気づいている」
「……はい」
「その上で、今日。貴様に負けたわけだ、久々だ。あんなにも清々しい気持ちで負けたのは」
大きく息を吐きながらエギルは、先ほどの翔と同様に天井を見ながら、息を吐いている。その隣で、翔は正座をしながら構えているという不思議な構図ではあるが。
「犯罪者風情と罵ったことは謝罪する。ただの犯罪者に、あの剣技はできない。洗練されていて、見惚れるほどに美しかった」
「その……、そう言っていただけて嬉しいです」
「誰に習った?」
「親父……いや、父に教わりました。全部を教わり切る前に死んでしまったんですけど。あと、レギナさんにも直接手解きを受けました」
「……だからか。貴様の剣に彼女の姿が見えたのは」
湯船の湯で顔を洗うエギルの表情はどこか優しげに見えた。
親父に技を、そしてレギナには実戦の基礎を。その全てが合わさってこそ勝ち取ることのできた勝利だった。
故に、エギルから自分自身の剣の中にレギナの姿が見えたと言われたのは少しだけ嬉しく思った。
「これは、興味本位で聞くが。一体どういう関係なんだ、あの九番隊隊長と貴様は」
「……一言で表すのは難しいですけど。でも、今ならはっきり言えます。彼女は、自分にとってかけがえのない、この世界での剣の師匠で、友人で、それで……どうしようもない自分を救ってくれた恩人です」
「……そうか。貴様が九番隊騎士団で彼女を攫い、人質にとっていたとは報告で聞いていたが。まさか、そういう関係になっていたとはな」
「……」
「だが、わからない。貴様のその口ぶりでは。彼女を攫ったのは自分の意思ではないように感じた。それに、妹の証言」
貴様、一体誰に嵌められた?
エギルの鋭い金色の視線が翔の黒い瞳とぶつかる。その視線から目を逸らすことはできない。だが、今のどの奥から出かかっている言葉を言ってしまえば、今までの苦労が水の泡になる。
「……言えません」
「……」
睨み合う両者。しばらく無言の時間が流れ、天井についた雫が湯船に落ちる音だけが響いている。
「……まぁいい。どうせ、明日貴様を裁判に連れ出せばわかることだ」
「……」
裁判という言葉を聞き、翔は少しだけ身構える。本当にサリーが言った通り、明日からが自分にとってのスタートラインなのだ。
「貴様はできる限り自分で弁論を立てる準備をしろ、証言台には妹と私が立つ。最善は尽くすが、あまり期待はするな」
「……もし、仮に死刑の判決が覆らなかったら?」
「どうにかしろ、それ以上のことは言えん。貴様が、妹と一緒に生きたいと願うのならな」
どうにかしろ。そこにはいろんな意味が重なっているということに翔は気づいていた。たとえ世界を敵に回したとしても自分は、メルトと共に生きると決めたのだ。こうなれば、王都でひと暴れすることも視野に入れなくてはならないだろうと考えていた時だ。
「時に、貴様は歳は?」
「え? 自分は二十一ですけど。多分」
「そうか、私と十は違うのか」
「嘘っ!?」
「本当だ。俺は今年で三十一だ」
メルトと歳は離れているというのは理解していたが、まさかそこまで離れているとは思っていなかった翔。そして同時に、どう見ても二十代前半にしか見えない彼の姿格好とのギャップに思わず出てしまった翔の声が浴場に反響する。
だが、確かに十代と言われても少し納得をしてしまうレギナでさえも二十七なのだ。もしかしたら騎士団には若返りの秘訣でもあるのだろうか。
「あ……そういえば、エギルさんって。狼の獣人です……よね」
「あぁ。貴様の言わんとすることはわかる」
「その、メルトさんとの血縁は……?」
「ない。だが、たった一人の大事な妹だ。それだけは変わらない」
メルトは猫の獣人、エギルは狼の獣人。イニティウムでレギナから話を聞いていた時から真っ当な関係なものではないとは思っていたが、それでも彼の在り方は妹を守る兄としては真っ当なものだった。
そして、炎色反応で見えたエギルの深層心理。
「当時、グラウス家では跡継ぎが生まれなかった。そのために何度も当主は違う女をひっかえとっかえで結婚したらしい」
だが、どうしても子供はできなかった。
「そんな時だ。近くの国で戦争が起きた。騎士団の一員として駆り出された当主は、その全てが争いで血に染まった村で俺を拾った」
最初は、その当主を食い殺すつもりで暴れていた。だが、彼がそれを正面から受け止めいずれ剣の手ほどきを受けるようになっていた。そして、いつの間にかグラウス家の当主候補として持ち上げられるようになっていた。
そんな時、すでに自分にとっては三番目にあたる母親が子供を産んだ。
初めてできた妹だった。そんな頃には自分が今まで育ってきた過去は幼い記憶とともに忘却の彼方へと消えていた。
「自分にとっては血の繋がらない妹。だが、同時に思った。この娘だけは、何としてでも守らなくては、とな。自分が最初から築ける唯一の絆がメルトだった」
それから、彼女の成長とともに、自分は王都騎士団一番隊に向かい入れられ、戦いの日々に明け暮れた。
「冒険者の役に立ちたい。メルトがそう言った時は失神するかと思った。だが、それも運命だったのかもしれないな。メルトが幼い頃はお転婆でな。すぐ目を離すとどこかにいっていた。そんな時、野党に襲われたことがあってな。助けたのが騎士団ではなく、赤髪の長槍を携えた一人の冒険者だった」
「……待ってください。その冒険者の名前って」
「あぁ。貴様も知っている男だ」
ロード=ガルシア。
その名前を聞いた瞬間、翔の目から涙がこぼれそうになった。ここまで、繋がってくるとは思わなかった。きっとこれは因果やそんなものではない、むしろ運命や奇跡といった類なのではないかと思えてきた。
「イマイシキ ショウ。貴様はよほど悪運が強いと見える。だが、それがいつまでも続くとは思わないことだ」
「肝に銘じます」
「だが、貴様が培ってきた絆。それは、貴様だけにしか持たない人徳だ。大切にしろ」
そう言いながら湯船をあがるエギル。
彼の顔は、どこか清々しいものを感じる。だが、一転して。翔を上から睨みつけたその金色の目には闘志が宿っていた。
「次は勝つ」
「……次も勝ちますっ」




