第152話 作戦始動の色
「……また、とんでもないビックネームが出てきたわね」
賑やかな街の形相とは裏腹に難しい顔をし考え込みながら翔の隣を歩くジジュー。それもそうだ、これからジジューに頼む仕事は戦地で敵にまっすぐ突っ込んで自殺をしろと言っているのに等しい行為である。
「それで、やらないのか? やるのか?」
「その答えについては私はイエスよ。ただ料金割り増しね。お金はちゃんと持ってるの? 財産一つ食い潰すかもだけど」
「そこは心配しなくていい、使い道に困ってるくらい持ってる」
「あら、羨ましい」
そんな他愛もない話をジジューと道で交わしているが、翔は現在ローブの魔術を発動させて他人からは姿が見えないようになっている、しかしどういうわけかジジューには丸見えらしい。だがこちらの方が都合がいいようにも翔は思えた。
「グラウス家は、この市民街を抜けてさらにその向こう側にある貴族街のさらに奥にある場所に屋敷を構えているわ。祭りの参加者は当然入れないし、貴族街だからこんな格好で行けば摘み出されておしまいね」
「……何か手はないのか?」
「そうね、脳筋で真っ直ぐ突っ込んでもいいけど。あなた、最強の騎士団とやり合う覚悟はある?」
「バカを言うな。これ以上罪を重ねたくはない」
ここ王都の騎士団がどのようなものなのかはわからないが、王都を守る先鋭が揃っている騎士団と正面からやり合って勝てるほどの実力を翔は持ち合わせていないと感じていた。故に、極力衝突は避けたい。
ふと、ジジューの足が止まる。
そのまま体を九十度回転させ、駆け出した彼女の背中を翔は慌てて追いかける。人混みの中を急に駆け出した彼女が向かった先は祭りの屋台の一つだった。
「おじさん、焼き串二つちょうだい」
「あいよ。銅貨六枚ね。あと、こいつはサービスだよ、可愛いお嬢ちゃん」
「わぁ、ありがとう。おじさん」
そう言ってウィンクをしながら肉と野菜が交互に刺さった焼き串三本をジジューに手渡す男。同時に、逃げ出したのかと思った翔は少しだけ安心して胸を撫で下ろす。
「逃げたと思ったでしょ?」
「……別に。それで、三本ともあんたが食うのか?」
「欲しいの? ま、いいけど」
祭りの人混みを避け、街の路地裏へと入り翔はローブの魔術を解く。そしてジジューから受け取った焼き串を受け取りかぶりつきながら青い空を眺め、これからどうしようかと考え始める。
目の前で焼き串を食べているジジューも翔と同様に空を見上げていた。
「まず、報酬の話をしようか?」
「……へぇ。どういう腹づもりなのかしら?」
「やる気を出してもらいたい、聞いておいて損はないだろ?」
「確かにね。それで、そっちが提案する額は?」
「金貨五百枚」
翔が額を提示した瞬間、ジジューの表情が固まる。その反応が安かったのか高かったのかはわからない。だが、少なくとも意表を突く事ができ、少しだけ満足を覚えた翔だった。ちなみに、金貨五百枚はイニティウムの街を守った時にギルドからでた報奨金全額である。
一般人なら、贅沢をしても一年は余裕で暮らしてゆくことのできる額である。
「……それ、本当?」
「安いって言うんなら、前金として金貨五百枚払う。そこから百枚上乗せしても、」
「ストップっ! 十分っ! 十分だからっ!」
串を持った両手を翔の前に突き出すジジュー。流石にここまでの額を翔が用意できるとはジジューは思っていなかったのだろう。
「それで、やる気は出たか?」
「……はぁ。出たは出たけど。そこまでして手に入れようとしてるのって、あんたが言ってた『彼女』?」
「……あぁ、そうだ」
「情報として聞くけど。あんたとその彼女は恋仲? それとも夫婦?」
「……どっちでもない」
「なら、なんで金貨五百枚かけてまで……。言っておくけど、そんなにお金があるなら、あんたが行ってたエリシェで何人でも女を抱けるわよ」
「……メルトさんの代わりはいない」
いつだって、メルトの言葉が自分を勇気づけてくれた。
いつだって、メルトの存在が自分を見失わずに導いてくれた。
メルトの代わりはいない。自分の一方的な想いだったとしても。
それを伝えなくては、
メルトと一緒にイニティウムに帰らなくては、
そのためだけに、ここまで走ってきたんじゃないか。
「はぁ……結局は。片方は大貴族様のご令嬢、そしてもう片方は大罪を犯した一般人、その二人の恋のダシに私を使おうってわけね」
「……」
「わかった、報酬に問題はないし。それに、たまにはこういう仕事も悪くないかもね。ひっさびさに本気出しちゃおうかなぁっ。適当なところで宿を取っておいてよ、一週間後に会いましょ」
両手の串を地面に投げ捨て、翔に向けて背を向けて大通りへと出ようとする。その姿を慌てて追いかけようとする翔だったが、ジジューは人混みの中に紛れ込んで一瞬で姿を消した。
ジジューが姿を消し取り残された翔は、彼女の言葉を信じ、近くでギルドの運営している宿へと泊まることにした。巡った宿のほとんどは祭りの観光客で埋まっていたが、貴族街の一歩手前のギルドの宿でスイートを取ることができた。
そして、一週間後。
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「これが、グラウス家の屋敷の見取り図。そして警備兵の配置と数、そして屋敷にいる使用人のリストとグラウス家の家族構成ね」
「……すご」
「まぁ。ザッとこんなもんね、ほんとはもうちょっと色々調べたかったけど。一週間ではこれが限界ね」
「いや。十分だろ」
一週間後の夜、翔の泊まるホテルのスイートの窓から侵入してきたジジューは手にいっぱいの資料を持ってやってきた。半ば信用していなかった翔だったが、ジジューの完璧な仕事を前にして呆然としている様である。
「まず、警備なんだけど。グラウス家は警備が他の貴族の屋敷より薄いわね。まぁ、王都で代々剣術指南をしている家系だし、逆に不法侵入するのが自殺行為よね」
「まぁ、確かにそうだな」
「と、言うわけで。屋敷の内側に入ること自体は私がやるから問題ないとして、問題なのはその後。そのおかしなマスクつけて中に入ってもいいけど、それなりの身分を用意しなきゃ絶対に屋敷の中には入れない」
「……ならどうする?」
翔の質問に対し、ジジューはニヤリと笑い、待っていましたと言わんばかりに一枚の貼り紙を取り出し、翔の前に突き出す。
「あんたを違う身分でこの街にやってくることを街の噂に流しておいた。もちろん本名じゃないけど。仮面の貴公子、グラウス家の剣術に挑むってね」
「……ちょっと待て。仮面の貴公子? 僕が?」
「そう。街に流した噂は必ず貴族の耳に入る。お祭りだからみんなの噂の伝達は早いはず」
勝手なことを、と翔は思ったが確かに悪くない作戦だった。改めて、翔は目の前の貼り紙の用紙を見ると、そこにはマスク姿の翔が描かれており、下の文章には『イニティウムからの仮面の貴公子、グラウス家の剣術に挑む!!』と大々的に書かれていた。
そして、その下には日付も書かれており、決行は明日となっていた。
「さぁ、お膳立てはしたけど。一番警戒しなきゃいけないのはグラウス家の次期当主エギル=グラウス。今の王都騎士団一番隊の一人で、相当腕が立つ人物らしいわよ」
「……そいつは、どうするんだ?」
「ちょうど、この日は一番隊の公務が王都の城である予定。だから、明日は時間勝負ってところかしらね。エギルが戻ってくる前に、愛しの彼女を連れ去ればあなたの勝ち、もし鉢合わせになったら死ぬか、もしくは戦うか」
「……」
無理難題なことを、と思ったが今はこの作戦しかない。
どうする? と言わんばかりのジジューに翔は無言で頷く。
これで作戦は決まった。
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次の日の朝、グラウス邸の周辺には獣人、人間問わず大勢の民衆が集まっていた。おそらくジジューが流した噂が人を呼んだのだろうが、ここまで効力があるとは人間とは恐ろしいものである。
その間を縫うように翔はローブの魔術を発動させ、ジジューの歩く後ろを通ってゆく。そんな彼女の手には一つのボールが握られていた。そしてそのボールを何食わぬ顔でグラウス邸を囲む壁の向こう側に投げ込む。
作戦開始の合図だ。
「クソ……っ、なんだってこんなに人が……」
「あ、あのっ!」
悪態を吐く門番にジジューが近づき、そのあどけない表情で門番を見つめる。完全に見た目は中学生以下にしか見えないため、門番も特に警戒はしていない。
「なんだ」
「あのねっ! ボールがお庭に入っちゃったのっ! 取りに行ってもいい?」
「はぁ、取りに行ってやるから。待ってろ」
「ありがとうお兄さんっ!」
ジジューの罪な笑顔が門番を動かす。鉄の門が開き、門番が屋敷の庭の中へと入ってゆくのと同時に、姿を消したままの翔も一緒に中に入ってゆく。
第一関門。
魔力探知をクリア。
グラウス家の門には入り込んできたものの魔力を探知してアラートが鳴る仕組みになっている。そのため、門をなんの用心も無しに飛び越えようものなら、たとえ姿を消していたとしても侵入したことがバレてしまう。そのため、門番が出入りする時にアラートを消したタイミングで翔も侵入する必要があった。
ふと後ろを振り向くと、ニコニコと笑いながらジジューが手を振っていた。
ここから先は、自分の方便がどこまで通用するかが勝負である。
メルト奪還作戦。
始動。




