第144話 一人旅の色
レギナと別れてから一週間という月日が経った。現在、翔はメルトがいるであろう王都イディウムへの出発の前準備として各所のギルドを転々としているところだった。
ギルドでの翔の扱いはどこも手厚く、今までギルドやらの施設を避けて通っていたのが馬鹿らしく思えるほどだった。そして、馬鹿らしいと言えば冒険者ランクがSランクに上がった弊害とも言えるに等しい定期給付金である。それがあまりにも膨大すぎて、正直に言えばこのまま人里のいない場所に逃げてどこかで平然と贅沢三昧しても一生使いきれない程の金が手元にある状態である。
当然ながら、そんな現金を持ち歩くことはできないため各所ギルドで少しずつ金を下ろして使う予定ではあるがここで逃走資金の問題が解決したのは僥倖ではあった。
「グラウス……か……」
現在、イニティウムから遠く離れた名前の知らないような田舎町のギルドの事務所の裏でスープを出してもらっている翔。コンソメ風味の少し塩辛いスープが走り続けた体を癒してくれている。当然ながら、ここまで翔の手配書は渡っておりギルドの一歩外を出れば血眼になって翔のことを探している憲兵に袋叩きにされてしまうだろう。
「ショウさん、ご加減はいかがですか?」
「おかげさまで……、すみません。ここまで手厚くしていただいて」
「いいんですよ。イニティウムの惨状はこちらにまで届いていましたからね。ましてや、そこの英雄ともあられるお方がこのギルドに来ていただけるとは。光栄の極みです」
「ハハハ……英雄……か」
そう言った狼の頭をしたギルド職員に悪気は全く持ってないのだろうが、翔にとってその言葉はどこか引っかかるものを感じていた。乾いた笑いで翔はギルド職員の羨望の眼差しを誤魔化しながらスープを口につける。
季節はとうに冬をすぎて、春に差し掛かろうとしている時期だった。少しだけくしゃみをした後、翔は先ほど呟いていた言葉をギルド職員に問いかける。
「グラウス……、この名前を聞いて何を思い浮かべますか?」
グラウス。その名前を聞いた瞬間、先ほどまで微笑んでいたギルド職員の顔が少し険しくなる。
「グラウス様と言ったら、王都の名門貴族ですね……。おそらく王都では一番権力のある貴族と言っても過言ではないでしょうか? それと、聖遺物の『王冠』を創り上げた一族の末裔ということしか……。正直に口にするだけでも恐れ多い方です」
「……なるほど。わかりました。すみません、変な質問を」
「いえいえ。それとショウさん。地図の方が完成しましたので是非ご覧になって欲しいのですが」
「わかりました。向かいます」
現在ギルドに依頼していたのは、王都に向かうための正確な地図の作成である。今いる場所から王都まで向かうのには最短でも陸路で三ヶ月以上はかかってしまう。しかしそれはあくまで正規のルートを通っての話。ギルドの情報網を確保しながらであれば一ヶ月で王都にたどり着くことが可能である。
しかし、問題は当然ながらある。
「このルートであれば一ヶ月でいくことも可能ですが、当然安全な道を度外視しています。山道であったり魔物、盗賊がいるような道を含めたルートになっています。ショウさんであれば心配はないと思うのですが、どうかお気をつけて」
「……わかりました。ありがとうございます」
危険なことを承知の上で行くのであれば、そこで出会う人間も少ないだろう。こちらとしても好都合ではある。
王都イディウムはこの大陸の七つの国の中心に位置した大都市兼立派な軍事国家だ。流通のほとんどをこの国を介して行うため小さな国ながらでも、騎士団の中心地であり、物流の中心地であり、そして何より希少な魔石の産出地として周りを囲っている国を追随しない程強大な力を持っている。
そして、王都イディウムは聖典によるところの最後の聖戦の地としても有名である。聖戦によって生まれた巨大なクレーターはそのまま王都と呼ばれて今尚色を持つものに支配されている。
詳細を知っている翔からしてみれば全くもって皮肉な話である。
さて、まず初めに今回の旅の目的はメルトの奪還である。しかし、その方法についてはいまだに思案中という具合だ。金は十分にあるため、旅の路銀には困らないだろう。しかし、路銀に困らないというだけであって、メルトを奪還するのにはなんの役にも立たない。もちろん、その先の逃亡資金としても十二分に活用することはできるが、金でメルトを買うことはできない。
「はぁ……弱ったなぁ……」
一国の大貴族であるお嬢様を攫おうとしているのだ。ましてや、翔自身騎士団から追われる身であり、王都イディウムに行くことそのものが敵の巣穴に入り込むようなものである。
そもそも、メルトはイニティウムに戻ることを望んでいるのか。
もう一度だけ、メルトからの手紙の文面を読み返し翔は確信をする。
『最後に、私のことは探さないでください』
「昭和の家出かよ……メルトさん」
得てして文章というのは、その言葉の裏を読んでしまえば本音というものが見えてくる。『私のことは探さないでください』という言葉、これを素直に信じて探さない人間が一体どれだけいるだろうか。
少なくとも翔は違った。
危険なのは承知の上である。だが、やるだけの価値はある。
彼女は、イニティウムに帰ることを望んでいる。
「……よし、行こう」
ローブを羽織り、貰った地図を手にしながら翔はギルドを後にする。
外は若干小雨が降っており、道ゆく人はどこか下を見ながら急足で帰路についている途中だった。そんな彼らとは逆の方向へと翔は歩いてゆく。
一人で歩く道は、どこか寂しげで、別れたレギナの存在はかなり大きかったのだと痛感する一週間だった。しかし、それも慣れてしまって一人で歩く道もそこまで悪くないと思えた。少なからず、これからの旅は人と関わることは避けていかなくてはならない。
レギナの場合はともかく、ロザリーのような一般人を自分たちの問題に巻き込んでしまったところで責任を負うことができない。ましてや、旅の道中殺されてしまうなんてことがあれば、きっと二度とこの剣を振るうことはないだろう。
だが、そんな自分も多くの人に助けられた旅路だった。
これだけは言える。決して、無駄な旅路ではなかったということを。
「一人旅になったわけだけど。アンタ、大丈夫? この一週間笑った顔見てないわよ?」
「ウィーネさん。逆に一人で勝手に笑ってたら気持ち悪くないです?」
「それもそうね。でも。アンタ、少しは笑う練習した方がいいわよ」
「笑う練習、か……」
いつの間にかミニマムサイズになって肩に乗っているウィーネの姿を横目に、自分の顔はそんなにこわいものなのかと、心配になってきた翔である。
ちょっとだけ自分の頬を釣り上げたり、顔のパーツを指でいじりながら歩く翔の一人旅。ローブの魔術がなければただの奇行である。
「にしても、あの女がいなくなってくれたおかげで俺も外に自由に出られるようになったってわけだ。あぁあ、肩っ苦しくてたまらなかったぜ」
「サリー、アンタねぇ。さっさとこの子と本契約結んじゃいなさいよ。私の精霊石があるからいいものの、いつまで経ってもアンタの力を引き出せないままじゃない」
「と、まぁ。言いたいところだが。自分の真名も忘れちまってるし、前に結んだ本契約もすっかり忘れちまってるし。どうにもできないのが辛いとこなのはこっちも同じってわけでしてねぇ」
「ウィーネさん。こいつの本名知らないんですか?」
いつの間にか隣を頭の後ろで手を組み歩いていたサリーのことを無視し、ウィーネに話しかける翔。だが、そんな彼女の返事はノーであった。
「基本的に、精霊は精霊同士の真名を知ってはいけないの。まぁ、暗黙の了解ってやつね、もし知っていたとしても他言してはならない。それだけ、真名というのは精霊にとって拘束力があるものなのよ」
「そう、なんですね……」
「そう。だ・か・らっ! アンタはしっかり契約者らしくっ! シャンとしないとダメなのっ! そんな表情で歩いていたらこっちの株も下がるってものだわっ!」
「わかりましたっ、わかりましたからっ! 耳元で叫ばないで……って……?」
ウィーネから肩で大声で契約者としての心構えを叫ばれた翔、だが、その声に混じってどこかで誰かが叫んでいるような声が聞こえてきたのである。
気のせいだろうか。
きっと気のせいに違いない。
こんな耳元で大声で叫ばれて、気づくはずが。
「ショウ、アンタ……今の……感じたの?」
「いや……もしかしたら勘違いかも……」
困惑するウィーネの横で、同じく困惑しながら周囲を見渡す翔。だが次の瞬間、はっきりと聞こえた。
『助けて』
という、男の声が。
「っ!」
声の聞こえた方向へと向かって一気に駆け出してゆく翔。なぜ、自分にその声が聞こえたのかはわからない。だが、確かに誰かが自分に、いや正確には誰かに向かって助けを求めている声が聞こえた。
雨足が強くなってゆく。
ぬかるんだ地面を蹴り上げて、声の聞こえた方へと向かって駆け出してゆく。
「剣の力を使ってないのに……」
ボソリとウィーネがそんな言葉をつぶやく。
そんな言葉を無視し、翔は雨の中を駆け出してゆく。そして今度こそ徐々に誰かと集団が争っているような声がはっきりと聞こえ始めた。同時に思い出す、ギルドの説明でここら一帯は盗賊の縄張りで討伐依頼が出ているということに。
「いたっ!」
先ほどまでいた地点から二キロほど離れた崖下の道、そこで馬車を背に一人の男性が十数人の盗賊らしき者たちに剣を突きつけられて追い詰められている姿を確認することができる。
これから先の旅は人と関わらないように。
そう決めたばっかりの旅路であったのに。
「やっぱり。こうなるのは仕方ないことなのか……?」
「そうね。でもアンタらしくていいんじゃない」
「ですよね……」
さて、行きますか。




