第130話 次の行き先の色
「今日、この村を発たれるのですね」
「はい、今までお世話になりました」
正座で翔はレース達に向けて深く頭を下げる。表を上げると、いつも朗らかな表情をしているレースの表情が少しだけ寂しげに見えた。
鎮魂祭から一週間。そろそろこの場を離れるべきだろうと提案したのはレギナではなく翔の方だった。理由としては、これ以上村の世話になるわけにはいかないと言うのと、何よりエルフのレギナに向けての視線を思ってのことだった。レースを含め、レギナはエルフ達にとっては敵だった相手であり、レースの妻を投獄するきっかけを作った人間であるのだ。どう考えても彼女の存在を面白くないと思うエルフの方が多いことには違いない。
「……正直に言えば、少し寂しくなりますね。鎮魂祭で貴方が振る舞った料理は大変美味しかった。人を喜ばせることをよく知っている方の作る味でした」
「……ありがとうございます。お褒めいただき恐縮です」
「ショウさんに一つ手渡したいものがあります」
そういって、レースが渡してきたもの。それは、レースの妻であるエレナの手記であった。
「これは……」
「これは、この先。あなた方にとって必要なものになるはず。老い先短い私が持っていてもしょうがない」
「でも……これは、奥さんの唯一の形見では……?」
翔のその言葉をレースはゆっくりと首を振りながら否定する。
「形見とは、故人の思い出でもありますが。この先を生きる人の役に立ってこその形見です。貴方がたの役に立つのであれば、彼女が死んだことにもきっと意味があるものとなるでしょう」
少し潤んだ目で語るレースの想いをこれ以上無碍にすることはできない。再び頭をさげ、表を上げると震えるレースの手を包み込むようにエレナの手記を受け取る。
「大事にします。そして、きっと役立てて見せます。予言の正体が何か、そしてこの、パレットソードがどう関係しているのか。必ず突き止めて見せます」
「……お願いします」
おもむろに、レースは翔から視線を外し、隣に座るレギナのことを見つめる。
「九番隊隊長殿……いや。レギナさん。貴方にもたくさんの人を救っていただいた。我々エルフを代表して礼を申し上げます」
「私は大したことはしていない。ただ、己の心のままに従ったまでだ。無論、隣に座っている男が居たからこそできたことだがな」
「……レギナさん。手をお借りしてもいいですか?」
そういって差し出してきたレースの左手を、一瞬だけ警戒したレギナだったが敵意がないことを理解すると彼の差し出してきた左手にゆっくりと手を乗せる。今、翔とレギナ、そしてレースは互いに手で繋がっている状態だ。
ふと、優しい緑色の風が部屋に入り込む。
『道行く先に苦難あり 雨あり 風あり しかし恐るゝことなかれ 苦難の先にあるのは 光あり 春あり 故に歩みを止めることなかれ 其方達の行く末に 幸多かれ フォルトゥーナ』
レースの詠唱はとても柔らかで優しく、それでもって安心する魔法だった。これが一体何を意味するのかはわからないが、今の自分達には多くの人が背中を押してくれていると翔は理解することができた。
「さぁ、お行きなさい。貴方たちの旅路に祝福在らんこと」
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「最後に挨拶して行かなくていいのか?」
「……はい。挨拶しちゃうと、泣いて引き留められちゃいそうで」
「そうだな。だが、一言礼を言うべきだろう」
「……いえ、やっぱり大丈夫です。自分、荷物持ってくるので、先に待っててください」
「……わかった」
少し不服そうなレギナだったが、その真意を理解していないわけでもない。レギナと一瞬別れ、翔は自分の部屋としてあてがわれたツリーハウスの暖簾をくぐる。そこに立てかけられているパレットソードと装備一式を身につけて、雑用品が入った袋の中にレースからもらったエレナの手記を入れ部屋を後にしようとした時だった。
ふと、テーブルの上を見ると小さな紙袋とその下に一枚の手紙が置いてあることに気づいた。
「これは……」
手紙の下には丁寧な文字でリーフェ=クラティオと書かれていた。
『ショウさんへ
直接会ってお別れの言葉を言うと、多分泣いて引き留めちゃいそうなので、手紙での別れの挨拶で失礼します。
ショウさんとレギナさんには大変お世話になりました。エルフの村が壊滅寸前だった時、助けに来てくれたショウさんの背中に私はとても安心感を覚えました、多分きっと、あの光景は一生忘れることはないでしょう。それくらい、嬉しかったです。
私から言えることは、体には気をつけて。そして、自分のことを大事にして、これだけです。
きっと、ショウさんには心に決めた人がいるのでしょう。その人のことを大事に思うのなら、これから先、たとえ四肢がもがれようとも生きるつもりで足掻いてください。そして、また生きて会えることができたら、その時はまた美味しい料理を作ってくださいね。
P.S
袋の中の中に入っている軟膏は当て傷、切り傷によく効きます。有効期限はないけど。できれば使われないことを願います。
貴方の主治医 リーフェ=クラティオより』
「リーフェさん……」
ところどころインクの滲んだ跡があるところを見れば、彼女がどんな心境でこれを書いたかは想像に難くない。袋の中を覗くと、中には木彫りの軟膏入れが二つ入っていた。おそらく、レギナと自分用だろうと思った翔は小さな掠れるような声で『ありがとうございます』と口に出すと手紙と薬の入った袋で部屋を後にした。
外を出ると、少しだけ雨が降り始めており濡れた草木の香りが鼻腔をくすぐる。レギナはといえば、翔の部屋の入り口の真横で腕を組みながらぼんやりと暗い空を眺めていた。
「すみません。お待たせしました」
「あぁ。その袋は?」
「リーフェさんの置き土産です。傷薬の軟膏が入ってました」」
「なるほどな。彼女らしい」
「……そういえば。リーフェさんと随分仲良くなったんですね」
「あぁ。貴殿がどうしようもない軟弱ものだから相談されただけのことだ」
「う……」
レギナに痛いところを突かれ、少しだけ落胆しながら先を歩くレギナの後ろをついてゆく翔。通り過ぎてゆくエルフの姿の中に、リーフェの姿を探したが、彼女は本当に自分たちのことを送るつもりはないらしい。
だが、彼らがこちらに向けてくる視線が敬意あるものと憎悪があるものとに分かれている。その視線の先の対象は言うまでもない。
「私も、随分と嫌われたものだ」
「大丈夫です……。僕がついてます」
柄にもないことをあの時は言ったと翔は後に思った。だが、そんな言葉を口にできるほどに、自分という人間はこの世界で着実に力をつけている。
それが、たとえ勘違いだとしても。
この手からこぼれそうな命を一つでも多く掴み取ろうと心に決めたのだ。
「そうだな……、なら少しだけ安心できるか」
一瞬、ほんの一瞬だけ。普段は凛とした表情をしているレギナの顔が柔らかくなったような。翔には、そう見えたのだ。
おもむろに振り返ったレギナ。その目はまっすぐで、この村に来てからレギナに対して翔が感じていた彼女の瞳の奥にあった迷いが振り切れているように感じた。
「ショウ。この後の行き先は?」
「……いや。特には」
「なら、少し私に付き合ってくれないか?」
「いいですけど……、一体どこに?」
青の精霊席を見つけ出すという本来の目的をすでに達成しているため、翔にとってみればこの先の行く道をレギナに決めてもらえるのはある意味では悪くない選択肢だと思った。
最も、それは彼女の口から行き先を聞く前までの話だったが。
「この国一の大魔術都市。ノワイエだ」
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大魔術都市ノワイエ。ギルドの座学で学んだことだが、魔術師でこの都市に辿り着きたいと思う人は数知れず。その都市に住む人間は基本的に魔術師と相場が決まっており、魔術の色の濃さも相当の人間が種別問わず暮らしており、軍用魔術から生活魔術に至るまであらゆる魔術を研究しているところが点在する。魔術オタクだったガルシアも度々一度は訪れてみたいと口にしていた都市である。
当然、魔術の濃さはその都市に暮らす者にとってはステータスとなっており色の濃さ、魔術の優劣による差別が色濃く残っている場所でもある。
そんなところに無色の人間二人が飛び込むというのは、まさに自殺行為に等しい。
「だが、私は。あそこで一つしなくてはならないことがある」
「ハァ……、ハァ……理由を聞いても……っ!?」
長く作られた槍の形状を木槍の先端がレギナの前髪を掠める。大きくバランスを崩した翔が地面に倒れ込むのと同時にレギナの繰り出した鉄拳が翔の鳩尾にのめり込む。
と、思われたがそれを寸前で翔は片腕で抑え込み逆にレギナの片腕を掴み上げ隣の川に向けて放り投げる。
ザブンと思ったよりも深かったのか大きな水飛沫をあげて川に落ちるレギナ。槍で繋がっているとはいえ、一瞬不安になった翔だったがすぐさま水の中から顔を出し平然とした表情で翔の質問に答える。
「……理由は墓参りみたいなものだ。貴殿も知っての通り。私の率いる部隊がエルフと革命軍の鎮圧に加わった時に、命を落とした騎士が何人かいる。彼らにもう一度会いたい。それだけだ」
「……そうですか……。わかりました、ここまで付き合ってくださったんです。もちろん自分も付き合いますよ」
「あぁ。ありがとう……だが一ついいか?」
「……はい」
川の中で、黒い髪を濡らしポタポタと水滴を垂らしているレギナの目の奥は少しだ怒りの炎が宿っていた。
「私を川に落とす必要性はあったか?」
「……」
何も言い返す言葉がなくレギナから目を逸らす。その瞬間、翔の手に握っていた槍が川の方へと引っ張られ、完全に意識をレギナから逸らしていた翔は彼女同様川の中に引き摺り込まれずぶ濡れになる。
「ブハッ! ゲッホっ! ゲッホっ!」
「これでお互い様だ、なに。少しはいい男になったんじゃないか?」
「ゲッホっ! レギナさん……、そんな冗談言えるんですね」
「あぁ。初めて言ったからな」
水のうえで見つめ合う二人、お互いずぶ濡れになってそんな姿に耐えられず、二人して大声で笑い出した。
青い快晴の太陽の下、二人の笑い声がどこまでも遠く響いていた。




