第124話 代償の色
どこまでも続く道が霧の向こう側に見える。しかし、周りの風景は翔が見てきたエルフの村の風景とは全く様変わりしていて、特徴的だったツリーハウスはまるで嵐にでもあったかのように荒れ果てている。ところどころでは火の手が上がっているのか、すこしだけ煙の臭いも漂っていた。
「……酷い」
思わずそんな言葉がこぼれてしまう。
足を一歩動かす。足先に感じた土の感触は、血の重さで濡れていてその事実に気づいた瞬間、こみ上げる吐き気を我慢することができず、翔は地面に向けて吐しゃ物をまき散らす。
「……進むぞ」
「……はい……」
そんな翔の姿を見てもなお、翔に先に進むことを促すレギナ。レギナとて、この状況を見て冷静ではない。ただ、軍人として、騎士として正しい振る舞いをしているだけである。
敵の正体を見極めるために、その鋭い眼光を周囲に向けているのである。
「この切断面……明らかにあの魔術のものだ」
「……俺が、しっかり止めを刺しておけば。こんなことには……」
「過ぎたことを気に病んでもしょうがない。それに、これは想定外のことだ」
「……なんで、そう言い切れるんですか?」
「国際問題に発展するからだ。正常な人間の思考であれば、自分の仇が潜伏している場所がエルフの村であると判明した時点で攻めようなんて考えは起こさない。これらを行った犯人には、悪魔が宿ってるとしか思えない」
要は、王都の人間が独断でエルフの村に攻め込むことはあらゆる面で問題になりえない。それらを無視して攻め込むこと自体、普通はあり得ないということなのだろう。だが、翔はレギナの言葉を聞いたうえでも、自分に責任があるようにしか思えなかった。
あの時、あの男の喉笛に刀を突き立てていればこんなことにはならなかった。
レギナと翔は、エルフの森の中を進んでゆく。道に転がる死体に目を背けないように、一歩ずつ前へと進んでゆく。
「……死体の量が少ない」
「え?」
「ここにある死体のほとんどは武装している、そしてエルフ以外の死体もあるが、住民の死体が圧倒的に少ない」
「……つまり?」
「まだ生き残りが、しかも大人数が身を寄せて隠れている可能性がある」
レギナの言葉に、翔はすぐさま腰のパレットソードを取り外し地面へと突き立てる。理由は決まっている、エルフの生き残りを探すため。
まだ、救える命があるというのなら。動かないわけにはいかない。
検索範囲を縮小。
リュイ、
エルフの村、
対象者選別。
対象者、リーフェ=クラティオ
生きていてほしい。今度こそ、絶対に救って見せる。
だから、頼む。どうか、生きててほしい。
「っ、絞り込めましたっ!」
「行くぞ、案内しろ」
「はいっ!」
まだ終わっていない。
まだ、救うことができる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「早くっ! こっちへっ!」
この洞窟は今まで200年ほど暮らしていたツリーハウスがもし、襲撃があった場合、避難するためのものとして作られたものだ。中には食料の備蓄や、武器の備蓄がなされており、しばらくの間なら籠城もできる。
「リーフェ、怪我人を頼みましたよ」
「はいっ!」
レースは先陣に立ち襲撃者を迎え撃つために洞窟の入り口へと向かう。このエルフの集落の中で一番の高齢者だが、彼は集落の中での最大戦力もある。
次々と運び込まれてくる怪我人にリーフェは治療を施してゆく。そのほとんどは切り傷、やけどの類だ。その人数はおおよそ、三十人ほど。兵士もいれば大人子供もいる。まさにその様は地獄のようだった。
「ちょっと染みますよっ」
「ッア!」
左肩に大きな切り傷を負った兵士の治療。そこに純度の高い蒸留酒をかけてゆく。これを行うことによって傷口を清め、怪我以外の病気を防ぐ効果があると本に書かれていた。
「手の空いてる人っ! やり方を教えますから、この人の傷口を縫っておいてくださいっ!」
一人の兵士に声をかけ、あの戦闘で唯一持ち出せた医療器具の扱い方をもう一人の兵士に教え、治療に当たらせる。そして、もう一人の重症患者のところへと向かう。それは、背中に大きなやけどを負った子供だ。
「痛い……痛いよぉ…お姉ちゃん……」
「頑張ってっ! すぐに治してあげるからっ! ねぇっ! アロエベラは煮終わったっ!?」
すると、奥の方から鍋の中に先ほどまで煮ていた薬草が持ち込まれた。それを一度氷水に浸し、再び取り出すとその薬草を二つに折り、中から出てきた粘度の高い液体を背中に塗ってゆく。この薬草はやけどに対して有効な成分を含むことから、昔から冒険者の間でもよく使われていたものだ。
「これでしばらく様子を見てちょうだいっ! 打撲は冷やして患部に布を巻いて圧迫するようにっ! 骨折をしている人は無理に動かさないようにしてっ、私の指示があるまで動かさないようにっ!」
エルフの集落には圧倒的に治癒魔術の使える青の魔術師がいない。種族的なこともあり青の魔力を持って生まれるものがほとんどいないのだ。そんな種族であるからこそ、医学は重要な意味を持つ。しかし、こんなに怪我人を大量に扱ったのはあの革命戦争以来の経験だった。ただでさえ狭い洞窟の中で目紛しい勢いで患者が運び込まれる。動ける人員も僅かしかいない。その中で唯一医学を本格的に学んでいたのはリーフェだけだった。
「リーフェちゃんっ! こっち来てぇっ!」
「はいっ! どうしましたっ!」
「この子息をしてないのっ! お願い助けてぇっ!」
急遽大急ぎで運び込まれた患者、洞窟に備え付けのベットに寝かされていたのはまだ生まれて2ヶ月も経ってないエルフの赤ん坊だった。母親が側で泣きながら助けを願っている、エルフにとってなかなか生まれない子供は大切な宝だ。
「わかりました、ちょっと離れてっ」
母親を横目に、赤ん坊に着せている衣服をとってゆく。そして、赤ん坊の胸に触り、心臓の様子を見るが、その心音は確認できない。そして赤ん坊の口元に耳を当てるが息をしている音も聞こえない。
これはまずい。
とっさに赤ん坊の口元に手を当てる。
『命の息吹よ 緑の名の下に 循環せよ スピリトゥス』
口の付近に薄い膜のような緑色のオーラが内側と外側で空気を出し入れする。それと同時に赤ん坊の胸が上下に動き、まず呼吸は確保できた。
次に心臓だ。
赤ん坊の心臓を蘇生させた経験はまだない。だが、赤ん坊は基本的に心拍数が高い、となると大人が1分間に70〜80に心音を鳴らすのであれば、赤ん坊は1分間に100ほど、となるとそのリズムで心臓を刺激すればいいはず。と脳内から取り出した知識を参考に心肺蘇生を行う。
赤ん坊の胸の中心に二本指を添えて、圧迫を繰り返し行なってゆく。
「お願いっ、戻ってきてっ!」
何十回、何十回も繰り返し行う。
「お願い……っ! お願いっ!」
何十回も、何十回も、何十回も、
そして、
「明かりを持ってきてちょうだい.....」
割光石を詰めたランプで赤ん坊を照らす。
閉じたままの瞼を開き、明かりを向け、離しを繰り返す。
「……ごめんなさい。助けられなかった……」
「そんな、いや……リーフェちゃんっ! お願いっ! この子をっ!」
「……本当に、ごめんなさい」
赤ん坊は、死んだ。
明かりによる目の瞳孔の動きはすでに見られず、心臓を刺激してなんとか蘇生を試みたが、赤ん坊が戻ってくることはなかった。
足元にすがりながら泣きじゃくる赤ん坊の母親の姿。目の前でまた命を落としてしまった。絶対に助けるつもりだったはずなのに、命は目の前でいとも簡単にこぼれ落ちる。
自分の無力さに何度絶望すれば報われるのだろう。
「ごめんなさい、私のことを許さなくていいから……」
「ううん、リーフェちゃんは……っ、頑張ってくれたっ。ありがとうっ、ここまでしてくれて……っ」
涙を流しながら、ランプの明かりで照らされた母親の顔は決して穏やかではなかった。だが、それは恨みや憎しみの表情ではない。
「リーフェちゃん……ちょっと今は……二人だけにしてちょうだい……」
「えぇ……わかった」
母親と赤ん坊を後にし、他の患者の元へと向かう。
自分にはまだ救えるものがある。
救わなくてはならない人たちがいる。
救えなかった人のためにも、自分は多くの人をこの手で救わなくてはならない。それが、唯一救えなかったことに報えるということなのだから。それを、自分は戦争の最前線に立って学んだ。
と、作業に取り掛かろうとした瞬間だった。洞窟全体に轟音が響き渡る。その洞窟全体を揺らすような轟音に避難をしていたエルフたちはみんな一斉に地面に頭を抱えて蹲る。
たった一人、リーフェを除いて。
「レースさん……っ」
おそらく、今洞窟の入り口でレース率いた兵士と共に戦っているに違いない。全くと言っていいほど血のつながりがないのにも関わらず、早くに父と母を亡くした自分を娘のように扱ってくれた彼が今、必死になって襲撃者と戦っている。
もう、これ以上誰も失いたくない。
駆け出すリーフェ。現場放置など医術師失格だが、それでもこの両足が動くのを止められなかった。駆け出したリーフェの姿を見て唯一の医術師を死なすわけにはいかないと慌てて動き出した兵士たち、延べ五名ほどの兵士がリーフェと共に洞窟の入り口へと向かう。
入り口に向かう途中でも、何度も轟音が響き渡りその度に激しい戦闘が行われていることが理解できる。だが裏を返せば、レースはまだ生きているということ。
自分なら救える。
いや、自分にしか救えない。
「レースさんっ! 怪我は……っ」
リーフェの目に映ったもの。それは、悲劇だった。
無数に散らばっている肉の塊は、原型を留めておらず、それがかつての同朋の肉体だとは思えなかった。その中で、レースは一人佇んでいた。
片腕を落とされ、
全身血まみれで、
今にも倒れそうな、その両足で、目の前の敵を見据えていた。
「お父さんっ!」
次の瞬間、血飛沫が洞窟内で舞い散る。同時に倒れるレースの体、朽ちかけた老体ではとても敵わない相手が洞窟から差し込んだ逆光に照らされて映し出される。
その姿を、リーフェはよく知っていた。
「ローウェン……兄さん……」
「死にかけのジジィのくせに、最後の最後まで抵抗しやがって……。やぁリーフェ。久しぶりだね、元気にしていたかい?」
顔を血で汚し、優しく微笑む百年以上行方不明になっていたリーフェの実兄がそこには立っていた。
「兄さんっ、なんでこんなことをするのっ!? ろくに家にも帰らないで私とレースさんがどれだけ心配したか……っ、どうしてっ!?」
「……私だって、こんな片田舎に帰りたくはなかったさ。だけど、見ての通り、こんな状態でね、君に治してもらいたいんだ」
そう言ってローウェンは両腕の振ってみせるが、袖の中身は空っぽで何も入っていない。そんな彼が地面に放り投げたのは、おそらく自分の両腕だったもの、すでに腐敗が進んでおり、とてもではないが治療などとっくのとうに手遅れなのは一目瞭然である。
「それに。私をこんな姿にした奴が、ここにいるだろ? そいつを差し出せば今回はこれだけで勘弁してあげる」
「これだけ……? これだけ? こんなに、こんなに大勢の人を殺しておいて、よくも言えたわねっ! それにショウさんはもうここにはいないっ! アンタの腕を治す気もないっ! 私が言えるのそれだけよっ!」
リーフェの返答を聞き、ローウェンの作り笑顔が醜く歪み始める。
「なら、死ね」
洞窟の中を暴風が吹き荒れる。その瞬間、洞窟の壁を次々と風の刃でつけられた傷跡が深々と刻まれ、嵐のようにリーフェの眼前にまで迫る。
「っ!」
死を覚悟し、硬く目を閉じるリーフェ。だが、終わりの瞬間はいつまでたっても来ない。薄く目を開ける、その目に映り込んだのは一人の男の背中だった。
迷っている旅人のような背中をし、しかしそれでも一本の道筋をしっかりと見据えている、そんな優しい背中。
その姿はまさに『冒険者』
「リーフェさん、遅くなりました。無事ですか」
ここにいるはずのない、だけどどこかでリーフェは信じていた。
きっと助けに来てくれると。
今一色 翔の姿がそこにあった。




