第116話 女子会の色
夜も更けた、時間で言えば夜十時を回った頃。
レギナとリーフェは向かい合って座っていた。このほんの数時間前まで説教を喰らっていた相手に少しだけ申し訳なくレギナは思っていたが、リーフェからはすでに怒りの感情を感じ取ることはできない。
「では、レギナさん。上着を失礼しますね」
「……あぁ」
リーフェに言われるがままに、レギナは甚平の上着を脱ぎ上半身裸になる。顕になるのは、白い肌と、数々の死線を掻い潜ってきた証である無数の傷跡。
「左腕の調子はどうですか?」
「……少し痺れがあるくらいだ」
「機能回復訓練とかもありますけど、受けてみます?」
「いや、剣を握っているのが一番の薬になる。私の場合は」
「そうですか……。わかりました」
左腕の感覚を確かめるように握ったり広げたりを繰り返しているレギナの腕に、リーフェは優しくお湯で濡らした布を這わせる。
「すごい傷だらけなんですね……。すごく綺麗な人ですから、お身体を見て改めて騎士団の方なんだって思いました……」
「……私は傷一つない人間よりも、傷を背負ってでも生きていこうとする人間を一番信用する。そのあり方が、自分にも表れているだけのことだ」
「でも……その生き方は。辛くないですか」
「……辛いか……か。すでに私にはその感覚がわからなくなってしまった」
「そう……なんですね」
リーフェはレギナの言葉を耳にしながら、腕、背中、胸とゆっくりと丁寧に彼女の体を清めてゆく。
辛いだけの人生、傷だらけの人生。きっとそんな生き方をレギナは何十年も続けてきたのだろうとリーフェは思いながら拭きあげ、汚れたであろう布を洗面器の湯に浸し、次に右腕から彼女の体を拭いてゆく。
「ショウさんとは、どういった関係なんですか?」
「……最初は、被害者と加害者の関係だった。騎士団と冒険者、本来接点などほとんどない仲だった。けど……今になっては、私にもよくわからない」
「被害者と加害者……それは一体……?」
「騎士団隊長である私を、あの男が無理やり誘拐した。ただそれだけのことだ」
「そんなことが……ショウさんって意外と大胆なんですね。あんな優しそうな感じで」
「……貴女が何を思っているかは知らないが。きっと思い違いをしてる」
「え? 二人って恋仲じゃ……」
「断じて違う」
翔との関係を勘繰っていたリーフェの言葉を完全に否定するレギナの姿を見て、リーフェは少しおかしくなってクスリと笑ってしまう。
だが、少なくともレギナもまた彼に対して思うところがあるのだろうというのはリーフェにもなんとなくではあるがわかった気がした。
「でも。レギナさん、とても大切に思われているじゃないですか。大切に思っていなかったら、ショウさん。あんなに泣いたりして一喜一憂はしませんよ」
「……そうだな。だが、あの男は……自分自身のことに対して。あまりに無頓着すぎる。いつも他人のことばかりを気にして、時に自分の命すら最も簡単に投げ出す……」
「それって……?」
「……自己犠牲は、時には尊い行為だ。しかし、そのほとんどが残酷な結果を招いている。あの男は、まだそれを知らない」
どこか遠い目をしているレギナは、昔のことを思い出しているようだった。そんな彼女の姿に一瞬見惚れてしまい、リーフェは自分の手が止まってしまったことに気づく。
「レギナさんも。ショウさんのことを大切に思ってるんですね」
「……そう、なのかもな。大切……か……」
「自覚がないだけですよ。普通、本当にどうでもいい相手のことをあんなふうに思いませんって。レギナさんは、ショウさんにもっと。自分を大切にして欲しいんですよね」
「……」
リーフェの言葉に、レギナは何も答えない。おそらく図星だったのだろうが、それでもレギナにとっては複雑な心境ではあった。そして、そんな悩んだ表情を浮かべるレギナのことをお構いなしと言わんばかりに、リーフェはレギナの体を清めていく。
「リーフェ……といったか。貴女は」
「そうです。リーフェ=クラティオです。まだ、ちゃんと自己紹介できてませんでしたよね」
「……そうか。これも、また。因果か……」
「え? どういうことです?」
レギナの言葉の意図を汲み取ることのできないリーフェ。だが、そんな彼女の目をレギナはジッと見つめている。
「……あの男の……ショウの故郷のイニティウム。あそこで、魔物の襲撃が起きた時。亡くなったエルフのギルド職員が。リーフェという名前だったか」
「……そんなことが……」
「あの男は……未だに。彼女の幻影を追い続けている、きっとここで同じ名前の貴女に出会ったのは、何かの因果だろう」
話をしたから、といってどうとなるものではない。だが、レギナがなぜリーフェにこの話をしたのか。それは、きっと彼女の存在が翔の中で止まった何かを動かすきっかけになるのではないかと思ったからだ。
もっとも、それは彼女がどう思うか次第だったが。
「私は、医術師として。彼に何かができるのでしょうか……」
「簡単なことだ、と。私は思う」
「……?」
「普通に接し、彼に貴女の名前を呼ばせればいい。あの男の中で止まったままの、あの街の炎の中で止まったその心を、貴女は優しく。私に今してくれているように、暖かく接すればいい。私にはできない、おそらく。あの街の彼女の名前を持つ貴女にしかできないことだ」
止まったままの心。
炎の中で、止まったままの心。
リーフェは目の前で体を清め終え、甚平を羽織るレギナの姿を見て思う。私の中にも、止まったものがある。
それは、きっと。彼女にしか動かすことができない。
「レギナさん……、私には。テトラという、獣人の女の子の友人がいたんです。同じ医術師として、ともに勉強して、ともに生きて。そして、とても、とても立派な人でした……」
「……でした?」
「……彼女は。四年前、革命戦争で最前線の医術師チームの一員として。最後まで患者を守りながら。戦死しました」
振り絞るような声でリーフェは語る。
四年前、革命戦争でリーフェの友人テトラは命を落とした。その時関わっていたのは、王都騎士団九番隊隊長、レギナ=スペルビア。全ての責任が彼女にあるわけではない。
だが、彼女は仇だ。
友人を殺したかもしれない。そう指示したかもしれない人間だ。
「私……あなたを処置するとき、メスを握りながらずっと思っていました。この人の左腕に、神経の一つを切って仕舞えば。二度と剣を握ることのできない体にできるって……っ。そうすれば、死んだ彼女も報われるかもしれないって……っ!」
「……」
「あなたに、非があるとは言いません。でも、教えてください。私たちは……エルフは、本当に。本当に、あの戦争は、正しかったのでしょうか? 友人の死は、正しかったのでしょうか……っ?」
目に大粒の涙を溜め、エルフのリーフェは語る。そんな彼女の姿をレギナはまっすぐと見つめていた。
「正しい戦争はない。正しい戦争なんてものは、この世界のどこを探したって、聖典の中にだってありはしない」
「っ……!」
「だが……、正しいものがあるとするなら。その友人の在り方、一人でも多く救おうとした、彼女の高潔さに。私は敬意を表する」
レギナの言葉に嘘偽りはない。それを証明するかのように、レギナの目はその色を変えることなくリーフェの涙で濡れた青い瞳を見ている。
「そして、私の腕を治してくれた貴女に、私は最大の感謝を。騎士団の身ではない今、私の剣は自由。だが。貴女がこの腕に剣を握らせるチャンスを与えてくれた、だからこそ証明しよう。貴女が助けた命が、正しかったと」
「……レギナさん。私は……っ、信じていいんですね……っ? 私のした、行いは正しかったと」
「信じてほしい。それ以上の言葉は重ねない」
涙がとめども無く溢れてくる。心の中で突っ掛かり、彼女と接するたびに感じていたこの違和感が解けてゆく。そんな涙で濡れた顔を、レギナの体に押し付け、子供のように泣きじゃくる。
そんな彼女の頭を、少し戸惑いながらもレギナはリーフェの頭を優しく撫でる。彼女が泣き止むまで、レギナは優しく、何度も彼女の頭を撫で続けた。
かつて、自分がそうして欲しかったように。何度も。
こうして、レギナにとって初めての女子会は幕を閉じていった。




