第115話 仲間の色
エルフの村を再度訪れてから二日の時間が経った。翔の移動範囲は特に変わることなく、リーフェから与えられた病室という名の小屋から外に出るような事はあまりなく、一日暇を持て余していた。
そんな中でも。未だにレギナが目を覚ましたという話は聞かない。
「ねぇ。私の精霊石はいつになったら取りに行くのよ」
「……レギナさんが目を覚さない限りは……。彼女を置いてゆく事はできませんし……」
「アンタ一人で取りに行って、またここに戻ってくればいいじゃない。どうして、あの女に固執するのよ」
小屋の外、沈む夕日をぼんやりと眺めていた翔は手すりに座るウィーネの話、基、文句を聞いていた。
「……最初は使命感でした。レギナさんが騎士団に戻るようなことがあれば、イニティウムの仲間が危険に晒される。でも、一緒に過ごして行くうちに。そういった使命感というよりも、自分を導いてくれるような……。多分、この感情に名前をつけるのだとしたら『仲間』としての意識が強くなったような気がするんです」
「……でも、アンタの抱いている感情と。あの女が抱いている感情は違うかも知れないわよ」
「そうかも……、知れませんね」
太陽が目の前で沈んでゆき、徐々に夜が訪れる。翔の与えられたツリーハウスの小屋の周りでは多くの人が忙しなく動き回りながら、夕食の準備などと行った生活の営みを行っている。
こんな時間を過ごすのはいつ以来だろうかと、翔は考えていた。
「……ウィーネさんは。どうして、街一つを洪水で流すような真似をしたんですか……?」
徐に、翔の口からレースから聞いたウィーネの行ったことに対しての質問が出る。突然のことに、ウィーネは少しだけ目を見開くとそのままそっぽを向いてしまう。
「……別に。ただ虫のいどころが悪かっただけよ」
「聖典の勇者と、やっぱり関わりがあったんですか?」
「……はぁ、しつこいわね。どうしてそんなに知りたがるの?」
「……それは。ウィーネさんも俺たちと一緒に旅をした、仲間だから」
一瞬だけ、こちらを向いた彼女の吸い込まれそうな青い瞳の奥が潤んだように、翔は見えた。それを悟られまいとしたのか、翔から目を離すウィーネ。
「……私が水に流した街は。アイツのことを迫害した街だったからよ。無色の勇者の看板を背負ったアイツはどこでも石を投げられてた。それでも、アイツは困ってる人を見過ごすような真似は絶対にしなかった。傷ついて、傷ついて、傷ついて、それでも。多くの人が笑って過ごせるならって言って」
「そう……だったんですね」
なんとも居た堪れない気持ちになって、翔は完全に沈み切った太陽の残していったオレンジ色の空を眺めながら考えていた。
果たして、自分に。あの剣は相応しいのか。
勇者と呼ばれ、己を犠牲にしていった彼の背中を自分は追っているわけではない。だが、彼が残していった様々な謎や真実を前に。自分という人間は、それに耐えてゆくことができるのか。
「俺……、本当に。あの剣、持ってていいんでしょうか……?」
「選ばれたっていうのは、そういうことよ。覚悟を決めなさい、イマイシキ ショウ」
「……はい」
ウィーネからの言葉に、返す言葉はない。選ばれた、とはいうものの本当に自分で良かったのかと何度も自問自答している。きっと、それに答えが出てくる時はまだ当分先だろう。
悩んでいたところで、前に進まなくてはならない時はいつかはやってくる。
そう思い、小屋の中に戻ろうと部屋の入り口の暖簾を押し開けようとした時だった。ツリーハウスの小屋を繋ぐ渡り橋が大きく揺れている。どこかの誰かがやって来たらしい。
遠目で確認するが暗くて誰かよくわからない、しかしここを尋ねてくる人物を翔は二人しか知らない。
「クラティオさん……」
「ハァ……ハァ…ハァ。もう、リーフェでいいって言ってるのに。それよりも、ショウさん、レギナさんが……」
「……まさか……彼女に何か……っ!」
思わず身を乗り出す翔。一瞬冷静でなかった彼を受け止めるように彼の両肩を抑えるリーフェ。
「落ち着いてっ。レギナさん、目を覚ましたのよっ!」
「……本当ですか……?」
「えぇ。まだ本調子ではないけど、今さっき目を覚ましたの。この調子でいけばすぐにでも動けるようになるわ」
「……よかった……本当に……よかった……ぁ……」
膝から崩れ落ち、その場でボロボロと涙を流し始める翔。昏睡状態の彼女が目を覚ました。その事実を再度噛み締めるように体を縮みこませながら嗚咽をこぼす。
そんな彼の姿を見たリーフェは優しく背中を撫でる。
ひとまず、最大の難所を翔は突破した。
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夢を見ていた。
ひたすら、怖いものから逃げている夢を。
自分の家族同然の剣を抱えながら。
私は、黒い風から逃げていた。
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「レギナさん……」
「……ショウ……か」
「そうですよ……、あぁ……本当によかった……っ」
「……手が痛い」
「ごめんなさい……、もう少しこのままで……」
自分の手を痛いほどに握りしめ、涙を流している男が目の前にいた。戦場で死にかけることなど何度もあった。その度に治療所のベットで目を覚ますのは一人だったが、こうやって涙を流しながら手を握られていた経験は少ないとレギナは思った。
ふと、レギナは握られている自分の右腕とは反対の左腕を見る。記憶が確かであれば、自分はあの時、蒐集師の男に左腕を落とされたはずだった。しかし、持ち上げた自分の左腕はまるで最初からそこにあったかのように、なんの問題もなくくっついていた。動かすと、少しだけ違和感を感じたものの、剣を握る分には何度か動かせば問題はないとレギナは思った。
「……私をここまで運んだのは、貴殿か……?」
「はい……、そうです」
「……世話をかけたな」
あの時、監獄で翔の姿を見た瞬間。自分の命運はここで尽きたとレギナは思っていた。あの場でトドメを刺されなかったのは不幸中の幸いだったが、どちらにせよあのまま翔が来なければ自分は死んでいただろう。
「貴殿は……、怪我は?」
「俺は平気です……」
「……また力を使っただろう、寿命は……?」
「……それは……、レギナさんのせいではありません」
「……いいから答えろ」
「……残り、一週間あるかないか……です」
「……そうか」
そう言うとレギナは無理やり体を起こし、右腕に刺さっていた点滴の管を無理矢理取る。そんな彼女の行動に一瞬翔は唖然として動けなかったものの、すぐさま暴挙に出た彼女のことを翔は取り押さえにかかる。
「レギナさんっ! 何してるんですかっ!」
「すぐに、精霊石を探しに行くぞ……っ。こんなところで寝てられるか……っ!」
「四日間寝っぱなしだったんですよっ! そんな今すぐなんてっ!」
「うるさいっ! 私は快調だっ! 貴殿もすぐに精霊石を探しに行かなければ朽ちる体なんだぞっ!」
「それはそうですけどっ!」
レギナが小屋の中で暴れ出す、普段の彼女であれば、というよりも普段の彼女はここまで取り乱すことはないのだが弱っているため翔はなんとか背後から羽交締めにして彼女の暴挙を止めている。
当然ながら、その騒ぎは外にまで聞こえてしまっているわけで。
「あなた達、一体何を騒いで……っ!」
騒ぎを聞きつけたリーフェがレギナの小屋の中に入り込む。
乱れた服装のまま剣を取りに向かおうとするレギナ、そんな彼女を背中から羽交締めにしている翔。お互いに交わす視線は静止したまま。
そんな二人の姿に呆れて声も出せない、ということより以前に怒りが湧いて、わなわなと震えるリーフェ。流石にこれはまずいと勘付いた翔だったが、そんなことをお構いなしにと翔の拘束を外れたレギナは壁に立てかけていた剣を手にし装備し始めている。
「二人ともっ! そこに正座しなさいっ! 騎士団隊長っ! 貴方も正座っ!」
そして始まったリーフェによる説教。
長い、
とにかく、長かった。
夕食の時間を当に過ぎ、空のてっぺんに月が登るほどまでに長く説教された。流石に口を挟む余地などないと判断したのか、先ほどまでのレギナの勢いはどこにもなく、ただただ正座をして彼女の話を黙って聞いていた。
「とにかく。お二人は怪我人であるという自覚を持ってくださいっ! 特にレギナさんっ! 貴方はさっき目が覚めたばかりなんですよっ! 逸る気持ちもわかりますが、まずは自分の体を治すことを優先してくださいっ!」
「……」
「わかったら返事っ!」
「わ。わか……った……」
「ハァ……。ショウさん、これからレギナさんの体を清めますので。貴方は元の部屋に、夕食は後で運ばせます」
有無を言わせない彼女の空気に気圧され、翔は無言のまま何度も頷くとレギナの部屋を後にする。
残るはリーフェとレギナの二人。
「……その。すまなかった……私も、冷静では。なかった」
「レギナさん。でしたよね? 王都騎士団九番隊隊長の」
「……あぁ。そうだ」
「……私は、貴方に。色々と積もる話があります」
こうして始まった、女子二人の女子会。
夜もまた、一層暗く更けてゆく。




