第108話 窮地の色
「後ろから二体っ! 近づいてるっ!」
「チィ……っ!」
舌打ちをする翔、ゴブリンの喉に突き刺したパレットソードを引き抜き、バックステップで上半身を捻りながら握りしめる剣に力を込める。
『今道四季流 剣技一刀<夏> 孤月<逆>』
同時に襲いかかってきた二つの敵の首を吹き飛ばす。すでに何を斬っているのか翔にはわかっていない。だが、血に濡れたパレットソードの照らす光だけが、その凄惨たる現場の様子を物語っている。
あまりにも敵が多い。
しかも、その魔物のほとんどが武装している。それは与えられたものなのか、それとも何かから奪い取ったものなのかはわからない。しかし、一部の魔物が現在翔の身につけている防具と同じものを身につけていたことを鑑みて、何人かここで職員が犠牲になっていることは想像に難くない。
「まだ来るっ! 今度はおっきいのっ!」
ウィーネの言葉に、息を吐く間も無く翔は迎撃体制をとる。思わず、レギナやイニティウムの仲間がそばにいてくれたらどれだけ心強かっただろうかと考えてしまう。
パレットソードの明かりに照らし出されたものの正体。身長は有に三メートルを超えるであろうその巨大な体躯に握られたこれまた巨大な槌。そして、頭は巨大な牛の頭をしている地下の迷宮といったらお約束の魔物。
ミノタウロス。
「シンニュウシャ、タタキツブス」
「……喋るのかよ。こいつ」
言葉を解する魔物。これが指し示すものは、人間をそれだけ喰らっているということ。やはり、それだけの人間がこの第六階層で犠牲になっているということが理解できる。
先に動いたのはミノタウロス。巨大な槌を翔の顔面に目掛けて勢いよく振り下ろす。地面に勢いよく振り下されたそれは大量の土埃を舞い上げて周囲一体を勢いのままに吹き飛ばしてゆく。
会心の一撃。
普通の人間ならここで終わっているだろう。
しかし、ただの人間にはなれなかったのが翔だった。
「大きい獲物は、動作を注視すれば避けることは容易い」
数センチ、槌が当たるか当たらないかのところで翔は平然と佇んでいる。その目に恐怖はない。ただ冷たく、冷淡に己が敵を見ているだけである。
初めて、自分の相手をしている人間がただの人間ではないと悟ったミノタウロス。雄叫びをあげ、槌を投げ捨てると空中に跳ね上がり翔との間合いをとる。四足歩行になり、前腕を地面に擦り付けるその様はまさに闘牛と闘牛士の図柄である。
「……スゥ」
土臭い空気を軽く吸い込む翔。ベルトからパレットソードの鞘を取り外し、その鞘にパレットソードをゆっくりと収めてゆく。光源を失った洞窟、暗闇を取り戻したその世界には、互いを睨みつけ合う翔とミノタウロス。
赤く光るミノタウロスの目が一瞬光を放つ。
地面を勢いよく蹴るのと同時に揺れる空気。
接近する物体の速度は時速にしておよそ九十キロ。
当たれば即死。まさに捨て身の猛攻、だがこれがミノタウロスの自然体にして最強の攻撃手段。
体の全神経を接近するミノタウロスに向ける翔。
その間、わずか0.7秒。
空中に飛び上がった翔、その真下をミノタウロスが通過する。
掲げ引き抜いた光り輝くパレットソード。それは確実にミノタウロスの首を狙っている。
『今道四季流 剣技抜刀<夏> 鉄砲百合<狂>』
ミノタウロスの脊髄を完全に切り裂いた翔のパレットソード。だが、死してもなおその勢いは止まることなく、壁に勢いよく激突してそのまま動かなくなったミノタウロスを見て翔はようやく息をする。
「ハァ……ハァ……紙一重だったな」
そう言いながら自分の金属製の胸当てを見る翔。そこにはミノタウロスの角で抉られた跡が痛々しく残っている。あと数センチ場所がずれていれば、翔の胸はミノタウロスの角で抉られていたに違いなかった。
「……もうしばらく気配は感じない。少しはゆっくりできそうよ」
「……ハァ……ハァ……病み上がりにこれは……堪える……」
「アンタ、本当に強かったのね。なんだか、少し見直したわ……」
「……それはどうも……ふぅ」
一息つきながら地面に座り込む翔、べチャリと地面には先ほどまでの魔物の死骸から出た体液が染み込んで重々しく翔の腰を汚してゆく。
第六階層。監獄というよりも自然にできた洞窟のようなその姿は、檻と呼べるものが存在しないように見える。しかし、ところどころ申し訳程度にある鉄格子の嵌った牢獄のようなものは、一部が破損していたり確実に何かが入り込んだ形跡があるため、翔の頭の中では最悪のシナリオを想像せざるを得ない。
エレナ=カルディアはすでに魔物に殺されてしまっているのではないのか、と。
「せめて、死体だけも回収しないと」
「……死体すら残っているか怪しいわね」
「……」
ウィーネの言葉に少し賛同しかけながらも、翔は再び立ち上がるとパレットソードの明かりを前方に照らしながら道の先を進んでゆく。少なくとも、ここにエレナはいない。なら先に進むしかない。
レギナを死なせないため。
真実に近づくため。
「……レギナさん。上手くやってるかな」
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何もかもが最悪な方向に向かっている。
翔はこのままいけば、処刑に巻き込まれ炎の中へ。そして自分はこのままでは王都聖典教会の蒐集師と鉢合わせになってしまう。
レギナは頭の中を必死に動かしながら、この状況を打破する策を引き出そうとしているが、そう簡単に浮かぶものではない。
「どうされましたか? レギナ嬢、顔色があまりよろしくないようだ」
「いや……、監獄長なんでも……っ。……すまない、お手洗いを借りることはできるか?」
「え、えぇ。それはもちろん。突き当たりの廊下を左に曲がったところですぞ」
「失礼する」
颯爽と立ちあがり、まっすぐと部屋の出口へと向かい扉のドアノブにレギナが手をかけようとした時だった。手をかけようとしたドアノブが手元から離れてゆく。
「ファロス監獄長。おひさしぶりです」
「おぉ、これはこれはローレン殿。お待ちしておりましたよ」
「えぇ、ファロス監獄長も変わらずお元気そうで何より……おや、こちらの殿方は?」
扉の向こう側から現れたのは背丈百八十センチほどはあるだろう長身の腰まで長く伸ばした翡翠色の髪が特徴的な好青年のエルフだった。しかし、レギナは彼が自分の姿を視認するよりも早く扉を潜り抜け廊下に駆け出してゆく。
しかし、一瞬でも姿を見られた。
ここに留まることができるのも時間の問題だ。
監獄長の言った通り、廊下の突き当たりを左側に行くとトイレらしき扉があるのを確認する。その中にレギナは素早く入り込むと、個室に入り込み鍵をかけ便器の上に座り込み思案を巡らせる。
「ショウ……、早く頼むぞ……」
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三体目のミノタウロスを処理し終えたところだった。チョーカーでの会話を気にかけている余裕はなかったため、現在レギナがどんな状況に置かれているかは翔には理解できない。
すでに、迷宮の中に入り込んで二時間近い時間が流れている。しかしそれでもエレナのいる場所や気配すら感じることができない。それだけ、この迷宮が広大なのか、あるいは複雑なのか翔にはわからないが、それでも必死になって駆け回って余計に迷っているのではないかと感じ始めていた。
「こうなれば、彼女の写真の一つでも貰っておくんだった……」
「ダメ元でやってみたら? 少しはヒントになるかもしれないわよ?」
「パレットソードを使っている間は無防備になります。そうなったら元も子もない」
パレットソードの力は強大だが、何に対しても万能というわけではない。探索能力を使おうものならば、この魔物だらけの迷宮の中で無防備な姿を晒すことになる、まさに自殺行為だ。
迷宮を進み続ける翔、すでに魔物のほとんどを手にかけたのか、遭遇する数事態減ってきている気がした。すでにあれだけ大きい魔物を三体倒しているのだから、これ以上は出てくれないでくれというのが正直な感想ではある。
「ねぇ。なんか臭くない?」
「……確かに。これは……油?」
ウィーネの言葉に賛同しながら、翔はこの独特な甘い匂いと機械油の混ざったような匂いの正体を確かめるべく、地面に鼻を近づける。その匂いの正体は確かに、地面から流れているようだった。指で地面をなぞると、指先に土とねっとりとした粘性の高い液体が絡みつくのがわかる。
「……魔物の血じゃない……」
「ねぇ。私、なんだかすごく嫌な予感がするんだけど」
「……この油の跡を追ってみましょう」
ウィーネの不安げな表情を無視し、翔は油が流れてきている場所をパレットソードの明かりで地面を照らしながら辿ってゆく。
ウィーネの感じている嫌な予感、それは翔も全く同じことを考えていた。だが裏を返せば、この油を流し込んでいる理由を逆算して考えれば、たどり着くのはエレナのところなのではないか。
なんのヒントもないこの迷宮の目的地に辿り着く唯一の手掛かりではないか。
進んでゆくうちに油の染み込んだ重い地面が翔の足に絡みついてゆく。足取りを重くしながら、目指す先はエレナ=カルディアのいるところ。
すでに何十回目かの空の牢獄をみてきたが、ようやくその最奥に翔とウィーネは辿り着く。
それは小さな音だった。カリカリと地面を引っ掻くような、それでいて何かを刻み込んでいるような音。その牢獄の中に、白い髪を地面に散らばせながら、一人の女性が座り込んでいた。
「……エレナ=カルディアですか?」
翔が尋ねる。その途端に、地面へと文字を刻むのをやめる女性。ゆっくりと翔の方へと振り返ったその顔はひどく痩せこけていて、灰色がかった瞳は虚に翔の目を見つめていた。
「レー……ス?」




