第104話 囚われの色
「……っ」
鼻腔に入り込んだ香の匂いで、徐々に翔の意識が覚醒する。甘くも優しい、その香り。だが、感傷に浸る前に思い返されるのは、レギナがエルフに取り囲まれている姿。
すぐさま、その場から跳ね起きる翔。微睡から覚醒した視線の先に映るのは、竹や木材などで囲われた壁に、そこに置かれた複数の家具に書籍。そしてその上に置かれた香炉。誰かの家であることには間違いないが、そこが誰の家なのかさっぱりわからない上に全く状況が読み込めない。
「……あれ」
起き上がった瞬間に気づいてはいたが、改めて自分自身の体を確認する翔。あれほど酷かった怪我に治療が施されている。そして、血まみれだった服もまた処分されたのか、綺麗で清潔な麻の甚平のような服装に変わっている。
改めて状況を整理する。
おそらく自分はエルフに捉えられて、そこで誰かから治療を受け完治し現在に至る。文脈だけを見れば、自分のいるべき場所は監獄であるのが好ましいはずだが、周りの状況を確認するに監獄とは程遠い誰かの家か、もしくは診療所だというのは推測できる。
「……どうして……」
「あら、起きてる」
扉、というよりも暖簾の向こう側から女性の声がする。薄い布の向こう側のシルエットを確認する限り、特徴的な耳をしていることからエルフであることは間違いない。
「失礼しますね」
「あ……、はい。どうぞ」
あまりにも当たり前に会話を交わしてくるため、状況云々よりも彼女の言葉に自然と頷いてしまう。
暖簾をくぐって入って来たのは、見た目十代前半の若い女性だった。長い翡翠色の髪を頭の上で団子にしてまとめ上げ、こちらを見つめる吸い込まれそうなほどに綺麗な蒼い瞳、そして男が十人中十人振り返る整った容姿はどこか懐かしい気持ちを思い出させる。
「ご加減はいかがですか?」
「……悪く、ないです。はい」
「そうですか。一応術後の経過を確認したいので、上を脱いでいただけますか?」
「え、はい。わかり、ました」
彼女に言われるがままに翔は上に着ていた甚平の紐を解き上半身裸になる。ゆっくりと彼女は近づき翔の体の表面に残っている傷に触れてゆく。傷口は、魔術で治癒した、というものよりも手術か何かで縫合をしているといった具合でこの世界では珍しい治療法だと翔は感じた。
思えば、銃撃戦で重傷を負い、レギオンとの戦いで怪我を負っていたのだ。おそらく医者である彼女から見たらとんでもない患者に思われただろう。
「術後の経過も悪くないですね。あんな傷で、このジャングルを出歩くなんて自殺行為ですよ。もし感染症とかに罹ったらどうするつもりだったんですか」
「え、えっと。すみません……?」
「一応、薬は出しておきます。体に入り込んだ悪いものを外に出す薬です、一日三回、忘れずに飲んでくださいね」
「……ありがとうございます」
そう言って、彼女はおそらく服と同じ素材であろう麻でできた袋を翔に手渡す。あまりにも平然に問診が始まって終わってしまったので、呆気に取られていた章だったが、薬の袋を受け取ったところで思い出す。
レギナは一体どこにいった。
「あのっ! すみません、俺。連れが一緒にいたはずなんですっ! 彼女は一体どこにっ」
「え、はいっ!?」
エルフの女性の肩を掴み揺さぶる翔。
もし、彼女に何かあったら。
動揺して目を丸くさせているエルフの女性に質問攻めをする翔。その必死な形相に驚いたのだろう、彼女は翔の手を振り払うとそのまま部屋の外へと飛び出して消えていった。
唯一の情報源を失った翔。
頭の中によぎるのは最悪な結末。
周りを見渡し、パレットソードを探し出そうとするが、流石に自分の武器を手元に置かせるほど油断はしていないらしい。
「『レディ』……あれ」
片手を差し出し、パレットソードを呼び出す呪文を唱える翔。しかし、剣が手元に来ることはない。そのあと何回か呪文を唱えたが、パレットソードが手元に来ることはなかった。
剣もない、情報源もない、
レギナもいない。
今の自分はとてつもなく無力だ。
と、そのとき。部屋の外で人の気配を翔は感じる。彼女がまた戻ってきたのだろうかと一瞬思ったが、その気配は複数人である。咄嗟に、部屋の本棚に置かれていた『薬草学と魔術』という一番本棚の中で分厚い本を片手に装備し身構える翔。
今の自分の身分がわからない以上、武装しなければ何をされるかわかったものではない。
しかし、
「失礼します。入ってもよろしいですか?」
「え……、はい。どうぞ……」
暖簾の向こう側から聞こえてきたのは、気が抜けるほどに優しい男性の声だった。酷く物々しい雰囲気の割に聞こえてきた声はあまりにも優しいものだったため、思わず拍子抜けしてしまい、片手に構えていた本を床に下ろす翔。
完全に警戒を解いた翔の元に入ってきたのは五人のエルフ。そのうち四人は武装をしており、真ん中に立っている人物が先ほど声をかけたエルフだというのは身なりと雰囲気から想像に難くはなかった。
「先ほどは、私の娘が迷惑をかけてしまったようだ。娘はこの村で唯一『医術師』というのを生業にしているものでね。外からの人間を診るのは久しぶりのことだったはずだ。改めて、お詫びを」
そう言って頭を下げる真ん中のエルフは、見た目こそ二十代前半のようではあったが、その髪の毛は他のエルフとは違って翡翠色ではなく、腰にまで伸びている髪が全て白髪だった。
「そんな……こちらこそ。怪我まで治してもらって……ありがとうございます」
「……そう言ってもらえると、彼女もきっと貴方を治した甲斐があると思う。さて、失礼。少し、腰を下ろしてもいいかな?」
「は、はい。それはどうぞ」
「ありがとう。では失礼して」
そう言いながら、男は床に座ろうと動く。しかし、その動作は見た目以上にぎこちなく、まるで老人がゆっくりと座ろうとしているかのようにぎこちない。そして、周りでそれを支える男たちも、彼のことを『長老』呼びながら手を貸している。
「よろしければ、同じ目線で会話をしてみたい。貴方もぜひ、座って」
「……失礼します」
長老と呼ばれた男に言われるがままに、その場に正座で座る翔。しばし、同じ目線でかち合ってお互いの顔を見つめること数分。香炉の中の香木が燃え尽きるまで、互いに終始無言で見つめ合う。
先に動いたのは長老の方だった。
「私の名前は、レース=カルディア。このリュイの数あるエルフの里の一つでみんなのまとめ役をしている老耄でね。長老なんて呼ばれているが、そんなにえらい存在というわけでもないただのエルフだ」
「俺は……今一色 翔です。まず、はじめに謝罪を。この森に無断で立ち入ったことが原因で仲間が囚われているのなら、手前勝手ですが、ここに長居はしません。どうか危害は加えないでほしい」
『お願いします』と深く頭を下げる翔。その様子をレースはじっと見つめている。今の自分が一体どういう身分でここに置かれているのかわからない、しかしそれでも目の前の男がただ何も聞かずに人を処断する人間には翔は思えなかった。
しばし、無言の時間が二人の間に流れる。
フッ、と息を吹き。レースは少しだけ優しく微笑む。
「貴方は、とてもまっすぐな人なのですね。仲間想いで、度胸もある。だからこそ、あの剣に選ばれたのかもしれませんね……。イマイシキさん、貴方の仲間は今安全な場所にいます。あの騎士団団長は私たちエルフとは深い溝がある。その措置としてこことは少し場所が離れていますが安全な場所で過ごさせていますよ」
「……よかった……本当に……。ありがとうございます……っ」
レースの言葉から嘘を感じ取ることはできなかった。本当に彼のいうとおりならば、レギナはきっと無事なのだろうと安心し、その場から崩れ落ちる勢いで体全身の力が抜け落ちる。
そんな様子を見ていたレースだったが、先ほどまでの微笑んでいた表情を少しだけ曇らせて翔のことを見始める。
「本来であれば、森への無断の侵入者には適切な処罰を下します。それが何人であれ、適切な処罰を下す予定でした。しかし、貴方はこれを持っていた」
そう言って片手を上げたレースの手に置かれたもの。それは紛れもない、先ほど呪文で呼び寄せても手元に来ることがなかった、翔のパレットソードそのものだった。
「それは……っ」
「今、これには魔術を施してこの剣の持つ力を一時的に抑制している状態です。まず、貴方に尋ねたい。この剣を、どこで手に入れたんですか?」
レースの灰色の瞳が翔を貫く。先ほどまでの空気とは一転して部屋の温度が数度下がったかのように冷たい。とても人間が出せるプレッシャーではないと思いながら翔は喉の奥で唾を飲み込む。
「……拾いました」
「どこで?」
「イニティウム、です」
「……ふむ、なぜ……」
パレットソードを見ながら悩みこむレース。考え込む彼に、翔は体に刻み込まれた呪いが疼き始めるのを感じた。
「……レースさんは。この剣について何か知っているんですか?」
「……知っているとも。私は、この剣を作ったものとは友人だった」
「……え? 友人だった……?」
「そう、この世界の遺物『杖』『剣』『王冠』を作り上げたものと。私は友人だったのだよ」
衝撃の事実に言葉が出なかった。
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