第101話 失った色
目の前で煙と爆音を出しながら燃え朽ちてゆく船を、翔はぼんやりと眺めていた。耳に入るのは、船員の怒号と悲鳴、その全てがどこか歪んで聞こえる。
とうとう、自分は人を手にかけた。
右手に持つ炎下統一が姿をかえ、元の剣に姿を戻してゆく。同時に、体に深く刻まれてゆく呪いの刺青。すでに、戻れないところにまできているのかもしれない。
「……行かないと」
口から出た言葉は、驚くほど力無く地面に落ちて消えていった。だが、それを皮切りに翔はフラフラと歩き出す。向かう先は、腕を組み、事の顛末を最後まで手を出さずに眺めていたレギナのところだ。
彼女の表情は相変わらず読みきれない。だが、その瞳の奥が語っているのは、どこか落胆しているような、諦めにも似たような、とても闘いから戻ってきた人間に向けるような表情ではなかった。
「……いきましょう。レギナさん、待たせてしまってすみません……」
「……そんな言葉を吐く前に。まずは怪我を治療しろ、死にたいのか?」
「……」
満身創痍。レギオンとの戦いで、翔の体はボロボロだった。腹部に重度の火傷、肩に深い裂傷、その他左耳がちぎれていたり体には無数の傷がところどころにある。
不思議と痛みは感じなかった。
それよりも、心の中にぽっかりと抉られたような空洞の方がずっと痛かった。
「レギナさん……、俺。人を殺しました」
「……そうだな。だが、死んで同然の輩だった」
「……また。俺の手から、命がこぼれ落ちました」
ふと、周囲を見渡す。そこには、帰るべき船を失い茫然としている敵船の船員。そして、被害にあったプラエド号の船員が仲間の治療にあたっている。すでに助かる見込みのない船員も大勢いる。それでも、必死に涙をこぼしながら治癒魔術をかけていた。
地獄だ。
さっきまで、笑って過ごしていた人たちが、また自分の前から姿を消した。全ての原因が自分にあるとは思っていない、それは傲慢だ。だが、少しでも自分が躊躇せず全力を出していたら。もっと早く覚悟を決めていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
「……俺は、ここで治療を受ける資格はありません」
「……そうか」
レギナは翔に背を向けると、その背後にあったボートを海に下ろす準備を進める。とてもではないが、彼女を手伝う気にはなれなかった。
「おい、大将……っ!」
茫然とレギナが作業をする姿を目にしていた翔の元に声をかける人物がいた。自分のことを大将と呼ぶ人物を一人しか知らない。
後ろを振り返る。そこにいたのは、両脇を抱えられながら血で顔を汚したレベリオ。抱えられている左腕の手首から先がなくなっているのをみて、翔は思わず目を逸らしてしまう。
「……レベリオさん……俺……」
「……大将。世話になったな」
少しだけ、顔の緩んだレベリオが翔に向けて言葉をかけた。彼の言葉に、思わず心が熱くなる。食い止めていた己の心のうちで凝り固まったものが涙となって両頬を伝い流れてゆく。
「……っ、俺はっ。そんな言葉を言われる資格はないっ! レギオンと戦っている時だって、躊躇しなければもっとはやく決着をつけることができたっ! あの船だって、俺が……っ。俺が……っ……」
「それでも……。お前は、全力で俺たちを助けようとしてくれた。違うか?」
レベリオの真っ直ぐな瞳が翔の心を貫く。だが、たとえそうであったとしても、結果が伴っていない。
結局、全力だったとしても、ダメだったものはダメなのだ。
終始、翔はレベリオの目を見ることができない。それは罪悪感もあったが、こんな形になったのにも関わらず礼を述べようとするレベリオという人間の器の広さに直視ができなかった。
自分という人間が、あまりにも矮小に感じずにはいられなかった。
「大将。こいつをやる」
レベリオが翔に向けて差し出してきたもの。それは、小さな水晶が付けられた耳飾りだった。突然のことに困惑する翔、一向に受け取る気配のない翔に一瞬呆れたような表情をしたレベリオは乱暴に翔の耳を引っ張ると無理やり耳飾りの針を通す。
「いたっ」
「こいつは共鳴石ってやつだ。もし、大将が何か本当に困ったことがあれば。そいつを割れ。たとえ海の上だろうが、陸の上だろうが。俺たちが大将のことを助けてやる」
「……どうして。どうしてそこまで……」
翔の問いに、レベリオ頬を釣り上げ応える。
「仲間助けんのに。理由なんかいるか」
そうだ。この人は、こういう人だ。
たった二週間と少しの付き合いしかないが、それでもほとんどの時間を共に過ごしたのだからわかる。
この真っ直ぐな人の在り方が多くの人を導いて、救ってきたのだ。
こうして、レギナと翔はプラエド号を去っていった。心の中に、大きな傷を負いながら次なる物語の舞台はリュイ。エルフの土地、神秘がいまだに残ると言われる緑の大地。
青の精霊石を探す旅は、まだ始まったばかりである。




