「肩書き」
「肩書き」
ピーヒャラ・トン
ピーヒャラ・トン
ピーヒャラ・ピーヒャラ
ピーヒャラ・トン
エー、毎度のお付き合い、まことに有り難う御座います。
見掛け倒しって事を申しますが、日本民族の嫌いなタイプのひつです。
「うどん屋の釜じゃあるめぇし、ユウばっかりじゃ、しょうねぇ」
料理学校出たから、俺は調理師だ。だとか、車の運転免許があるから、運転できる。なるほど、確かにそれに違い御座いません。肩書きは取れる時に取っておけ、中味は後から付いて来る。
肩書きに、経験という中味を付けるわけですが、経験と肩書きのバランスが、なかなか取り難いのも、まッ、人生。
板前になって五年生のグミ助、二度調理師試験に失敗し、経験はあるけど、肩書きがない。海の魚を真水で洗えば生でも食える。こんな当たり前の事を腸炎ビブリオ菌は、真水で洗浄する事。なんて、肩書きのある新人に言われた日には、腸炎が延長でも、ビブリオがデカプリオでもいい、手めぇでやれ、なんて、どやしたくなるもんです。
でも、どやしたり、引っぱたいたりすれば、やれハラスメントだ差別だ暴力だって、事情はともかく世間が騒ぐ。グミ助、その悔しさを、聞いて欲しくて、ガム公の住んでるチョコ坊のマンションにやってきました。
マンションの裏手が山並み、表通りが海岸に面している。グミ助、そこまで来て、しばらく海を眺め、マンションを眺めて、はァっと溜息をつき
「情けねェなァー、新座者に、能書き言われ・・・肩書きあるから仕方ねェが、ハイって言ってる自分が情けねェ」とか何とか言いながら、前を行ったり来たりしてたんですが、吹かれたように、マンションに入っていく。
誰でも、このォ胸ン中にあるいやな事を、誰かに言いますと、何か胸がスッキリする、って事があります。行くと、チョコ坊は外出中。ガム公は横ンなって、テレビで007かなんかを見ている。その姿をボーっと見ながグミ助が
「いいな、のんきで」なんて言ったもんですから、横になっていたガム公が、ガバッと起きて
「何がのんきなんだ」とグミ助を睨んだまでは良かったんですが、その姿を見ると
「どした、お化け見てぇに突っ立って、生きてんのか」
するとグミ助が、いきなり膝を折り、ひしゃげた蛙のように座りこむと
「おれ、情けなくってさ」
「なにが、どうしたんだ」言って聞かれて、わけを話せば、ガム公の兄ィが腕組み辛抱、じっと考え
「板前、職人の一番辛れぇところだ」
グミ助、へ、と顔を上げた。
ガム公が爪をいじりながら、くぐもった低い声で
「知ってたか、久治朗親方、免許なんざ持ってねぇ」
グミ助、又も、へッとなって、首を前に出し、目パチクリ。
「んな、俺を励まそうって、気は嬉しいが、見えすえた冗談じゃ、シラケ鳥がピーチクパーだぜ兄ィ」
「ん、だが本当だ、むかし、高知のカツ節職人で、カツヲを五枚下ろしにするのが、人の三倍速いと、親方の知人から聞いた。俺が小僧で、今の活春に入った初夏五月。初カツヲが入荷し、まな板を前にした親方の前に、銀皮向うで頭が右、カツヲが置いてある。アレッて思ってた俺に、素焼き八寸だって言った親方の目が、ピカーッと光ったのを今でも覚えてる。びっくりして八寸取りに行って、ワクワクしながら戻ってきたら、もう刺身が出来ていた。ものの一分もかかったかどうか」
ガム公、生唾をゴクリと飲み、顔を上げ、視線を上に向け、静かに目を閉じ、はく息に声を乗せたような声音で
「神技ってなァ、あの事だな」とつぶやいた。
別人になったようなガム公にグミ助の目が張り付いた。
ガム兄ィの目尻に光る一筋。グミ助、ザザッと畳を蹴って座り直した。
「兄ィ、俺が馬鹿だった」
「じゃねェが、慌てもんだ」ここでグミ助、三度の、へ。
「中味のねぇ肩書きで、いくら着飾っても、底が浅ぇからすぐバレル。これじゃ金も女も着いちゃ来ねぇ」言葉を切って、ひょいと気が着くと、グミ助がいない。
「グミ、トイレかぁ」
「こ、ここにいる・・・」蚊の鳴くような声がガム公の後ろでする。
グミ助、部屋の隅で平蜘蛛になって泣いている。
「ま、いい、久保田の万寿、冷え頃だ、持ってこい」グミ助が涙と鼻水を掌でぬぐいながら立っていきます。
「おい、手ぇ洗ってからもってこいよ」
勝手知ったる他人の家。櫛型レモンの小鉢、荒塩の入った小鉢、小皿に檜の一合枡を乗せ、運んでいきます。用意の出来た日暮れ時、どこかで蝉の声がする。
「グミ助、親方が板前仕事してるの、見たこと有るか」
「あるさ、とにかく手際がいいって言うか、何でも切り裁いて行く」
「そうじゃねぇ、鍋前の事だ」
「鍋前かァ・・・ねェな」
「だろ、解るか、その意味」冷えた枡酒をキュッとやって、荒塩をカリッと噛んではコンニャク問答の二人。
枡からこぼれた小皿の酒をツツーッとすすってグミ助
「ねぇな、どういうことだ、兄ィ」
「庖丁人だからさ。昔は板前、料理人を、そう呼んだが俺の解釈は違う・・・車の教習所には教官がいる、スポーツにはコーチがいる。教官やコーチは生徒や選手に技術を教えるんだろ。その技術をどう使うかは、選手や生徒のかってだろ。違うか」
「そらァ、そうだが、それと庖丁人と、いったいどんな関係があんだい」
「この野郎、酔って来やがったな、深酔いしねェうちに言うから、耳ィかっぽじいて、よっく聞け」
「兄ィだって酔ってんじゃねぇか、なんだい、その巻き舌」
「るせぇ、庖丁人てなァな、教官やコーチと同じだ。言ってみりャ、板前に庖丁の磨ぎ方とか使い方を教える教官だ」
「でもよォあの教官、自分で仕事はしても、教えてくんねぇぜ、なんでだい兄ィ」
「知りてぇ事を、聞けばいいじゃねェか、聞かねぇから、言わねェだけさ」
「何、聞けばいいんだ」
「こッからだな、馬鹿と利巧の差が出るのは」
「どんな差だ」
「聞きてぇ事が多い奴ほど利巧ってこった。プールサイダーになって見てるだけじゃ、美味い物は出せねぇ。切ったハッタは庖丁人だが、美味い不味いは板前仕事だ」
「頭、ゴチャゴチャしてきた。プールサイダー、なんだァ、三ツ矢サイダーとかラムネなら知ってるがよ」 いよいよ酔ってきた二人。
チョコ坊が、外から帰ってきてみれば、奥で二人の声がする。 ああ涼風に誘われて冷酒だね、それじゃおでんが丁度いい。台所へ入って、出来合いのおでんの袋を切って鍋に入れ、コトコトやりだします。こう気の利いた女性を女房にしたいですが、なかなか。
和ガラシをぬるま湯で練る。カツヲ風味の即席出しに昆布茶を入れると、何とも言えない日本の香。大きな盆に鍋ごと乗せ、取り皿、和ガラシ、レンゲをそろえ、奥へと運ぶ
「お、帰ぇってたのかい」
「知ってたくせに・・・」
「ん、まァな」
「始まった、おでんより熱いじゃねェか、お二人さんよ」
「帰りがけ、つい買っちゃったけど、よかった、さ、グミちゃんもどうぞ」
「どうぞって、兄ィには袋と筋で、俺にはでぇこんか、二人して、好きにやってくれ」
グミ助、二人にかまわずカラシを塗って大根を頬張った。
「ああ美味めぇ、美味めぇけど、やっぱ違うな」
「グミちゃん、食べながら何言ってるの、食べてから、ユックリお話よ。何が違うって」
フーハーいいながら飲み込んだグミ助
「あのさ、親方が桂剥きして、残った大根をよ、俺がたまに炊き込むんだ、荒炊きだったり、おでんだったりなんだが、どうも何かが違うんだ。これと」
言いながら食べかけの大根を顎でさす。ガム公、頬を崩して
「解ったか、そこだそこ」
「そこって、どこだ」
「大根だ大根、骨ぇ張って思い出せ、親方の大根とこの大根、どこが違う・・・ん、グミ」
グミ助言われて、大根をジーッと、穴が空く程睨み
「ザラツキがある、親方のはない」
「よし、それでいいグミ、お前ぇの大根と、この大根、同じだろ。親方のとは、違うだろ」
「ん、ああ、でも」
「どっから来るか解るか」
「解らん」
「庖丁の冴えと使い方だ」
「ナイフかァ・・・」
「バカ、和庖丁とブリキナイフ、一緒にすんじゃねェ、そんなこっちゃ、肩書きのほうで、二の足踏ンでらァ」
ピーヒャラトントンソロソロ一服、アラドッコイ