七月二十日 ④
更紗という魔法使いが目をつぶり、深呼吸して意識を集中させていく。すると、彼女の脚元に魔法陣が現れる。
次に彼女がそのまま自分の正面に手をかざすと、そこにも魔法陣が現れ横並びに数を増やし、天井に吸い込まれるように消えていく。
そんな現象が何度も何度も繰り返されていった。
後で実際に見て気づいたのだが、天井に消えていったように見えていた魔法陣は、本当は空へと向かっていた。
すべて空にあるゲートのところへと向かっていたんだ。
そうやっていくつもの魔法が空に飛んでいき、ひとつひとつは小さかった魔法陣が繋がって形となり、やがて出来上がるのは東京の空を埋めつくすほど巨大な魔法陣。
とても一人によって作られたとは思えないものだった。
「────。────」
更紗は途中から歌を口ずさみ、その歌は色のない魔法陣に色を付けていく。
俺は目の前でより幻想的になっていく光景に、自分が置かれている状況なんて、どうでもよくなるくらいに見入っていた。
彼女のいるところがもう別な世界に思えた。
「じゃあできる限りで説明するわね。って、聞いてる? アナタにとって大事なことでしょう」
スーツの似合わない男に声をかけられて現実に引き戻された俺は、そこで「そうだった」と自らの現状を思い出した。
今のままでは異世界に、何もわからずに行くことになるのだと。
「では、改めて。できる限り説明するからね。忙しいんだから質問は受け付けないわ。まず、あちらに着いたらアナタが頼るべき人は近くにいる。まずはその人に会いなさい。管理された狭い島だし、魔物の心配もないから大丈夫よ」
「島ですか」
「向こうはやる事もわかってるし、詳しいことはあっちで聞いてちょうだい」
「…………。えっ、今ので終わり?」
残り少ない時間では、俺たちが無駄にしてしまった時間の分の説明はできなかったのだろうが、それにしたってあまりにも短くて驚いた。
異世界。魔法。魔物に加え、俺が知っていたことに追加されたのは頼るべき人とやらは訳知りで、到着先は管理された狭い島という情報。
後は向こうのことは向こうで聞けという、丸投げもいいものだった。
「だって、時間がないとなったら話すことなくって。今の向こうのことは向こうでないと。それにほら、時間もない」
「これ……」
「もう間もなくってことね。しかし、思ったよりずっと進行が早いわ。試すわけにもいかない魔法だっただけに、時間を長く見積もったのが裏目にでちゃったみたい」
色のついた魔法陣の一つが俺の脚元にやってきた。
その赤い魔法陣はまだ動いてはいなかったが、いよいよとなったことを示していた。残りの時間は「最後に飛ばしなさい」とスーツの男が言った、俺の番までの時間しかなかったのだろう。
「とはいえ更紗も流石にもう少しかかるし、アナタたちについてでも話すことにしましょうか。国は学生を対象に力の大小。方法は明かせないけど、潜在する魔力量を調べている。その調査の上位五人が今回選ばれたアナタたち。アナタはその中で一位。選抜するなら外せないでしょう?」
先ほども男は五人と言っていたから、自分と同じように異世界へと行く人間がいるとはわかっていたが、この内容で全員が学生だと判明した。
そして異世界へと行く人間が自分の他に四人いて、一箇所に集められてすらいないというのは、間に合わなかった俺たちのせいなのか。それとも別な理由があったのかはわからない。
「アナタはお父さんが関係者だったから、了承を得るにも簡単だった。ちなみに、お父さんは二つ返事で了承してくれたわ。他の子たちからは条件とかつけられて、何とか本人の了承を得たという形ね。いくら親を丸め込んでも、実際に現地に行くのは子供たちなわけだからね」
この言い方には「いつから?」と思った。いつからゲートの向こうに人を送るという計画は進んでいたのかと。
ゲートが現れる以前から異世界は観測されていて、政府はそれを知っていた。そうなるといつからだったのかは想像できない。
でも俺以外の四人には、ある程度の準備ないし用意期間があったのだとはわかる。異世界行きの打診があったのは、世間がゲートの存在を知ってしまった今年になってからだと想像できるからだ。
アレが消滅したら当面ゲートは現れないというのは、裏を返せば今年になってゲートが大々的に現れてしまったからこそ、わかったことのはずだから。
少なくとも今さっき聞いて、その日のうちに異世界に行けと言われたのは俺だけだろう。
「ゲートの消滅のことがわかったのが数日前でね。そこから急いで用意して、全てが揃ったのが今日。間に合わなかったらどうしようかと思ったわ」
「ゲートの消滅が数日前にわかっていてこんなギリギリですか。今日になったのは五人全員が揃わなかったから?」
「いえ、五人全員が東京都在住よ。それに関しては更紗が一番遠かったわ。今日になってしまった理由は、学生さんの夏休みに予定を合わせなくちゃならなくなったからよ。世界の危機と勉強とどっちが大事なんだと思うけど、文句言うにも言えないからね。期間も夏休み中に限定されちゃったし」
「夏休み中って、一ヶ月と少ししかないけど……」
夏休みだからとスーツの男は言い、親父も夏休みのバイトだと思ってと言った。
俺は車の時点では半信半疑だったし、会話も流れてしまったから親父には詳しく聞けなかったというのもあるが、ここに来て夏休み中のことだと聞き、「一ヶ月しかない夏休みで世界を救うなんてできるのか?」と疑問に思った。
あるいは最初からそのための前段階。
親父は世界を救うと言ったわけだが、救うの定義もわからないわけで、その実は様子見という意味合いが強いのかと思った。
例えば今回は向こうを知るだけにし、次にゲートが現れた時にも人をやり、回数を重ねて世界を救うとなるのかと考えた。それなら期限付きの理由にもなると思った。
「ああ、こちらと向こうとは時間の進み方に違いがあるのよ。こちらでの一ヶ月は向こうでは半年くらいにはなるの。それだけあれば解決までいくと見てるわ。夏休みはなくなるけど勉強の補填はしっかりするし、宿題は国家権力でナシにしてあげるから心配しないで」
「半年……それだけあれば……」
しかし想像に反してスーツの男はこう言い、やはり世界を救うという言葉は本当なのだと理解した。
そして、半年まで異世界での滞在期間がいっきに伸びれば、何かしらは起きるし何かしらはできるだろうと思った。
魔法という万能を手に入れられるかもしれず、不可能を可能にする何かがあるかもしれないと。
ただ都合よく使われるつもりはなく、どうせなら自分のために利用できるものを探してみようと。
「期間がどうというか、そもそも素人が異世界に行き世界を救う。普通に考えてこんなこと頼めると思う?」
思えない。それは口に出すまでもなく、あからさまに顔に出ていたのだろう。
そんな俺の顔を見てスーツの男はニヤリと笑った。
「そうよね、思えないわよね。でも、アナタたちなら問題ないのよ。アナタはゲームってやる? あれって最初はレベル1から始まるわよね。当然ながらステータスも低い。必死にレベル上げして、ステータスを増やさなくちゃいけない。だけどゲームに例えた場合、アナタたちは違うの」
「?」
「経験値は足りないのだからレベルは1。でも、ステータスはカンストしてる。攻撃力も防御力も突き抜けてる。向こうでなら膨大な魔力量はそのままアナタたちの力に変わる。大抵の攻撃はダメージ無し。攻撃は魔物相手なら必殺。どう簡単そうに思えない?」
そこだけ聞けば簡単そうに思えた。
どう言われようと実際には違ったわけだけど……。
「こちらでは使えないアナタたちの力も、向こうでならあるだけで意味がある。それをもって場数でも踏めば一人前の戦士のできあがり。即戦力でしょう。コーチは現地にいるんだから、ダメな子たちでも大丈夫ってわけよ」
「それが大丈夫な理由だって。チートかよ……」
「あら、状況によってはチートも必要よ。普通にやってたんじゃ、あの世界を支配する────────」
俺は楽しそうに語るスーツの男から、顔を自分の脚元に下げた。だから安全だと言うんだと思ったら、やってられなかったからだ。
その瞬間に脚元の魔法陣が強く輝き、男の言葉が途切れた。