七月二十日 ②
気付かぬ間に到着していたのは都内にある大きなビルだった。
地上から車のまま地下にある駐車場にいき、そこからエレベーターを使い上の方の階に連れていかれた。
このビルについては駐車場から思っていたことだが、何かの企業が入っているにしては駐車場からがらんとしていて、歩いた限りのビルの中もとても殺風景だった。
だけどその割に外観は新しい気がして、もしかするとまだ完成していないビルだったのかもしれない。
そんなビルの中の一室に通された俺は「ここで待て」とだけ親父に言われ。
瀬名さんも親父と一緒に偉い人のところにいってしまい、しばらく一人で放置された。
しかし部屋の外にはこれまた素人ではない人間が二人いて、偉い人とやらのSPなのか、俺への見張りだったのかはわからなかったが、一切部屋から出ることも逃げ出すこともできなかった……。
「どうしたもんか……」
すでに簡単な逃げ道はなく、ビルに着いてしまった時点で異世界行きは確定らしいと理解した。
しかし納得がいかずそんな独り言が口に出て、独り言から間をおかずに部屋のドアが開いた。
いそいそと中に入ってきたのは表にいた二人ではなく、親父でも瀬名さんでもなく、おそらく偉い人とも違う。
ごく普通の女の子が部屋の中に入ってきた。
「ごめんなさい、遅れました! えーと、初めまして。私、更紗と言います。あなたが火神 優さんですよね?」
予想外な女の子の登場にただただ驚いていると、更紗というらしい女の子はソファーの正面にと移動する。
その際、彼女は一瞬だけ俺の隣を見た気がした。
「こちらこそ初めまして。火神 優です。って知ってんだよな。まあ、一応な」
「はい。一応です」
更紗という彼女の身長はおそらく百六十センチほど。目測と自分と比較してだが、だいたいそのくらいだろう。
服装も制服を着ていることから年齢も同じくらい。髪は栗色で、セミロングくらいの長さで、眼鏡をかけている。
いたって普通という印象の女の子だった。
「もしかしてだけど、異世界について説明してくれる人?」
「そうです。お待たせしました」
だが、とてもそうは見えなかったが、瀬名さんが車内で言った「続きは彼女に説明してもらいましょう。我々より適任です」という台詞の中で出た彼女とは、ごく普通に見える更紗という女の子のことだった。
「──では、あまり時間もないので早速。異世界に行くって話、火神さんはどうでしょうか。行っていただけますか!」
「……それを聞いてくるってことは強制じゃないのか? なら、正直に言うけどさ。興味はあるけどいきなりだしな。さっきの今で急に異世界に行けって言われても、普通に無理だ」
「そ、そうですよね。私なんかに頼まれても行ってはもらえませんよね……。やっぱりこの役目は……他の人に代わってもらえば……よかったのかな……」
俺は聞かれた事に素直に答えたのだが、聞いてきた彼女はひどくショックを受けたらしく。
声はみるみる小さくなり、目にはうっすらと涙が浮かび、最後には今にも泣き出しそうになっていた。
「そうだ! 魔法、魔法があるって聞いたんだけど!」
「……」
魔法という言葉が一番頭に残っていて、泣き出しそうな彼女をどうにかしなくてはと思って、口からそんな言葉が出た。
異世界に関連するワードである「魔法」なら、彼女の説明することにも含まれているだろうし、興味があるのは本当なんだから場を和ませられると考えたんだ。
「……見たいですか。魔法」
自らの袖で涙を拭ったあと彼女はこう言った。
これは興味はあると俺が言ったからなのか、興味を持ってもらえればと彼女が考えたからなのか。
どちらなのかと考える前に俺は頷いていた。
「わかりました」
頷いたのを見た更紗という彼女は、聞き取れないくらいの音量で何かを呟く。
その言葉は当然ながらわからなかったが結果はすぐに現れた。
光るものでできている円の中に図形と文字が書かれた魔法陣が、ソファーに座る俺たちの真ん中に現れたのだ。
そして魔法陣が鏡のようになったかと思ったら、中に映像が映される。
誰かの視点から見える生き物たちはどれもが存在しないような生き物ばかりで。それらと戦う人たちもまず見ない武器を持っていて。一人が杖を振るえばゲームの魔法のように炎が飛んでいく。
流れる映像に映るのはまさに魔法。まさに魔物というものだった。
場面が切り替わり映されるのが街の様子へと変わっても、こことの違いが明らかに目立つ。
まずは様式の違う建物と街の造り。次に自分たちと細部が異なる人たち。動物のような耳や尻尾を持つ人たちが当たり前のようにいて、当たり前のように生活していた。
「今の、CGとかじゃないよな?」
「違いますよ。魔法であちらの世界を映してみました」
「は、ははっ、魔法に異世界か。全部本当なんだな」
この時の俺はどんな顔をしていたのだろう。
想像通りの異世界が存在していたと実感している俺を、更紗は少し笑っていて見ていたのだが……。
「──つまり更紗さんは魔法使い?」
「はい。今回みなさんを向こうに送るために呼ばれました。まあ、魔法使いと名乗ってもいいでしょう!」
「ほ、他にも魔法は使えるのか。できたら他のも見せて欲しいんだけど!」
「えっ、いや……それは……」
魔法という万能が世界に存在して、まさに目の前で普通ではないことが起きたんだから、原理なんてもうどうでもよかった。
その上、今のがその一端にすぎないのだと考えたら、俺は興奮せずにはいられなかった。
「あんなふうに火を出せたりするのか! こう、バーっと! ……いや、室内じゃ流石に無理か。スプリンクラーが作動するよな。なら他の、」
「期待させてごめんなさい! こちらでは必要ないので攻撃のための魔法は使えないです。私が使えるのは地味なものと、補助の魔法が大半なんです。魔法使いだなんて言ってごめんなさい!」
「……そうか。俺こそ悪い。魔法を直に見て冷静さをかいた」
更紗には言わなかったが、正直なところがっかりした。
勝手に期待したのも自分だが、その期待が大きかったから余計にがっかりした。
そんな様子を感じ取ったのか更紗はある行動に出た。
更紗が空中に指を走らせる。すると、指が通ったところには光の線が残る。
その後も彼女は指を走らせて空中に何かを書いていき、最終的にでき上がったのは魔法陣。
「魔法使いといわれる人たちが扱うのは、個人のイメージを形にして魔法とするものです。そのイメージの結晶たる魔法陣には意味があります。文字にも記号にも。一本の線にすら。それらの必要な要素さえ円の中にあれば、魔法として成立します」
「へぇ……とはいえ、当たり前だけど内容は理解できないな」
「これが映像をお見せした魔法の魔法陣です。他者の記憶に干渉し、映像として投写させることができます。今日は必要になるかと思い、予め映像を用意しておきました」
今のところに親父が言ったことに関することがあった。
ゲートを知らずに通る人というのは、その逆もあるということだ。そうでなければ記憶を提供した人などいるはずがない。
さらに言うと、その人は保護なりされて帰るところまでサポートされているのだろうと思った。もちろん秘密裏にだ。
しかし、その話を更紗にしても仕方ない気がして、ふと魔法陣の方を見ると気になることがあった。
「……んっ? 最初は魔法陣を書いてなかったよな?」
「はい、その通りです。二つの違いはですね。魔法は一度作ってしまえば、魔法陣を記憶してさえいれば、あとはいつでも引き出して使うことができるんです。書いて見せたのは説明するためで、本当は一瞬で出せますよ」
更紗が手をかざすと今度は本当に一瞬で、同じ魔法陣が現れた。
こんなところを見てしまうとやっぱり魔法使いなんだと思ってしまった。
「なるほど。これは便利だな。覚えてなきゃならないって条件はあるけど、それさえできればいつでも使えるのか」
「言うほど簡単ではないんですけどねー」
「異世界に魔法か。漫画みたいだ。あぁ、異世界ものの漫画がスゴい流行ってて。スゴく面白いんだけど知ってる?」
連想からたどり着いた自分の嗜好を、つい口にまで出してしまった。そして全部言ってから、「あっ、女の子にはわからないよな」なんて後悔しても遅い。
やはりというか急に振られた更紗の顔は、「言うほど簡単ではないんですけどねー」のままで固まっていた。
「わ、悪い。無理に答えなくていいからな」
「あ、あれ面白いですよね! 私も好きです。あの漫画のような魔法が自分にも使えたらといつも思ってしまいます。なんと言っても──」
女の子には興味のない話題だったと後悔していると、更紗は意外な反応をした。
女の子にしては珍しいが彼女も同じ漫画が好きで、俺たちは時間を忘れて語り合った。
そう。更紗が何をしにきたのかも忘れ、自分は何を聞かなくてはいけないのかも忘れてだ……。