捨て駒 ②
自分と同じように異世界行きの打診を受ける、黒崎という大学生と、あの喫茶店で知り合ってから一カ月が経過した。
その一カ月の間に彼と連絡を取り合い、二人でいくつか作戦のようなものを考えた。
異世界などという場所に、行かなくて済むように。
「成功報酬ですか……」
その一つ目は成功報酬を求めるというものだ。
これは四家の人間ならまず思いつかない。仮に思いついても絶対に口にしない。
「はい。とても無償で出来るようなことではないと思いました。僕に代わりがいないというのなら、このくらいのことは可能でしょう」
でも、僕のような分家の人間や、四家に関係のない人間が言う分には構わない。僕たちには、彼らのように守るべき面子もないのだから。
祖父や父には申し訳ないが、そんなものより自分の命の方が大事だ。誰だってそうだ。
「分かりました。一度、この話を持ち帰ります。その返事とともに、後日また──」
「十億。欲しいです」
そして要求する額も、無理だと思う金額を提示する。これは黒崎さんの案だ。
僕の口にしたおよそ現実的でない数字に、何度も打診にくるスーツ姿の男は驚いた表情をする。
しかし、それも一瞬で表情はすぐに元に戻った。
「その額で話をしておきます」
男はそれだけ言って早々に去っていく。
かなり予想外の展開だった。
無理だと言うものだと思っていたから。
その場合の返しはいくつも用意してあったが、受け入れられた場合の対応は想定してなかった……。
明日、黒崎さんに連絡して向こうの結果も聞かないと。場合によっては次の手を出していかなくては。
『こっちも同じだ。まさかだね。次までには返事を持ってくるようだし、早々に成功報酬での交渉は諦めて、他に切り替えた方がいいね』
「僕もそう思います」
電話の向こうの黒崎さんも、僕と同様に十億欲しいと言ったのに、顔色ひとつ変えずに話が通ったらしい。
二人合わせて二十億。そんな額がポンと出るはずがない。ハッタリかあるいは嘘と思いたい。
仮に本当なんだとしても、金を手にできるかは別な問題だ。異世界とやらに行けば、まず間違いなく死ぬんだから。
十億貰おうと死んだら意味がない。もしくは、それが分かっていて嘘を言ったとも考えられる。
『この先のことを含めて会って話そう』
後日というのが何日か分からない以上、結託する僕たちとしては対応を決めておかなくてはいけない。
それは電話という手段でも可能だが、黒崎さんに言われたように会って話した方がいい。
「分かりました。場所は?」
『明日、渋谷駅に来れるかい? 時間は君に合わせるから』
「分かりました。学校が終わったら連絡します」
※
どうして待ち合わせが渋谷なのかと考えもしたが、黒崎さんも学生だし、ここが都合のいい場所なんだろうと納得した。
待ち合わせは十七時。駅前で待っていてくれと言っていたけど……。
「これ、分かるのか?」
すでに帰宅する人たちであふれている駅前。
学校が終わって連絡した際、駅前ということ以外には何も聞いてないのだが、これで合流できるのだろうか?
携帯を確認するも着信はない。
時計は待ち合わせの十七時を過ぎている。
時間には正確な人だと思っていたけど遅刻か、あまりの人に見つけられないでいるのか。
考えなしに駅の外に出てしまったが、改札の近くにいた方がいいのだろうかと一瞬思い、そもそも黒崎さんは電車で来るのかどうかも不明だと気づいた。
これは一度電話をかけた方が早そうだ。
そう思った、──その時だった。
「──こっちこっち! ごめん遅くなった。道が混んでてね」
どこかから黒崎さんの声はしたが、その姿をすぐに発見することができない。姿を探し辺りをキョロキョロしていると、「プッ──」と短くクラクションの音がした。
そして音のした方向には四輪駆動の高級車が停車していた。
「これ、黒崎さんのですか?」
車に近寄って、まずはそんな言葉が出た。
「そうだと言いたいけど違うよ。今日は家の車を勝手に拝借してきたんだ。さあ、乗って」
大学生だし免許を持っていても不思議はない。両親も医者だと聞いたし、高級車に乗っていても不思議はないのだろう。けど、同年代の人の運転する車に乗るのは初めてだ。ましてこんな高級車に。
羨ましいとか。大学生とは大人なんだな。とか思ってしまう。
「今日はファミレスにでも行こうか? ドリンクバーはあった方がいいだろう?」
少し注目を浴びた駅前から出発して間もなく、黒崎さんは車を走らせながら話しかけてくる。
特に何も言わずに走り出すものだから、どこに向かうのかと思っていたけど、ファミレスを探しているとは……。
「いつもはそうですけど、今日は別に必要ないのでは? 話をするだけなら車内で十分な気もします」
「ならそうしよう。けど、道端というわけにもいかないし、車を停めらるようなところに行くよ」
「はい」
そうして車を停めらるようなところ、駅近くの代々木公園へとやってきた。この広い公園にも数回来たことはあるが、駐車場というのは初めてだ。
「こんなに空いてるものなんですね」
エンジンの切れた車から見た外の景色。
夕方、平日、それを踏まえてもガランとした駐車場。ポツポツとしか車も停まっていない。
それに……薄暗くて……なんだか……。
「なんというか気味が悪いね」
ピタリと合うその言葉。
唐突にフラグという言葉も頭をよぎる。
ガン──、ガン──、ガン──
不意に音がした。
何かが車の上を叩くような音が。
何かが車の上を歩くような音が。
「何だ?」「上から……」
何かの音は続き、前へと進んでいるのだと気づく。
そして、音を立てていたモノが姿を見せた。
「うわぁ?!」
フロントガラスにつく指の数。合わせて十本。
逆さまになっているからだろう。垂れた髪。
開く部分は口のようで、中には真っ白な歯が見える。
「うわぁぁぁぁぁぁ────」
それはおそらく、四つん這いになって車内を覗き込んでいるのだろう……真っ黒な人だった。