ムサシの国。その後。 5
夕方まで掛かっても終わる気配がない。
一日では終わらない。
それを察したカーナは、今日は切り上げて明日の朝一から続きをするといいだした。
「今日は終わりにしましょう。明日一日頑張れば……」
「明日も一日中この作業は無理だ。カーナ、悪いんだが明後日までにしてくれ」
「……わかりました。それで妥協しましょう。マナさんの方の進捗も確認してきます」
やけにあっさりと引き下がる。
進み具合を見て判断したのだろうか?
どこにいるのかは知らないが、マナのところに行ったカーナを見送り、未だに寝ている奴を起こしにいく。
「起きろ。どれだけ自堕落な生活をしてるんだ。本当に窓から放り投げるぞ」
「……終わった?」
「終わるわけないだろう。どういうつもりだ? 日々やっていればこんなことには……」
「なんだ、終わってないの。遊べないじゃない! 使えないわねー」
「頼まれた仕事もできない奴が何を言ってんだ! お前がここまで馬鹿だとは思わなかった」
どうせこいつは書類を読みはしないのだ。
カーナがいるのだから説明するだろう。
トモエに回す仕事など本当にハンコ押すだけの作業だったろうに、それすら全く手をつけないとは思わなかった。
「明日、明日、と思っている内に積み上がっちゃって」
「もういい……それよりこれだ。どのくらい掛かる?」
やはり片腕では不便だ。
すでに腕の無かった時間より、義手でもある時間の方が長い。無いということがこれほど不便だとはな。
「一日くらいかしらね。ワタシのやる気次第だけど。今の状況じゃやる気すらないわよ?」
「……俺は明日もこのままなのか」
「今日、付き合ってくれたら考えるわ。マナに頼んだお酒もあるし飲み明かすわよ!」
一人でやれとは、言いたくても言えない。
こいつの機嫌をとって、さっさと直してもらわなくては。
「──トモエちゃん」
いつの間にかマナがドアの隙間からこちらを覗いていた。ただ中に入ってはこない。
「あら、マナ。久しぶり」
「私はトモエちゃんを、一回本気でシメようと思ってます。嫌なら交換条件です。やるなら今回は水に流します……嫌だというのなら、これを全部うっかり地面に落とします」
ドアが徐々に開いていき、水の風船に包まれた土産の山がマナの背後にあった。
シャボン玉のようなものだ。突けばわれる。
「冗談よね……」
「──冗談でこんなこというわけねーだろ。やんのかやんねーのか! ハッキリしろ!」
マナも相当おかんむりのようだ。
そして俺と違い機嫌をとる必要がない。
「何をすればいいの?」
「それはやるということですか?」
「やるわ。だからそれをこっちに渡しなさい」
「最優先で?」
「最優先でやるわよ!」
「よし! ならばお土産だ。受け取るがいい」
風船のように浮いていた土産は部屋に入ってくる。
「マナ、この馬鹿に何を頼むんだ?」
マナに限って自分で出来ないことなど、俺には思いつかない。
まして、この馬鹿に頼むことなどだ。
「この子を治してください」
もう一つ水風船が部屋に入ってくる。
中身はぬいぐるみ。巨大なクマのぬいぐるみだ。
「なに、その中身が飛び出した不気味なやつ……。捨てなさい。でないと呪われるわよ」
「クマさんを治すって言った! このくらい余裕でしょ! 治すって言ったでしょ!」
……持って帰ってきたのか。
その棉の飛び出したぬいぐるみ。
「穴ふさぐだけでいいの?」
「元どおりに治して」
「不気味。何で腹わた出てるのよ。穴だらけだし……」
「名誉の負傷だから。クマさん大活躍だったんだから!」
本当にやるの? とトモエは俺の方を見る。
そんなに気に入っていたのか。
いい歳してぬいぐるみが恋しいのか。
だが、穴だらけになったのは仕方なかったしな……。
「治してやれ。裁縫はお前が一番上手い」
「わかったわよ。焦げ臭い……本当になんなのこれ」
「弾よけに使ったんだ。匂いは硝煙の匂いだな」
「会長がクマさんを囮にしやがったんです!」
仕方ないだろう。そんな状況だったんだ。
今この話は省く。
異世界での話ではなく現実の、もう一つの世界の話だからだ。
♢
トモエは、ぬいぐるみの修繕をしながら酒をあおっている。
マナが隣で監視しているので修繕に手は抜けない。最優先だしな。
「ぬいぐるみ、ねぇ。どうするのこれ?」
「抱いて寝ます」
「……そう。マナがいいならいいわ」
カーナはとっくに逃げ出した。
一番トモエの被害を被っているし、俺たちがいる時くらいは面倒を見るのを代わってやらねば。
「……美味しいんですか? お酒って」
興味があるのか、マナはそんなことを言う。
「あら、ついにマナも飲んじゃう?」
年齢的には問題ない。
ただ、成長しない容姿に引っ張られているところがあるからな。大丈夫とは言い難い。
「これにしなさい。ジュースと変わんないわよ」
アルコールの低いやつをマナに手渡す。
まあ、本人が飲むというのなら止めまい。
「匂いも強くない。トモエちゃんのは、いかにもなお酒の匂いなのに」
「だから、ジュースと変わんないって」
止めるべきだったのだ。
まさか、あれだけの量で酔うとは思わなかった。
ジュースと変わらない。
その言葉を信じ口にした酒により、
「──だから、トモエちゃんはダメなんだよー。わかった?」
酔っ払ったマナはトモエに絡み出した。
その後も、浴びるように酒を飲んでいて手のつけようがない。
「ちょっと、零! なんとかして……ぬいぐるみに話しかけてる! 掴むな。ワタシはこっちだし」
「知らん。寝るまで付き合ってやれよ。いつも俺たちが、お前に振り回されているのを少しは味わえ」
トモエも酒癖は悪いが、マナには酒は二度と飲ませないようにしよう。
「ふざけてないでなんとかして! 酒臭い! からみ酒なんて聞いてない」
結局、マナが寝たのは朝方だった。
最初にマナが潰れ、次にマナに付き合わされたトモエ。最後まで残った俺は、テーブルの二人をベッドにぶん投げソファで横になった。
♢
「おはようございます。起きてください」
いくらも時間が経ってない。
そう思ったのだがカーナに起こされる。
「昨日の続きですよ。顔洗ってきてください」
「……早くないか? 俺はついさっき寝たんだが」
「会長、トモエさんだけでなく、マナさんも使い物になりません。完全に二日酔いですね。あの二人、今日は起きませんよ?」
ベッドの二人には毛布がかけられている。
カーナがかけたのだろう。
つまり……。
「マナさんの分も、会長にやってもらわなくはいけなくなりました」
酒なんて飲ませるんじゃなかった。
「明後日でも難しくなりました。一秒でも早く始めましょう」
本当にこの日は夜まで、マナさえ起きなかった。
丸一日かけて書類の山を一人で片付けたのは言うまでもない。