ムサシの国。その後。 4
♢21♢
ムサシの国からイワキへと到着し、ようやく馬車移動も終わり、少し休もうかと思っていた時だ。
移動中ほぼ寝てたマナは元気で、お土産を下ろす作業を率先してやっていた。
本人がやると言っているし、手伝うつもりなど毛頭ない俺は自分の執務室に行こうとしていた。
その時だ……。
めんどくさい。
できれば避けたいやつの声が聞こえてきた。
「──零、今日こそ勝負しろーー!」
ここにいないはずのやつ。
可能な限り顔を合わせたくないので、所在は常に把握していた。はずなのにだ。
理由は見ての通りだ。
俺の顔を見るたびに勝負、勝負と絡んでくる。
こんなのの相手をしていては、命などいくつあっても足りない。
「毎回、毎回、逃げやがって! 今日こそ勝負しろーー!」
「……ヒスイ、いい加減諦めろ。俺はお前と闘うつもりはない」
「──知ったことか!」
普段はぐうたらなくせに、これに関してはやる気を見せる。
ローブを下を擦ったまま襲い掛かってくる。
街中でやる行為じゃないと思うんだが。
だが、そんなことばかりも考えていられない。
こいつは本気なのだから。
一撃でも、もらうとマズい。
しかし、片腕で捌けるかどうか……。
マナが気づくのを待つしかないのか?
周囲にいる他の奴らには、これを止めるのは無理だ。
「──死ねーー!」
「最早、目的が変わってるな。お前……」
俺の都合など考慮する気の無い攻撃が迫り来る。拳に蹴りが。
速いし……重い。
そのただの体術の脅威は計り知れない。
片腕で相手できるやつではないのだ。
しかし、義手である右腕は動かせない。
仮に無理に動かしても腕ごと持っていかれそうだし、間違いなく止めきれない。
まして受け流すなど出来るはずがない。
「今日は片手しか使わないつもりか? 舐めやがって!」
「違う! 使わないんじゃない、使えないんだ。だから止めろ」
「そうやってダマせると思うなよ! 悪い大人にはもうダマされない!」
聞く耳持たないな。
普段から話を聞いてないやつだが……。
──この、じゃじゃ馬が。
するびっている、ローブの裾を捕まえ勢いをそのままに地面に叩きつける。
本当なら、ぶん投げて距離を取りたいところだが、街中でそんな真似は不可能だ。
「いてっ、あーもうこれ邪魔!」
ローブを脱ぎ捨て、いよいよ本気で向かってくるつもりのようだ。
……素手じゃ無理か。
腰に手を伸ばして気づく。
あるはずの剣が無いことに。
そう言えば、剣は優に置いてきたんだったな。
この間を見逃すヒスイではなく、動かない右腕の側から攻撃を仕掛けてくる。
「──もらった! 死ね──」
何らかの対処をすると思っていたのだろう。
だが、動かない右腕では何もすることは出来ず、その腕はツギハギ修理ごと宙に舞う。
「────?!」
宙に舞った義手を目でおい、地面に落下するまでヒスイは見ていた。
「……あれっ、腕がもげた! こ、壊れたのかそれは? トモエに怒られるか?」
「だから止めろと言ったんだ!」
「うるさいわねー。人の家の前で何を騒いでいるのかしら?」
どう見ても眠そうな女が、外に出てきていい格好ではない女が、商会の建物の中から現れる。
「──トモエ! ち、違うんだ。わざとじゃないんだ!」
「…………」
「ごめんなさいー!」
そう言い残してヒスイは逃げていく。
なんなんだ、あいつは。
「……本当に壊したのね」
トモエは自分の目の前に落ちている義手を拾い上げて、こっちに投げてくる。
「そう言っただろう」
「──寝る」
トモエは、その一言だけ残して戻っていく。
寝るってここでか? あいつは何を言って……。
「会長、ヒーちゃんが走っていったんですけど、何かしましたか?」
お土産下ろしを中断してマナがやってきた。
「されたんだ。見てみろこれを」
「……またですか。あとで叱っておきます」
「そうしてくれ」
帰って早々これだが、こんなのはまだ序の口だった。
♢
執務室に入った俺は呆然とするしかなかった。
あったはずの家具はなくなり、代わりにベッドが置かれている。
下にあった通信機も、何故だがこの場所にある。
部屋の中は散らかり放題で、空き瓶が散乱しゴミまで落ちてる始末だ。
寝る……ね。
よくもまあ、人が留守の間にこんな真似ができるな。
寝ると言って部屋に戻ったトモエは、毛布にくるまっていて顔を見ることはできない。
ここは二階だが、こいつを窓から放り投げてもいいだろうか……。
そう真剣に考えていると、ドアが開き女が入ってくる。
「──会長、おかえりなさい! お待ちしてました!」
普段はこんなテンションではないカーナが、やけに嬉しそうな顔し、ドアを閉め鍵をかける。
……どうして鍵をかける。
「ちょっと、なに? なんなの! なんでこんな……。寄ってたかってなんなの?」
外からマナのそんな声が聞こえてきた。
マナも似たような状況みたいだな。
「いやーーーー! 攫われるーー!」
この街の中でそんなことは起きないが尋常じゃないな。
「会長、帰って早々で大変申し訳ないのですが、こちらに」
カーナは執務室で唯一無事だった、俺の席こと机に歩いていく。俺の腕を掴んでだ。
予め用意していたのであろう机の上の布が取り払われる。
「これを今日中に処理していただきたく、大変待ち遠しく昨日からお待ちしてました」
書類の山がそこにあった。
初めは何の紙なのか理解できなかったが、一つ思い当たることがあった。
「……まさかとは思うが、これは俺とマナが留守の間にトモエに頼んだ仕事じゃないよな?」
「その通りです! トモエさんは何もされなかったんです……」
「馬鹿な。俺たちは、ひと月はいなかったはずだが?」
「私で処理できる物は当然ありません。それは、私では処理できない物になります」
一ヶ月分ならこれくらいにはなるだろう。
だが、これを今日中にだと?
「明日からにしないか? 見て分かる通り、片腕では無理だろう……」
「会長、書類に目を通してハンコを押すくらい片腕あればできますよ? マナさんも拘束しました。これで半分です。残りはマナさんに振り分けました」
半分なのか、これで。
「逃がしませんよ。トモエさんは見ての通り何の役にも立ちません! 会長とマナさんに処理してもらわなくては、組織は立ちいかなくなります!」
言うことは分かる。
だが、視界に入る位置に寝ているトモエをそのままにしておく理由はない。
「分かった。馬鹿に仕事を頼んだ俺が間違っていた。少し待ってくれるか? その馬鹿を外に放り投げたい」
「ダメです。折檻するのは二人きりの時にしてください。そんな時間も無いんです!」
本当に余裕がないのだろう。
「早く取り掛かってください! 横でフォローしますから早く! 本当にマズいんです!」
これだけまくしたててくるのだから。
参った、これは予想外だった。
このくらいなら大丈夫だと思っていた俺が間違っていた。