渓谷 6
眠そうな顔の大蛇が現れる。
夜と名付けられた魔法から生み出された大蛇が。
最初は一つだと思った首は増え、現在四本の首がこちらを見ている。
真ん中の眠そうな奴を、横の奴が「起きろよ」と言わんばかりに頭突きする。
やられた方は、「何するんだ」そう言うようにやり返す。
それに巻き込まれた首も加わって、暴れ始める。
「……なんだ、これ」
生きてるみたいだ。
狼もそう思わせる仕草はあった。
──本当に魔法なのか、これは。
揉めていた首たちは一斉にこちらを見た。
「アイツのせいじゃないか?」
そんな結論に至ったのだろうか。
その巨体を遠慮なく振り回す。
大きく口を開き飲み込もうとしてくる奴。
首を振り下ろそうとしてる奴。
左右から挟み討ちにしようとしてくる奴。
それぞれが違う動きをする。
別々の意思で動いているように。
全部は避けられない。
左右は躱し、突っ込んでくる奴を受け止めるしかない。
強化切れの状態でも一回だけなら。
しかし、衝突の衝撃はかなりのものだった。
──こいつも重い。
ちゃんと見た目通りの重さがある。
俺は簡単に向こう岸まで吹っ飛ばされる。
木にぶつかり、その木がへし折れて、何とか止まる。
「……がはっ……はぁ……はぁ……」
打ち付けられた衝撃は、無かったことには出来ない。
斬撃や銃撃に魔法。
それ自体は防げても、衝撃までは防げない。
防御を上回った分はちゃんと伝わってダメージになる。
この重さじゃ、魔力があろうと無かろうと無理だ。
貴族の攻撃と大差ない。
それに、この場所もマズい。
「──ちょっと、なんでこっちくんのよー。私忙しいのよ!」
アオバさんがいる近くだからだ。
大蛇は追撃してくることなく、ケタケタ笑っているようだった。
「……その人たちは」
「カレンとスカーレットって女の子が、連れてきた人たちよ。怪我してる人もいるから、絶賛治療中! そっちでやって!」
アオバさんはかなりの無茶を言う。
あの大きさの相手じゃ簡単ではないんだけど。
「まだ全員保護してない。やるなら、あっち行ってね」
ここに、いつまでもは留まれない。
カレンの姿も見えないし、一人でやるしかないか。
♢
手負いじゃ、大して移動も出来なかったみたいだな。血の跡を辿って、すぐに追いついた。
「逃げられるわけないだろう」
「──待ってくれ。あっちの兄ちゃんと、話をさせてくれないか?」
「改心でもする気になったのか」
「……そんなところだ」
今更、何を言ってるんだ。
こいつは……。
改心してどうするんだ? 謝りに行くのか?
生き残った人たちに。攫ってきた人たちに。
悪かった。
間違えていた。
許してくれ。
そんな言葉を言うのか?
『──あいつらを殺して!』
女性の、あの言葉が全てだろう?
何をしても許されない。許されるはずがないんだ。
「いきなよ……」
「悪いな兄ちゃん」
そう言って、僕に背中を見せる。
撃ち殺してくれと言わんばかりに。
……冗談だよ。大人しく死ね。
償う方法はそれしかないんだから。
「──ダメ!」
放ったはずの銃弾が燃える。
炎に呑まれ消えてなくなる。
この魔法は……。
「黒崎、あなたどうしてこんなことを?」
「カレン、君も邪魔をするのか。そいつらに守るだけの価値なんてないんだ」
「……そうかもしれない。けど、あなたが殺していい理由もない。攫われた人たちが、奪われた人たちが、憎むのは分かる。だけど、あなたは何もされてないじゃない。どうして?」
そいつらを殺したくても殺せない人がいるからだ。
放っておけば繰り返し、改心しようと行くべき場所も、帰るべきところもありはしない。
「君は、そいつらを許せるのか?」
「それは無理。彼らのしたことは酷すぎる」
「なら、邪魔をしないでくれ」
「それも無理。あなたを放ってはおけないから」
彼女の誘いを思い出す。
一緒に行かないかと、手を差し伸べられた。
でも、僕はその手を掴まなかった。
鈍ってしまいそうだったから。
「──いい子ちゃんは少し引っ込んでなさい!」
カレンの後ろに転移の道が開く。
勢いをそのままに、スカーレットがカレンを蹴り飛ばす。
障壁に阻まれるが、スカーレットは本気だったのだろう。カレンは前につんのめる。
「アスカ、気にすることないわ。その屑を生かしておく必要はない。その行いは死んで償うべきものよ」
「やめなさい! 貴女、他の人たちはどうしたのよ」
カレンも負けじと魔法を使う。
スカーレットは魔法を迎え討つ。
「全員運び終わったに決まってるでしょ? あとは盗賊たちを始末して終わりよ!」
つまり、もう穴の中に巻き込まれる人はいない。
それなら……。
「残りの屑を全員喰い殺せ。 ──行け!」
狼たちを使う。逃げ場などすぐに無くなる。
これで、盗賊たちはいい。
「カレン、一人で僕たち二人と戦うか?」
退いてくれ。それを選んでくれ。
「黒崎。あなたが一人じゃなかったように、私だって一人じゃない」
緑色の魔法を帯びた斬撃が崖を切断する。
僕たちの近くを、その衝撃が通過する。
これは火神の……。
蛇はやられたわけじゃない。
なのに、どうしてここにいる。
「──火神」