ムサシの村
一時間ほどの移動の末にカレンや幼い兄妹が暮らす小さな村。異世界という場所に来て初めての集落へと到着した。
どうやらこの村から見て南側が全て森になっていて、俺はその広大な森の中にいたようだ。
そんな人の手が入っていない森の中から道があるところに出て進むにつれ、風景はひらかれた土地に徐々に変わっていき、村の近くまで来ると確かに人間が暮らしているのだとわかった。
しかしただ暮らすだけでなく、魔物にも対応しなくてはならない異世界というところの村。その四方は魔物の侵入を防ぐためだろうか柵が立ち、北と南にあるのだという入り口付近には門と門番。
異世界でないところから来た俺にはわかりにくいが、おそらくこれがこの世界の普通なんだろう。
「──話が済んだようだな。いくぞ」
「どこも余所者には厳しいねぇ」
「然るべきことだろう。よくわからない飛び入り、それに俺たちは嫌われ者らしいからな」
待っている間に村の外観を観察していると、カレンが手招きしているのに先に気づいた会長とスタークという男二人が、集まっている人たちの方に歩いていく。
わけを説明していたカレンの横には兄妹だけが残り、後の人たちはこちらに会釈だけして村の中へと入っていく。
「みんな一度切り上げて戻ってきたところだったみたい。見つかってよかったって。で、みんなは歓迎するらしいから中にどうぞ」
商会という組織が嫌いらしいカレンはトゲを隠そうとせず、その組織の男たちは明らかなトゲにも特別気にしたふうがない。
だが、こうなると他の人たちからの会釈だけの今の反応も嫌々という可能性もあるな。本当に商会という組織は嫌われ者なのかもしれない……。
「ムサシの村か。久しぶりだ」
「ムサシの村? ムサシってなんか……」
「ムサシの国の村だからな。他に名があるわけではないし、どこの国もだいたい同じだ」
そうじゃなくてムサシと聞いて何か覚えがある気がする。
宮本武蔵の武蔵か? 駅名にも……いや、武蔵って確か昔の地名じゃなかったか?
まあそれに気づいたところで、何か関係あるのかないのかもわからないわけだけど……。
「久しぶりって、ここに来たことがあるんですか?」
「十年前くらいか。この村の魔物除けは頼まれてウチがやったんだ。今では魔物除けの結界なんて貴族にお伺いを立てて、許しがでなければできないがな。当時は今より融通が効いたんだ」
実は密かに「魔物に対抗するには弱いんじゃないか?」と思ったこの村の守りは柵だけじゃなく、魔物除けという魔法が存在しているのか。だから、「魔物が近づかない村まで行けば安全」とさっき言ってたんだ。
どうりで外観に魔物の被害があるようには見えなかったわけだ。
「十年前にここに? なら……あれは……」
明らかに様子が変わったカレンに、「何かあるのか?」と尋ねそうになって、ギリギリで出かけた言葉を止める。
十年前のカレンというと「さっきのもういっかいやって」とスタークという男にやっている兄妹と同じくらいの歳だ。
当時その歳の子供だったカレンが、今こんな反応をすることに、何も知らないヤツが迂闊に踏み込んではダメだ。
聞いてはいけない事と聞かれたくない事というのは、生きていれば誰にでもあると思うから。
「──なぁ、ここは何処で。あんたは何を知っていて。俺はどうすればいいんだ。何か知ってるんなら話してくれよ。村に入ったしいいだろう」
だから俺は俺の聞くべきことを聞く。
何もわからないのだから、安全なところについたのならそうするべきだろう。異世界のこと。魔物のこと。貴族のこと。この村のこと。聞きたいことはいくらでもあるんだ。
それに、この会長という男は格好からして不自然だ。この男が協力者なんだとしてもなんの不思議もないくらいに。
「……いいだろう。だが、俺はその前に村長に挨拶してくる。スターク、お前は商隊の方にいって様子を見てこい。お前たちはその子たちを親のところに連れて行くんだろ? 話をするのはそれぞれやる事をやってからだ」
「わかった。そこまでが救ったヤツの責任ってことだよな」
会長という男は「そういうことだ」と言い村の奥の方に、スタークという男は兄妹をカレンに押し付け逆方向にと歩いていく。
残るのは「おねえちゃんもついてきて」と言う兄妹と、見えなくなるまで奥にと消えた男の背中を見ていたカレン。
「──ねぇ、私も一緒に話を聞いてもいいかな?」
「それは構わないけど、どうしてだ?」
彼女の様子から自分の勘に間違いがないと気づいていて、それを言わせるのはズルいと思うがやっぱり確信はほしい。
興味本位では聞けないが、これなら許される……よな。
「どうしても気になることがあるの。商会のこと。貴族のこと。そしてマヨイビトという存在のこと。こんな機会は二度とないと思うから。だから、」
やっぱりそうなのか。真剣な様子の彼女は十年前にあった何かを、あの会長という男から聞きたいのだ。
あの人は俺にも関係があるだけでなく、カレンにも関係があると。尋ねたい内容は異なるが俺たちは同じらしい。
「わかった。チャンスは無駄にすることない。だけど、知りたいことが知れるかはわからないぞ。あの人、簡単にはいかなそうだ」
「えっ……ありがとう。お礼ってわけじゃないけど話をするのにウチを使ったら? 外でってわけにもいかないでしょう」
「そうか、そういうの何も考えてなかった。というか、あの二人がどこに行ったのかも方向しかわからない」
「大丈夫。村長さんの家はもちろんわかるし、商隊って人たちのいるところも大体わかるから」
村の中のことは当たり前だけどカレンは全部知っていて、大きな荷物がありそうな名前の商隊の居場所にも見当がつくらしい。
そして村の中に知らない人は一人もおらず、その付き合いまでも深い。家族ぐるみどころか村ぐるみで付き合いがあり、まるで村が一つの家族のように暮らすところ。
本当に兄妹ではないカレンを兄妹は「おねえちゃん」と呼び、呼ばれる方は本当の弟と妹のように扱う。
俺のいたところでは中々ないものでも、これがこの世界では普通で、これが絆というのだろう。
この平穏を守ることができたのなら、何もしていないと思っていた自分のしたことに意味があったのだと思える。
◇◇◇
幼い子供が二人で村から外に出たことも、村からあんな遠いところまで行っていたことも、この村に来て偶然などではないと考えていた。
しかし、そこにどんな理由があるのかまではわからなかった。異世界の事情なんて知らないのだから。
真夜中に起きて黙って家から抜け出し、父親の見張りの交代を利用して門を抜け、目的を持って村の外に出た理由なんて、普通に暮らしてた俺にわかるわけがない。
「「……」」
勝手した子供を叱る親の気持ちはわかる。
多くの人に迷惑をかけただけでなく、下手をすれば自分たちも探しに出た人たちも、迷惑では済まない可能性だってあったんだ。
手を上げようとする父親の気持ちは理解できる。
でも、「叱らないであげて」とカレンは言った。
決して怖い思いをしたからというだけではない。お姉ちゃんと呼ばれているからだけでもない。
そこには子供たちの気持ちを汲む理由があり、上げた手を下ろすだけの理由がある。
結果、子供たちは怒鳴られただけで済み。俺たちは驚くほど感謝されたわけだけど、なんとも言えない違和感が残った。
何かそれだけの理由が平和に見えるこの場所にあるんだ……。
「……うそ」
「なんだあれ、行列? それにあのローブは」
カレンの後を考え事をしながら歩いていると、同じように考え事をしていたのか黙ったままだったカレンが急に脚を止め、どうしたのかと目線を遠くに向けると行列が見えた。
その行列の先には馬車が三台あり、商会のローブを着た人たちが何かを並んでいる人たちに配っている。
「あれが言ってた商隊で、配っているのは布袋か? ずいぶん大きな袋だけど何が、──カレン!」
すれ違った人の持っている布袋を見たカレンは今度は走り出し、商隊の方へと一目散に向かっていく。
走り出し直前に一瞬チラリと見えたカレンの横顔は「信じられないものを見た」と語っていた。
これは只事ではない。俺も追いかけよう。
「──全員の分ちゃんとありますから順番に並んでくださいよって、なんだお前さんたちか。ガキ共は届けてきたのか?」
「ああ、それは終わったけど。これは?」
「配給だよ。見て、わからないか。ちょっと待ってろ。この二人は特別でしてすいませんね。おい、代わってくれ。オレは会長のとこに報告に行くからよ」
並ぶことなく列の先頭まで行ったカレンは一台の馬車を覗き込み、その中で積まれた布袋を上げ下げしていたスタークという男は俺たちに気がついた。
そして布袋を二つ持ち、もう残り少ない布袋の配給を他の人に頼み、馬車から降りてきた。
交代した人と比べてスタークという男は若いが、「代わってくれ」と言って抜け出すあたり、立場はスタークが上らしい。
「ほら、お二人さんも持ってけよ。で、次は仲良くどこに行くんだ? 別にこれを貰いにきたわけじゃねーんだろ」
「あぁ、話をするって言ったらカレンがウチでって言ってくれて。これから向かうところなんだ。そういうことだからカレンの家に集合で」
「なるほど。了解、会長にはオレが伝えとく。ちょうど報告しに行こうと思ってたからな。特にオレがいなくても問題なかったですって」
片手で渡された布袋は大きくて重く、とてもではないが片手で持ち運べる重さではない。
三十キロの米袋よりもずっと重いぞ、これ。
貰った人たちの中にも片手で持っている人がいたが、抱えるようにしないと俺には無理だ。
走るのとはまた力の感覚が違うのか……。
「これ、配給ってことは中身は食料なんだよな。商会って嫌われ者なのかと思ってたけど……あぁ、それでか」
カレンの持つ商会のイメージと、目撃した実際との差がカレンの表情の理由だ。評判が悪い商会が慈善活動を行っていてはあんな顔もするだろう。
こんな大掛かりなものがカレンに向けた見せかけなわけもないし、会長という男は以前にもここに来たことがあるとも言っていた。
「うん、こんな事は今までなかった。でも、前にもここにあの人は来たことがあるって言ってた。それに、この村の魔物除けが商会によって施されたことも知らなかった」
「以前から聞こえる評判とは違う面が商会にはある?」
「うん。この村は貴族によって治められてる土地だけど、貴族はただ税を取り立てるだけ。人間の生活になんて無関心で、無理な要求だって人間は断れないからやりたい放題。その貴族と仲の良い商会がこんなことしてるなんて……私は考えたこともなかった」
カレンの言葉は烈しさを徐々に失い、しだいに声に勢いはなくなり、最後の方は聞き取れないくらいに小さかった。
スタークという男の森での口ぶりから、商会が貴族という存在と繋がりがあるのは確かのようだが、カレンが語る貴族とは逆のことをしている一面も商会にはある。
「わからないな」
「うん。たぶん私は何もわかってないんだ」