スメラギ 6
♢36♢
翌日。イワキを経つ前に、挨拶をと思って商会の執務室を訪ねた。訪ねたんだけど……。
「……うっ……なんで……ううっ……」
すすり泣く声が聞こえる。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
これには触れない方がいいのだろうか。
「ああ、お気になさらずに。割とよくあることですから」
秘書さんは何もなかったように対応する。
昨日の貴族らしさは、やはり見間違いだったのだろうか?
「一度寝たようなんですが、よほどショックだったようで、急に起きてまたメソメソし始めまして……」
昨夜、何があったんだろう?
昨夜は城に招待されたのだが、主人たるトモエさんが戻ることはなく、本人はいつものようにここで寝たのだろう。
「いったいどうしたんですか?」
「黒崎さんダメです!そんな言い方したら──」
バッと毛布が起き上がる。赤い瞳はその周りも赤くなっていて、本当に泣いていたのだと分かる。
そして嫌な予感がする。
「アナタは話を聞いてくれる人よね。黒崎くん?」
──ただ愚痴を言いたかったんだ。この人!
逃げることもできずに永遠と話に付き合わされる。余計な発言だった。しかし今更悔いても遅い。
こうして、いきなり旅立ちを邪魔された。
♢
解放されたのは数時間後。
途中で逃げようと思ったのだが、体が動かせなかった。トモエさんの何らかの力によるものだと推察したけど、初見じゃ分からない。自分の手の内を晒してまで、愚痴りたい彼女には感心する。
殺す気なら殺せたわけだ。いつでも……。
これは中々に由々しき問題だ。
何も分からず拘束され命を落とす。そんな無様な姿は晒さない。そのためには防御の魔法を強化するしかないな。
攻め手はあいつらと銃で足りている。
自分が死なないようにだけ、気をつけていかないとな。
サラサがいたら教えてもらうんだけど、姿が見えないので仕方ない。
それとあの男──。
結局、僕の何の攻撃も当たらない。こちらからは触れることもできなかった。スカーレットが慕うだけのことはあった。
貴族ではなく、あれは王と言うのだろう。この地の彼女も。
支配の先を見据える者。王に従うのではなく自らを貫く者。力だけではたどり着かない領域。そこにいる人たち。
世界を救うのは意外と難しそうだ。
けど、そこまでたどり着く。力だけで。そうしたら会いに行こう。
最初は近隣の盗賊たちから始めよう。綺麗なものだけの世界にするために。
♢
「もう、行くのね。黙っていなくなるのは感心しないわよ?」
「発たれるなら一言声をかけていただきませんと。お渡しするものがありましたので」
渡すもの? 服に装備。一通り貰ったはずだけど……。
「これを見せれば、商会の支部で必要なものは融通いたしますのでお持ちになってください」
そう手渡されたのは封書。
「ワタシの直筆だから効力はバツグンよ。ただ、他の奴に貸したり見せたりしちゃダメよ? 足がつくから。まだ勘付かれちゃいけないからね」
それも来たる戦いまでは……だろう。
「最後に……」
「──ちょっと!? 黒崎さんに何を?」
抱きしめられた。自分より背の高い女性にだ。
「誰も褒めてはくれなかったみたいだから。ワタシは褒めてあげるわよ? アナタは間違いなく国一つ救ってみせた。それで救われた人は大勢いる。ムツの国のことはワタシに任せなさい……悪いようにはしないから」
何も言えなかった。
「彼らもいつか気がつくわ。助けられたんだって。 ……なんだ。泣いてくれるかもと少し期待してたのに、残念」
そんなことだと思った。
「けど、今の言葉は全部本当。ありがとう。勇者様」
勇者という称号に興味はないけど、自分に助けられる人くらいは助けるよ。
さあ、行こうか。世界を救いに。