夜ノ色 4
♢31♢
もうひとつ。少年との約束を果たすため、少女を死なせまいとした彼女の話。
とうに自分の限界など超えた。
彼女はそれでも諦めない。
だから、たどり着けた。戻ってこられた。
少女を助けられる男の元へ。
世界で一番高い場所。
そこが彼女の家であり、男の住処だ。
日本という国で最も大きな山。
そこから伸びる、天まで届くほどの巨木。
その上層部に都市がある。もはや滅びた都市が。
以前は、神聖な場所だった。
けれど、今は放棄された残骸。
下界とも世界とも隔絶された場所。
時の進みすら違う場所。
世界に満ちる力の生まれる場所。
住処とする男は下界では貴族と呼ばれる存在。
けれど、誰もその存在すら知らない。
最大の支配者にとって絶対に知られてはいけない存在。そんな男は存在すらしていない。誰もがそう思ってる。
そんな男の話。その序章。
♢
先日の怪我の手当てとして、下手くそに包帯が巻かれている。馴れた者がやった手当てではない。
何も知らない子供がやったように拙い。
……実際、そうなんだけど。
ただ、口ではわずらわしいと言いながらも、外そうとはしない。悪態をつくのもいつものこと。
みんな分かっている。
当人がそんなこと思っていないと。
「怪我はどうですか?」
読んでいた本から視線を上げ、つまらなそうに言う。
「……こんなものは不要だ。放置しておいても治る。それなのに、どうしてこんなものを巻いてなければならん?」
「嫌なら、外されたらいいじゃないですか?」
「そんなことをすれば、また囲まれねばならん。鬱陶しい」
また、思ってもいないことを……。
口でなんと言っても、それが行動と一致しなくては子供は理解しない。
怪我の原因。流れ星の一件もそう。
星が見たいと言われたから、墜としてみた。
結局は甘いのだ。口でなんと言おうと……。
「それにしても、スカーレットは何をしてるんでしょう? 流石に様子を見に行った方がいいでしょうか?」
「貴様も居なくなったら誰が面倒を見るんだ? ……我はやらんぞ。四六時中振り回されるのは、ごめんだ」
それもいいかもしれないな。
いざ一人になればやらざるを得ない。
いや、彼女に頼むだけか……。
「心配は要らなかったようだぞ?」
今の口ぶりからすると、どうやらスカーレットは帰ってきたようだ。
出迎えくらいはしてやるか。
「下がれ。そこに現れるぞ」
──えっ?
本当に目の前というか自分の上に道が開く。
慌てて後ろに下がり、そこにスカーレットは現れる。
「スカーレット。なんで直接転移するんだ! 何回も言って……る……じゃ、ないか……」
額には玉のような汗をかき、息は乱れ、血が垂れている。
その背中には女の子。もう死にかけなのは明らかだ。
スカーレットはふらりと倒れこむ。
もはや、立ってもいられなかったのだろう。
少女を背をっていた手も力なく離れ、少女は重力に従い落下する。
絶望的な状況でこれはマズい──。
そうは思ってもスカーレットを抱きとめたことで、もう間に合わない。
「スカーレットは貴様が診ろ。大した怪我ではない。問題はこちらか……」
少女は落下することなく、空中に留まる。
重さなどないように。
「ここでは無理だな。下に行く」
それだけ言い残し、少女を抱き上げすたすた歩いて行ってしまう。
「自分一人で……ですか? 無理。無理ですよ! アル様が二人とも治療してくださいよ!」
「なら、スカーレットも連れてこい」
「まって……ちょっと。重い……」
「今の台詞。本人の意識がある時には、口にしないことだ」
向かうのは水の湧いてくる場所。
清い水が染み出すところである。
♢
身体の中の損傷が激しいな。
命を未だ繋ぎ止めるのは下手な治癒の魔法と、本人の意志か。
もう少しだけ我慢せよ?
「母なる水よ」
清き水。触媒としては申し分ない。
さあ、癒せ。未来を担うであろう小さき命を。
「……んっ?」
魔法が発現する前に、少女が何かを握りしめていることに気づいた。
首飾り? ……そうか。これも命を繋いだのだな。
少女の下げる首飾りは傷の位置と重なる。
よほど大事な物なんだろう。
意識もないのに離さぬとは。
しかし、壊れているな。
直すことは可能だろうか?
まぁ、自分には無理でも「重い……」と、未だに女一人運んでこれぬ、此奴なら可能か。
少し預からせろ。
元どおりに、とはいかんが直させよう。
水が少女を包み込む。
どこまでも澄んだ色。なににも染まらぬ色。
人としての色であり、貰った色。
母よ。この力、感謝するぞ。
貴女の願いは叶えてられなかった。
その真似事しかできん我を許してくれ……。
♢
「アル様、連れてきましたよ」
「貴様は少し、スカーレットを見習って鍛錬したらどうだ?」
「……考えておきます」
貧弱極まりない。同じだけの時間を過ごしてきただろうに、こうも違うとは。
「スカーレットの傷ですけど、貴族にやられたようです」
薄汚い黒か。救えん奴等だ。どこまでいってもな。
「問題ない。我以下の力しかない黒など残らず消してやる」
スカーレットの気性からして、蝕まれることはあるまいが存在すら忌々しい。一欠片すら残さん。
──消えろ。
「少し出てくる。治癒は施した。戻るまでは貴様が診ていろ」
「えーと……どちらに?」
「さあな、スカーレットがいたところだな」
「じゃあ……何をなさりに?」
「決まっていよう。娘に手を出されて、黙っている親はいないということだ」
「えー、貴族には手を出さないんじゃないんですか?」
「手を出さんのは魔王にだけだ。残りの屑共など含まれん」
スカーレットが開いた道を逆に辿れば着くな。
なんと言ったか、前に男たちから聞いたな……。
「落とし前と言うのだろう? 誰の娘に手を出したのか身をもって教えてやろう」
「うわぁ……国ごと消失とかやめてくださいよ!」
「考えておこう」
ずいぶん遠くから転移してきたようだな。
無茶をしおって……。
しかし、遠出など久方ぶりだな。
五分もあれば往復には十分だな。
読みかけの本があるのだ。
屑にかける時間など無駄でしかない。
手早く片付けてやろう。
その姿は消え、次に現れるのはムツの国。