最上へと至る 8
黒い獣に、誰も何もしなかったわけではない。
サウスは仕組みを理解しアスカを狙ったし、ロミオはここに戦力を投入することにした。
少年はもはや普通の魔法を使えない。捨てたから。
残る障壁が破られれば、新たに作ることはできない。
だから代わりが必要だった。
自分を守りつつ、いい加減目障りな魔法使いを消し去るために。
「ずいぶん弱くなりましたね? 先ほどまでが別人のようでしたのに」
その見立てに間違いは無い。
先ほどとは完全に別のもの。もう中身が違う。
気がついているのは、本人と貴族。
そして、それに名前をつけた彼女。
「そのまま進めば良かったものを。どうしてあの奴隷に感化されたんですか? 掃いて捨てるほどいるでしょう? あれはそんなによかったんですか?」
そんな下卑たことを言う魔法使いに嫌気がさす。
舞台と化した街からは絶えず悲鳴が聞こえている。
今、何体の獣が存在しているのかは、術者たる少年にも分からない。
ひとつ分かるのは、まだ底は見えないということだけだ。
「それに、その魔法も実に短絡的。貴族の魔法を真似たところで、たった一種類では話になりませんよ?」
貴族の使う支配者たる魔法。
座したまま戦うことの出来る力。
眷属と呼ばれるものを生み出す魔法。一国に相当する力。
ロミオは複数の種類を扱える。
父である貴族は一つしか扱えないのに。
……ならば少年はどうなんだろうか?
その答えはすぐにわかる。
♢
魔法使いは自身に出来る最大の魔法を準備していた。少年に気づかれないように。
これは経験値の差であり、埋めようがないものだった。
毒へと変化した水が少年を襲う。
頭上から。足元から。浴びればひとたまりもない。そんな毒だ。
毒には触れるものを溶かす作用もある。
障壁も例外ではない。硬く壊せないのであれば、腐蝕させればいいのだ。
「……あぁ、上手くいきましたね。きっとドロドロですね。判別できないくらい」
動く素振りも無い。ただ腐蝕する音が聞がする。
スライムという魔物に捕食されるのと同じ結果。前に見た貴族の力をアレンジしたオリジナル。
溶ける音と出る煙が収まっていく。
中からは黒いものが現れる。球体のような形。
表面は溶け、あったであろう散りばめられた星は見えない。
少年は傷ひとつ負っていない。黒い球体に守られて。
溶けながらも球体は動いた。魔法使いを見下ろすように、その巨体を持ち上げる。
魔法使いの見間違いでなければ、巨大な大蛇がこちらを見ている。チロチロと舌を出して。
「……なっ」
それしか言えなかった。
開かれた口から火炎が吹き出される。黒ではなく赤。燃える色。
サウスが水を扱う魔法使いでなければ、火傷では済まなかった。
大蛇は火炎で殺せぬと判断したのか、その首を振り下ろす。その一撃に地面と舞台に亀裂が走る。
巨体には質量がある。
質量のないハリボテを作るのは簡単だ。しかし、質量のあるものを創り出す魔法は難しい。
魔王の土人形が、ロミオの兵隊が質量を持ち存在する魔法で、その数を力量とするなら、少年も遜色ないことを表している。
大蛇はサウスの障壁を叩き潰すことにしたようだ。頭でダメならその尾を叩きつける。
繰り返すが大蛇には質量が、重さがある。
普通の魔法使いの障壁など破壊するのに、時間などかからない。
ただ暴れればいいのだ。獲物を喰い殺すまで。
「アスカくん……あなた。これ操作していませんね?」
大蛇も狼も術者は操っていない。
あれらは意思を持ち自ら動いている。命令に従って。
「……こんな馬鹿げた魔法があるはずが……」
サウスは余所見をした。意識を大蛇から少年に向けた。
攻撃を回避し、大蛇の頭は自分を見失ったはずだから。
「あーあ、余所見なんてするから……」
自分を見失ったはずの、大蛇の頭が自分の障壁に噛みついた。大きな力をかけられ歪む。ヒビが入る。
割れれば喰われるという恐怖は、活路を見出す。その口の中に魔法を放り込む。
大蛇の首は弾け飛び、巨体は倒れこむ。
「はっはは、残念でしたね。これでは使い物にならない!」
「残念なのは、お前の頭の中だ」
「……え?」
背後から、また負荷が障壁にかかる。
「後ろを見てみろよ? 答えがあるぞ」
振り返らない選択肢は無い。
振り返るとそこにも大蛇がいた。
「二匹いたのか……」
「違うよ。胴体はひとつなんだから」
ひとつの胴に首が二つ。いや……三つ、四つ。
合計四本の頭を持つ蛇がそこにいた。
失った首は再生していく。いつのまにか、散りばめられた星も元どおり。
「いい出来だと思わないか? 四属性それぞれの特色を持つ蛇だ。首ひとつひとつが、ちゃんと意思を持ってる」
サウスに逃げ場はなくなった。四方から同時に、我先に獲物に喰らいつく。
障壁は砕け、あとは誰がとどめを刺すのか。だが、誰も譲る気などない。
「待て。僕がとどめを刺す……」
大蛇はピタリと動きを止め、主人の言葉にしぶしぶ引き下がる。
「じゃあね。サウス……」
少年が引き金を引くより早く、巨体の尾がサウスを薙ぎ払う。とても生身で受けていい攻撃ではない。
「──おい」
自分がやったのではないと主張するように、四本の首それぞれがそっぽを向く。