第2話 白尾
野生動物への餌付けは、やらない方がお互いのためになるそうです。
小狐が居ないらしいので、とりあえずギリギリまで粘ることにした。それはいいのだが……
「暇そうじゃのう」
小狐が出て来ないかなぁと、しばらくぼーっと周りに生える木々を眺めていたら少女からそう言われた。
「……実際、やること無いですから」
そう言って、再び木々の間に視線をさ迷わせる。蝶だろうか、白い何かがヒラヒラと飛んでいるのが見える。
……何もせずに待つというのは、けっこう暇だ。普段は境内に入るとすぐに小狐が出てくるので、こんなに暇に感じたことはない。
「ふむ……よし、ならばお主、わしの話相手になれ」
「はい? いや、まあ良いですけど」
暇だから別にいいのだが。というかこの少女も暇なのだろうか。
「ああそう言えば」
「なんじゃ?」
ついでなので、一つ気になったことを聞いてみる。
「あなたの名前は? まだ聞いていませんでしたよね?」
彼女の名前をまだ聞いてない。自分は名乗った訳だし、向こうも名乗って良いはずだ。
「ん? 言っとらんかったか? わしは『白尾』という。白い尻尾じゃ」
「あまり聞かない名前ですね」
「お主らにとってはそうじゃろうな」
少女の名前は白尾というようだ。
「それで、何を話しますか?」
「さて、何を話そうかのう。童と話すのは久しぶりじゃからのう」
童……童って小さい子供って意味だよな。
「私は童扱いされるような年齢じゃありませんよ? というかむしろ、あなたの方が僕より年下に見えますが?」
「わしからみたら、お主らはみんな童じゃよ。それと、相手を見た目で判断しておると、いつか足元をすくわれるぞ」
「……つまり、見た目より大分年上だと?」
「どうじゃろうなぁ」
実際は幾つなのだろう。見た目は中高生にしか見えない。しかし口調はまるでお年寄りのようだ。
「気になるのじゃったら、直接年を聞いても良いのじゃぞ?」
「女性に年を聞くのは失礼かと思いまして」
「そうじゃな。もし聞いて来たら失礼なやつじゃと返すつもりじゃったわ」
「そっちから振っておいて理不尽な……」
「聞いても良い、とは言ったが答えるとは言っておらんからのう」
と言って白尾さんは笑う。どうやら人を弄るのが好きらしい。
「まあ、わしの年なんぞどうでもよいじゃろ。何か他に話題は無いのか?」
話題といわれてもなぁ……。
「んー、特に無いですね」
「無いのか。つまらんやつじゃのう」
「そう言われても……」
思い付かないものはしょうがないだろう。
「本当に何も無いのか? わしのような美しい女子と話せる機会、そうそう無いぞ?」
「それ、自分で言いますか」
「事実じゃろう?」
「それは、まあ……」
実際綺麗だとは思うが、自分で言うのはどうなのだろう。
「じゃあ……白尾さんは、仕事は何をしているんですか?」
頭を絞って無難そうな質問を捻り出す。
「仕事か? んー、まあ、詳しくは言えんがここの関係者じゃな」
なんとなく予想はしていたが、やっぱりこの神社の関係者のようだ。
「今日は神社で何かあるんですか?」
「……いや、何も無いはずじゃが?」
少し考えた後で、白尾はそう言った。何も無いのか。
「……では、こんな時間から何をしてるんですか?」
「お主に言われたくは無いがな。ところで、時間と言えば、お主は大丈夫なのか?」
「え? …………うわっ、もうこんな時間!?」
白尾に言われてスマホを確認して見ると、なんと5時57分になっていた。もう帰らないと遅刻してしまう。
慌ててポケットにスマホを突っ込むと、がさりとビニールの音がした。
「あ……」
音の正体をポケットから取り出す。朝忘れかけた小袋だ。
「なんじゃそれ?」
「犬用のビーフジャーキーです。小狐にあげようと思って持ってきたんですけど……」
会えずに帰ることになってしまった。とても、凄く、非常に、残念だ。
「……あ、そうだ。白尾さんはまだここにいる予定ですか?」
「ああ。今日は一日ここにおる予定じゃよ?」
「……じゃあ、迷惑でなければですけど、小狐が来たら、これあげてやってくれませんか?」
そう言って、小袋を差し出す。一応まだ日保ちするので、断られても問題はない。
「ふむ、まあよかろう。預かっておく」
「ありがとうございます!」
「礼はよいから、はよ帰れ。急いでおるのじゃろ? 」
「あ、はい。それじゃあ、よろしくお願いします。それでは!」
白尾に小袋を渡して、僕駆けだした。
「…………」
白尾が何か呟いたような気がしたが、僕は気にせず石段を駆け降り、帰路についた。
「……まさか自分で食べないよな、あの人」
最後に白尾が呟いた言葉、僕には『うまそうじゃな、これ』と言っているように聞こえた。
──────────────────────
「うまそうじゃな、これ」
佐倉と名乗った童から渡されたものは肉だった。袋の端を少し切ると、辺りに良い匂いが広がった。
「……犬用と言っておったな。近頃の犬っころはこんな美味そうなもんを食っておるのか。ええい、腹が減ってきたわ」
食べてしまいたい。しかし、一応自分のものではないのでそうもいかない。
食欲と格闘していると、気配が一つ近付いてくるのを感じ、ひとまず肉を懐にしまった。
「終わったか、桜庭」
「ええ。言われた通り、3重にしておきました。強度も普段の5割増にしてあります、白尾様」
木々の間から現れたのはこの神社の神主、桜庭穂村だ。
「そうか。……それよりも桜庭よ、盗み見は感心せんぞ?」
「白尾様にはばれていましたか」
「ここはわしの領域じゃ。気付かん方が問題じゃろうて」
わしがそう言うと、木々の間で飛び回っていた蝶が急に桜庭の方へ飛んでいき、その手の前で一枚の札へと変わった。
「御身がそうそう遅れをとることは無いとわかってはいますが、何かあっては元も子もありませんから。悪意はないのでご容赦ください」
「わかっておる。というか、その式から悪意が感じ取れていたらとっくに焼き払っておるわ」
一応、桜庭はわしを守護する立場にある。仮にあの童が襲撃者立ったとしても遅れをとるつもりはないし、桜庭もそれはわかっているのだろうが、それでも心配なものは心配なのだろう。
「……ところで、彼を行かせてよかったのですか? ここに居てもらった方が良かったのでは?」
わしの隣にきて、桜庭がそう訊いてきた。
「わしは夢見でも預言者でもないからの。胸騒ぎがするという、ただそれだけの理由でここに留め置く訳にもいかんて。運が良ければ、小狐どもの誰かしらがあの童を助けるじゃろうよ」
できることならここに居てもらいたかったが、それで何も無かったらあの童に迷惑がかかる。それに、あの童だけを特別扱いする訳にもいかない。
「お主もすまんな。これで何も無かったらお笑い草じゃ」
「私は構いませんよ。あなたに仕えるのが、私の仕事ですから」
そう言って桜庭は空を見上げた。
「今日の空も綺麗ですね」
「……そうじゃな。」
桜庭につられるように空を仰ぐと、そこには美しい蒼空が広がっていた。こんな良い日に何かが起こるとは思いたくない。
「さてと、一段落したので、私は社務所の方で朝食をとって参ります」
「朝飯か。今から作るのか?」
「ええ」
「……のう桜庭、わしのぶんも頼めるか?」
「勿論良いですが……珍しいですね」
「ちと食欲をそそられることがあってな。できれば肉がほしい」
「承知しました。では、行きましょうか」
「美味いもんを期待しておるぞ」
自然と笑みがこぼれる。普通に食事をとるなど、いつ以来だろう。
期待を持って、桜庭とともに社務所へ向けて足を踏み出したその刹那。
パリンッ
玻璃の砕けるような、澄んだ音が耳朶を打った。 決して大きくはない、しかしわしの歩みを止めるには十分過ぎた。
「白尾様、今のは……」
「……まさか、落ちるのが早すぎる!」
もしこの音の原因がわしの想像通りなら最悪の事態だ。
「桜庭、すまんが飯は飯は後じゃ……来るぞ!」
次の瞬間、下から突き上げるような衝撃が襲ってきた。そして……
「黄泉の障気……道反は落ちたか」
黒い靄が、まるで太い柱のように立ち上った。空高く立ち上ったそれは、空を覆い尽くすかのように広がっていく。
さっきまで見えていた青い空も、今はもう、よく見えない。
・ビーフジャーキー(犬用)
犬のおやつとして市販されているもの。常温保存。ちなみに『人が食べても害はありませんが食べないでください』と袋には書かれている。
上でも書きましたが、野生動物への餌付けはあまりおすすめできません。