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彼の三日間

第一夜。


目を開く。見たこともない天井が僕の目に映った。体を動かそうとすると痺れる。何とか肘を曲げ、膝を曲げ、上体をゆっくりと起こす。立ち上がると同時に手に握ってた何かが澄んだ金属音を立てて地面に落ちた。


それが何か思い出せずに僕は探すように床を見る。


いつもより目がチカチカする、だめだ明るすぎて白っぽくしか映らない。


ここはどこだ?


周りを見渡す、知らない机、知らない座布団、知らない本棚、知らない古時計。二十数年間積み重ねてきた記憶の中を洗いざらい捜索してみるけど、すべてが記憶にない初めて見るものばかりだ、一体どこだ、ここは。


古時計が鳴る、何回だったか数える余裕はなかった。僕はその音に驚き震え、ここにあるすべてを恐れ、出口を探した。


廊下を走って、見えない何か躓き転んだ、地に伏してそれでも前を向くと玄関が見える。


やたら眩しい気がした。でもそんなことどうでもよくなるくらい今は怖い、いち早くここを出たい。僕の恐怖に呼応するように足が前に前に、


そして思い切り玄関を開けて飛び出した。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」


この痛さをどう表現すればいいかわからない、例えるなら、そう、目の中に火を入れて火傷したようなそんな痛みが僕の目に走った。

目が焼ける、目の裏側に白い光がこびりついて取れない、光が鋭利な刃物みたいに僕の網膜をさしてくる。やめろ。頼むから…。


慌てて家の中に戻る、光の怖さを知ってしまった僕は知らないものの怖さなんてどうでもよくなっていた。


最初に僕がいた今の隣の部屋に引きこもる。予め置いてあった光を遮るための大きな板を素早く取り付けその場に突っ伏した。


まだ痛い、熱い。


僕は蹲りただ静かに夜が訪れるのを待った。

まだまだ残っている光に焼かれた痛みにじっと耐えながら、じっと何もせず何も考えずにおとなしく待機した。


それからどれだけ時間がたったのかはわからない、その間幾度となく古時計が僕に時刻を伝えたが一度も数えることはしなかった。古時計の音に耳を傾けていると何故か心が休まる気がした、癒されていく気がした。その音はまるで雨の音みたいだった、聞いていて疲れない飽きない音だった。当たり前のようにこの身に浸透し空っぽだった僕の体を埋めてくれるような気がした。


そろそろ良いだろう、今度は慌てずゆっくりと部屋から僕は出た。


部屋はいいぐらいに暗くなっていた。目は痛まない、そしてなぜか暗いはずなのにものがはっきりと見えた。全部白と黒にしか見えないけど、はっきりと形がわかる。自分に何が起こっているのかわからずに部屋の中から鏡を探して自分の目を観察する。


真っ黒だった、もともと茶色がかっていた僕の目の瞳孔が力をなくし広がり切っていた。

まるで、化け物だな…。


のっそりと動き出し、玄関から僕は出た。

空の大部分は紫紺や紫苑といった暗めの色で染められている、向こう側にある山沿いだけがかろうじて赤かった。


もう夕時だったんだろう、太陽は沈んだばかりでこれから夜が来る。僕はそう思った。夕時の山際を完全に沈んでしまうまで暇つぶしに見て居よう。


でも一向に日が落ちることはなかった。


うすうす僕も気づいてくる。僕の目の裏に痛みが走りその考えが確証に至る。


これは夕焼けじゃなく朝焼けだったことに気づく。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」


今度は目だけでなく、叫び過ぎた喉まで焼いたように痛かった。



第二夜


 目を開ける。昨日と同じ白黒の天井が見える。よくよく見分すると蜘蛛の巣が張っていることが分かった。さて僕の体内時計が正しければもうすぐ午後9時になるはずだ。


 そう思っていると古い時計がガコっと今にも壊れそうな年季を感じる音を鳴らして、鐘を鳴らすための予備動作に入ったことを僕に知らせた。


 一、二、三、四、五、六、七、八、九.よし、予定通りだ。


 初日あれだけこの音を聞いて慰められていたのにちゃんと数えたのはこれが初めてだった。


 今更ながら昨日焼けた目玉が正常に働いてることに気が付く、治ってるというよりか直っている、戻っているといった方がよさそうな治り方だった。喉もまた同様に。


 そして僕は考え始めた。自問自答にも近い形で、でもその質問はどこか僕じゃない誰かが出しているようでもあった。


 ここはどこだ?


 ここはたぶん死んだ後の世界、ともちょっと違う現実。


 なぜここに至った?


 僕が死んだから。


 なぜ死んだ?


 死にたかったから、車にわざと轢かれて死んだ。どうしても現実から逃げたかった。


 なぜ逃げたかった?


 優菜のいない現実に耐えれなかった、どうしようもなくなって。そして自分の優しさがなくなっていくのに耐えられなかった。


 なぜ優菜は死んだ?誰のせいで死んだ?お前があの場所を指定しなければ彼女は死ななかった。お前が殺した。お前のせいだ。お前の軽率な判断が最愛の彼女の命を奪った。そしてお前の命も奪った。どうだ?違うか?


 違わない。優菜は僕が殺した。


 そう、おまえが殺した、そして僕が殺した。


 質問をしていた自分と返答をしていた自分、どちらももう限界だった。嘘にしたかった。何もかも全部嘘にしてしまいたかった。


 カノジョハシンデナカッタ!


カノジョハイマデモワラッテイキテイル!


ソモソモボクニカノジョナンテイナカッタ!ゼンブモウソウダッタンダ!


 下らない。

 僕はバカか?


 この問いには正直に答えよう、恥じることなく答えよう。嗚呼バカだ。


 どうしようもない馬鹿だ、今だってほんとは何も考えちゃいない、バカで引きこもりで現実逃避したただの自殺者だ。ただの思い付きで道路に飛び出して車に迷惑をかけるような大馬鹿野郎だ。そりゃぁ神様だってこんな何もかもに対していい加減な奴を普通の人間扱いしてくれるはずないよな。あぁ、納得だ。納得納得。


 今だってこんなくだらないこと考えて、優菜のことを考えなくていいように自分を守ってる。どこまでも底の浅い人間だ。浅くて卑しくてどうしようもない人間だ。


 「あああああああああああああああああああああああああああああああ」


 壁を思いっきり殴った。柱はぎしっと音を立てる、しかし数分後には元に戻った。でも血は滴る。こぶしを伝い、床に落ちる。畳にシミができてまた何もなかったように元に戻る。


 なんでだよ。


 今度は頭突きをした。ちょうど血が上っていたのだろう、予想以上の血が溢れ右目の視力を奪った。白黒に見えていた世界の右側だけ赤く見える。ことを偽り良い感じにえば高潔な深紅の血、真実を語ればどす黒い汚い僕の血。


 なんで、死んだのに痛いんだよ。


 なんで死んだのにこんなにつらいんだよ。


 なんでこんなに悔しいんだよ。なんでこんなに泣きたくなるんだよ。なんでこんなに切ないんだよ。クソッ意味わかんねぇよ……。


 部屋に何度も何度も殴打する音が聞こえる。血の飛び散るような音が聞こえる。男の耳を塞ぎたくなるくらいの慟哭が聞こえる。全く近所迷惑もいいところだな。こんなところに僕以外いやしないんだろうけど。


 手が痛い、足が痛い、喉が痛い、頭が痛い、肘が痛い、膝が痛い、指が痛い。よく見たら全身から血が滴ってるじゃないか。


 目の前が暗くなっていく。立っていた足が支えることをしなくなって後ろ向きに僕は倒れる。おおよそ血が足りなくなったのだろう。また死ぬのかもしれない。大量出血による致死、まぁ今度こそ、ちゃんと死ねますように。



 結局、今日一番痛かったのはやっぱり胸だった。



第三夜。


 目が開く。昨日自分が傷つけ汚した部屋を見回し血の一滴すら残っていないことを確認する。そして自分の体を眺める。僕の体は直されていた。傷なんてなかったように元に戻されていた。


 死人に死ぬ権利なんてものは存在しないらしい。


 まぁ、そんなことは当たり前か。


 そして頭を整理する。ここは死んだ後の世界とも死ぬ前の世界とも言えないような狭間の場所。曖昧な場所。死んだ俺でも、ひと時だけ再び死ぬことのできる場所。


 死と生が曖昧な場所。


 そう僕は仮定することにした。こんな奇妙な状況では正常に脳が働くこともなくこんな稚拙な仮説にしかたどり着かなかった。これ以上考えても無駄だろうと踏んでこの仮説を信じることにする。そして答え合わせをする方法を模索した。


 ぐぅぅぅぅ


 こんな状況でも腹は減るらしい。全くどこまでも僕は人間なんだな、死んだはずなのに。本当は生きてるはずがないのに。


 僕は台所のような所に足を進めた、その辺の木箱をあさっていると食材の入ったものがあった。中身は……臭い的には腐ってない、たぶん大丈夫なんだろう。


 手短に、っと言っても初めて使う竈や焜炉といった調理器具に手間取りながら白飯と主菜副菜を見繕って空っぽだった胃に流し込んだ。食べ方はあまりきれいとは言えないかな。でも誰もいないわけだし、誰も僕を咎めないわけだし。これぐらいは別にいいだろう。


 さて、腹が満たされた僕は玄関に向かう、この仮説が正しいことを証明しに、または正しくないことを証明しに。この仮説が満たされるように、あわよくば自分を満たしに。


 玄関を開ける、さてさて何を探そうか。やっぱり臨死体験とかでよく聞く花畑から探すべきだろうか、それとも三途の川か。まぁどっちでもいい、早く足を進めよう。


 道なき道を進む、それでも分かれ道は現れる。僕は全て道の先が登っている物を選択した。この選択に深い意味はない、思惟て言うならそっちの道の方が楽しそうだったから。下らない俺の思考は、ただひたすらに上ることを求めた。



 

 結果として、花畑はすぐに見つかった。川にだって小一時間で着くことができた。


 川についた僕は何を思っただろう。


 ただただその光景が怖くて逃げだしたのは憶えている。向こう岸に手招きをする人影が見えて足がひねるくらい急に方向を変え全力で走って逃げた。


 あの川を渡れば優菜に会えたのかもしれない。あの川を渡れば僕はちゃんと死ねたのかもしれない。それでも怖かった。どうしようもなく怖くて、僕は逃げた。自分は死んでるくせに死んでる人間が怖かった。何も知らない向こうがわが恐ろしかった。


 帰り道は行きより早い、僕が玄関の前に立つまでに一時間もかからなかった。


 向こう側の人間に会って、また一人になって、孤独になったり人が怖くなったり、全く僕という人間は忙しいやつだ。


 それでも人間に会いたくなる僕は変な奴以外の何物でもないのだろう。


 僕は家にあったテープと万年筆、そしてノートを一枚破ったものを使い張り紙を作る。紙を地面にたたきつけずれないように押さえつけて殴り書くように、希望を込めた文字を描いていった。書き終わるなり上の方にテープを貼り玄関に叩き付ける。


 うん。まぁまぁよく書けてるんじゃないのか?


 自分の作品、まぁそう呼ぶには拙すぎるものを少しの間眺めていると山肌が赤く滲んでくる。


 あぁ、このままじゃまた目が焼けてしまうじゃないか。さっさと退散しよう。少し前の僕のように自室にこもりただただ時間を潰そう。


 そそくさと戻っている姿は泥棒にでもなったような気がした。まぁ人として生きているだけまだ泥棒の方がましなんだけど。


 自室へと足を運ぶ。でもまだ今回は希望があるだけましだった。希望があるだけで僕は夜に生きるのに黒に染まらない、たぶんこれからもずっと。




第四夜。


 誰か待っているのではないだろうか、なんて都合の良すぎる期待を心に抱き、青白い光が差し込む玄関から、一歩出てみる。


 単純思考、楽観思考、僕が僕を罵る声は止むことを知らないように雨のように降ってくる。それでもその声はどこか嬉しそうだった。


 そして見事に見覚えのある空色の車と、見覚えのある死体と、見覚えのない女性を見つけた僕は、気持ちよさそうに寝ている彼女に声をかけた。


 久しぶりに叫ぶ事以外に喉を使おうとしている。ここに来てまだまともに喋ったことはなかったはずだ。ちょっとだけ調整をして、人に伝えるための声を思い出すそう。


 「あーあー、アカイエ、アオイエ、アイウエオー。」


 よしよし、まだ声を忘れてはいないようだ。声は会話を作り人と人を繋げる。声は今の僕にとって最大の財産なのかもしれない。


 御託はもういいんだ。さぁ、声をかけよう。



 「おはよう、そしてこんばんは。」


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