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 「今日はさ、どっか行こうよ。ほら、せっかく私がこうやって夜食まで用意したんだから。」

 それは彼女と青年がここを訪れてもう一か月が経とうとしていた日の事だった。青年は彼女の言葉に応じ読みかけの本を置き座布団の上から退く。

 「どこか行く当てはあるの?どこに行ってみたいとか、」

 最近は頻繁に外出をする彼女の方がこの場所のことを詳しく知っていた。どこに何があって昼間はここが綺麗だとか、でも夜はこっちの方が綺麗だとか、彼女は昔のことを押し出すようにそういった情報を自らの頭に押し込んでいくようにしていた。

 しかし青年の言っていた「ここがどこなのかは言えない、でもそのうち気には気づくと思う。」という言葉に彼女は自身の中で満足な回答が出せずにいた。青年が最初に三日間で気づいたことを彼女は一か月かけても気づくことはなかった。

 それは当たり前のことで、仕方のないことだった。普通の人間ならば、普通の人間でいるうちはたぶん気づくことはないのだから。

 「この間さ、花畑のずっと奥に川が見えたんだー、遠目からじゃ川の向こう側なんて全く見えないくらい大きな川、その川がさ、太陽の光を反射させて綺麗で、これ絶対月の光でも綺麗だろうなって思ったわけ、どう?一緒に行かない?」

 彼女の言葉を聞いたとき僅かながら青年は強張った表情になる、しかしあたりは暗くうっすらとしか青年の顔を見ることのできない彼女が気づくことはなかった。

 「ん?どうかしたの?」

 自分の発した言葉に青年の返事が無く、会話が突然切れてしまい彼女は少し不思議がって青年の顔を覗き込んだ。青年は少し慌てつつもばれないように笑顔を作って答える。

 「いや、何でもないよ。いいね、行ってみようか。川なんて久しぶりだなぁ、」

 ほんの少しだけ、いつもより元気のない声。ごくごく僅かなその変化。知り合ったばかりの他人なら気づかない些細な事。でも、当たり前のように彼女は気づく。ここ一カ月生活を共にしてきた彼女だからそんな些細な事でも気づく。

 「なんか元気ないみたいだけど、無理してない?」

 少しだけ物案じした彼女に青年は「大丈夫。無理なんてしてないよ。」と笑い顔を作って見せる。その反応に彼女は安堵して玄関の方に向った。またいつものように、窓一つない暗闇の支配する廊下を、青年の手を頼りにゆっくりと躓く事のないように通過する。

 「じゃぁ、行こっか。」

 彼女は青年にそう語り掛け、玄関を開けた。開いた玄関から青白い月の明かりが勢いよく差し込み彼女を照らす。無邪気に笑った彼女が勢いよく玄関から飛び出した。

その様子に青年の頬は思わずほころんでしまった。

 

 青年は歩く、彼女がこけないように手を握り、歩幅は彼女に合わせて、何ら生産性のない、それでもかけがえのない会話を彼女と交わしながら、人間の温もりを感じながら、彼女の小さな手を壊さないように包みながら、ゆっくり足を進める。

 彼女は歩く、曲がりくねった道、ところどころ無機質な岩肌の出ている決して平らでない道を何度も何度も転びそうになりながら、足元が見えない恐怖感を青年にあの川を見せてあげたいと思う気持ちで殺し、黙々と足を進める。青年の少しだけ冷たい手を力いっぱい握り体勢を、バランスを崩さないように精一杯務める。そして、そんな建前の元、青年の大きな手を力いっぱいに感じる。

 月の光は木や木の葉に一部遮られてまだら模様を作り二人の影を地面に映す、あまりにも頼りなく、弱々しい光、光がそんなに弱々しいおかげで青年と彼女の距離は近づくことができていた。

 青年と彼女は森を出た、彼女が空を見上げる。今宵は三日月、満月ほどの明るさはなく、それでも気品のある夜空だった。星は散りばめられ、月の光が弱いためよりいっそう数が多く見える。

 「ん―…」彼女は自分が見せたかった光景が彼に見せることができないような気がして少しだけ考える。「どうしたの?」なんて青年が問いかけるのを聞いて、言葉にしようとして整理する。整理していくうちに馬鹿馬鹿しくなって彼女は思考を放棄した。

 「いや?何でもないよ、なるようになるんだ、自分にどうしようもない事を考えてもしょうがないしね。」

 青年がよくわからないような顔をして説明を求めてくると「わからなくていーの。」と彼女は一人で先に進みだす。

 もちろん足元が花の影に隠れ足元の障害物の見えない彼女は小石に躓き、青年は慌てて彼女の元へ駆ける。そうやって彼女はまた青年の手を握り慎重に歩き出した。


 そして川が見えるあたりまで二人がたどり着いたとき、二人魂は揺さぶられるような感慨を真っ直ぐまともに受け、言葉を失った。

 確かに彼女の考えていた様に、三日月の光は彼女が見た太陽の光のように強くはなく、ほとんど川には反射していなかった。青白い光は川の中にはなかった、でも赤い、数千の橙色の光が川を埋め尽くしていた。そして周りの彼岸の花がその光を受けて昼間よりももっと鮮やかに輝いている。

 彼女は橙色の光に魅せられ、青年の手を握ったまま川の方へと走り出した、青年も彼女に手を引かれて走り出す。この時だけは足元が見えていないのにもかかわらず彼女が躓くことはなかった。

 青年と彼女は息を切らしながら川縁までたどり着く、川の中を覗くと手の平二つ分くらいの大きさの流し灯籠が数えきれないほど見えた。上流からゆっくりと絶えることなく流れてくるそれを二人は見つめる。

 一つ一つが誰かの供養をするために作られたそれらは、中に灯した炎を揺らしながら、ゆっくりと流れていく。その橙色は水面に映り川の半分ほどを優しく上塗りしていた。

 青年と彼女は胸の内で暖かいものがこみあげてくるのを感じた、この感動を共有するのにもう言葉はいらなかった。二人の握る手が固く強くなる、彼女の歩くのを補助するために握られたはずの手は、もう彼らの心を繋ぐ役目へと意味を変えていた。

 青年は彼女の方を向く。するとすでに彼女は青年の方を向いて、頬をこの灯篭に負けないくらいに鮮やかに染めていた。もちろん青年も同じように。川からの橙の光が青年の恥ずかしがった顔を闇から切り取り彼女が見えるように映し出す。

 繋がれたては、彼女の激しい血流を、胸の鼓動を青年へと伝えていった。青年は彼女の頬につながれていな方の手を持っていく。青年の少しだけ冷たい手が彼女の柔らかく少し火照った頬に触れた。

 「えへへっ、冷たくて気持ちいい。」

 そんな風に笑う彼女に、青年は問う。距離は僅か数センチ、風が吹けばくっついてしまいそうな距離。青年は彼女の目を見る、気恥ずかしくてくすぐったかったが目をそらすことはなかった。彼女の瞳孔も大きく開いてくる。それこそ青年と同じぐらいに。

 「いい?」

「もちろん。」

彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。


そして青年はこの日、彼女にキスをした。


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