青年k
青年は昔から優しく、気が利く人間だった。本人はそれしか取り柄がないから、とそのことをあまり自慢することもなければ公言することもなかったが、一度彼に関わった人間はみんな口をそろえて、彼は優しい人間だった、と語るのだった。
確かに彼には他に他人に秀でるものはなかったのかもしれない、でも優しさにおいて彼の右に出るものはなかった、少なくとも彼に関わった人間の中では。
ある時そんな彼の優しさに惹かれ、入院中だった少女が青年に恋をした、まだ高校も卒業していない年でその少女は、看護師として働いている青年に思いを寄せていった。
少女は一か月間を病院で過ごした。
入院当初は自分の不幸や環境の不平不満をただただ愚痴るだけだった少女は、そんな自分に正面から向き合ってくれる青年を不思議に思った。
決められた仕事をこなしつつも青年は少女のところに顔を出すようになった。時には身動きの取れない少女の気がやまないように車椅子で病院のテラスまで連れて行き時間の許す限り少女と言葉を交わした。
そうしているうちにだんだん、少女の口からは愚痴だったりそういった類の言葉は発されなくなった、いつの間にか暗い言葉は明るい会話そのものを楽しんでいる言葉にすり替わっていった。
青年が夜勤の時は少女は遅くまで起きて青年が確認に来るのを待った、時々違う看護師の人が来て少しがっかりしながらも、青年を待っているこの時間が好きになっていった。
「あー、また寝てない。ダメだよー寝ないと骨折治んないんだから。ほら目をつぶって早く寝なさい。」
「目が覚めたの、眠くなんてこれっぽっちもないから。」
「んー、それだとダメなんだよなー、ちゃんと寝たところを確認するのが僕の仕事だからさ、君が寝てくれないとね。」
「そ、それじゃ他のところ回ってきたらいいじゃん。またここ来るときにはちゃんと眠ってるかもよ?」
「それもザーンネン。君が全然寝ないから見回りの時はここを最後にするようにしたんだよ、だから君が眠るまでここにいるよ。」
「なんでそんなわざわざ…」
「ほんとはさ、患者さんにこんなこと言っちゃいけないんだけど。君と話してるのが楽しいから、ここを最後にするんだ。全部見回ってしまえば、もし君が起きてた時にゆっくり話せるからね。」
「私だって××さんと話すのは楽しい…」
「ははっ、そりゃぁよかった! ウザがられてたらどうしようって思ってたんだ~、じゃぁ僕のやってきたことにも意味があったってことか、良かった良かった。」
「あーもう、だから!」
「ちょっと静かにね、ボリューム落として。優菜ちゃん。」
「……楽しみで眠れなくなったんだから、ちゃんと寝付くまでここにいてよね? それが看護師の仕事なんでしょ?」
「はいはい、じゃ、今日は何の話をしよっか。」
そうやって二人の間は進展していき、思いは実りめでたくこの二人の間に愛が芽生える。青年も健気な少女に惹かれたのだった。
少女が車に轢かれ全身骨折して入院した。だから少女は青年に会うことが出来た。
そして皮肉のように少女の死因も同じように車による轢死だった。
少女が退院するその日、青年は一言少女に伝えたくて病院の駐車場に隣接する公園に少女を待たせていた。
仕事を終わらせ青年が走って少女のいるベンチへと向かう、すると目の前が赤く染まった。鮮やかすぎる赤に塗りつぶされていった。
きゅぅぅぅうぅぅ。
その光景を見たとき、眩しいわけでもないのに彼の瞳孔が音を立てて限界まで閉まった。目の筋肉が狂ったように痛み、その余波で青年は頭が割れそうになった。
「××さん、大好き。」
彼女の声が耳元で聞こえる。本物と思いたいぐらいの幻聴だった。
彼女は病院の近くの公園で飲酒運転で突っ込んできた大型のトラックによって命を奪われた。
それから青年は怖くなった、生きるのが怖くなった、何かを愛するのが怖くなった、他人と関わることが怖くなった、何かを失うことを極度に恐れるようになった。
それは看護師として生きていく上では致命的な欠陥だった、患者と意思疎通を図り患者に寄り添いながら回復を助ける、何気なくやってきたことがどうしてもできなくなった。
患者に信頼されたような優しい目をされるとどうしても耐えられなくなった。その優しい顔が壊れてしまうところを想像してしまうようになっていた。
そうやってまともに仕事すらできなくなったある日、彼は突然家を出た。誰にも何も告げずに姿を消した。
彼はできるだけ人のいない場所に行きたかった、電車を使い、バスを使い、そして歩いてやっと全く人間のいない所までたどり着いた。
おおよそ人間が作ったものではない獣道がただただ続いているこの森に、青年は立った。
達成感はあった、でも心が満たされるような感覚は得られなかった。そして青年は自分が一体何がしたいのか、自分自身の事がわからなくなっていった。
一体自分は何がやりたかったんだ。そんな単純な問いが彼を苦しめた。こんなことしても恋人が戻ってこないことだって最初からわかっていた。こんなことしたって何かが変わるなんてことがないことぐらい知っていた。大して考えなくとも解っていた。でも恋人を失ったことにどうしても耐えれなかった。現実を受け入れたくなかった、そんな現実なんていらなかった。恋人である彼女がいるのなら夢だって構わないとさえ思った。こんな現実いらない、こんな現実から逃げたいと青年は思った。
彼は時折、ロケットを眺める。今はもう会えない彼女を想いながら。叶わないとわかっていても会いたいと願った。でも会えないことなんて現実は明白で、それが彼をさらに苦しめた。
人間のいない場所、村や集落といったものはこの付近には一切ないにも拘らず、車が一台遠くから走ってくるのが見える。
その眩い光に当てられたように一歩、彼の足はその空色の車の延長線上に勝手に踏み出していた。
そうだ、このまま楽になりたい…。そう彼は願った。
もう、避けようとしたって間に合わない。でも結局死ぬ寸前彼は突進してくる空色の車を見て全身が危機感に襲われた。一般人なら当たり前の反応。死ぬ寸前になってこんな壊れて、でも体はいたって普通なんだな、と彼あ自分を侮蔑した。彼の体でいろんな交感神経が作用していく。瞳孔が限界まで開ききった刹那、彼の体に鈍痛が走った。
捨てられずにずっと持っていたロケット、恋人の写真の入ったロケットを握りしめた左腕に自然と力が入る。
ドン。
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