この物語は酷い。
「ねぇ、こーくん。」
彼女は起きたばかりの青年に、まるで幼稚園児のように話しかける。屈託のない笑顔でそして何か覚悟を決めたような顔で。
「ふーちゃん?」
寝ぼけた彼は目をこすりながら起き上がり、目をこすった。発した言葉は幼いころに染みついたもう忘れていたはずの近所の女の子の名前だった。青年が懐かしい名前を口にした事に気が付く頃には彼女は迅速に行動に出ていた。
青年に伝えれば絶対反対される方法、それでいて彼の目を治す方法、しかも彼女と青年が一緒にいられる、そんな素敵療法。
「やっぱり、こーくんだったんだね。ほんと、私の勘はよく当たる。」
彼女は起きたばかりの青年の体に馬乗りになって、笑顔を作った。
「よく見ててね、これが私の選んだ答えだから。」
そういって、彼女は自らの喉にあらかじめ台所から持ってきておいた包丁を刺した。何のためらいもなく深く、これが取り返しのつかないことだと自分で分かっていながら、自らの喉を切り開いていく。勢いよく噴き出した彼女の赤々しい鮮血は、彼の部屋全体に飛び散った。
きゅぅぅぅぅ。
彼の目からそんな何かが閉まるような音が聞こえた。
そんな音を聞いて彼女は微笑む、予定道理に事が進んでよかったと、少しうっとりしたような顔をして、その場に伏した。
彼の寝ていた布団が彼女の血で赤く赤く染まっては、そんなもの初めからなかったですよと言わんばかりに無かった事になっていく、白々しく、白く元に戻っていく。
彼女の考えた素敵療法。
青年の一番嫌いな物、それは大好きな人間の血だった。昔々面倒を見ていた近所の男の子は青年だった。そしてこの世界のバグのような場所で死ねば、青年のように体を捨ててもなおここに存在できる
この方法を青年が望まないのは当たり前だった。だってこの方法は結果として彼女の未来を奪うことになるのだから。
青年は横になっている自分の上に乗った地の噴き出している彼女を熱く抱擁する。彼女の血が顔にかかって汚れても構わずに強く、抱きしめた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
目の前に広がった思念の一番嫌いな光景、理性なんか簡単に吹っ飛んでしまうくらい嫌悪を抱くこの光景。もう二度と見たくなかったこの光景を直視しのどが壊れるまで叫んだ。
それは彼を押しつぶす悲しみの絶叫であり。
それは彼女に対しての憂いの感情が練りこまれた断末魔であり。
それは身震いするほどの嬉しさの慟哭だった。
この日以降彼は、暗闇が見えなくなった。