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彼女の意志

「ねぇ、ちょっと聞いてもらってもいいかな…」


 彼女がこの場所を訪れてきてから、数カ月。この平屋を取り囲んでいた紅い秋の色に染まり始め、空気が少しだけ涼しくなってきたある日のこと。彼女はあることを青年に話すために夜を待っていた。


 「いいよ、長くなりそう?それならお茶沸かしてこようか?」


 「いや、いいよ。短く済ませる。そう、努力してみる。とにかく聞いてて。お願い。」


 彼女は一息つく。大きく深呼吸して自分を落ち着かせる。早くなった鼓動を、嫌な思い出に向き合う覚悟を決める。


 これから彼女が話すのは、彼女が何故こんなところに来ることになったかだった。思い出したくもない、彼女が背負っていた現実の話だった。


 「じゃぁ、今から私がここに何で来ることになったか教えるね。ちょっと思い出したくはないんだけど、最初約束したよね?あなたが信用できる人間だってわかったときに話すって、もうとっくに信用しちゃってたんだ。そのことをついこの前、あの灯篭を見た夜に気づいた。だから、これから話そうと思う。」


 

 「私はね、ここに来る前にはそこそこ有名な会社で働いてたんだ。いわゆる一流って言われる大学を出て、一流って言われる会社に就職。そんな今思えば退屈なレールの上に載った人生を過ごしてたんだ。


 でもその頃はそれが正しいことだって思ってたし、それが嫌だとは思ってなかった。逆に安定した職についた自分に、レールの上に乗ることができた自分に満足してたんだ。


 これでも人よりかは少しだけいろんなことをスムーズにできて、対応だって早くて、会社から頼られるような存在だったんだよ? 信じられないかもしれないけど。


 そうやっているうちに任せられる仕事がどんどん増えていって、お給料も上がっていって、断ることもできる仕事もあったけど、その当時の私は全部を引き受けて全部をちゃんとこなしていってたと思う。もちろんミスなんて一回も侵さずにね。


 簡単じゃなかったよ? 私は超人でも天才でもないし。身を粉にして働いて、それこそ恋愛なんてしてる暇もないくらいに一生懸命に働いて。でもね充実してる感じはあって、仕事をしていて楽しかった。会社のために何かをする、当時の私は何かを犠牲にすればするほどそれがちょっとだけ崇高なものな気がしてたんだと思う。


 でも今考えたらそれがだめだったんだなって思うんだよ。


 私は私のところに回ってきた仕事を一切断らなかった。その結果何が起きたと思う?出世?更なる給料アップ?会社を乗っ取った? ハハッ、意外とあなたってポジティブなんだね。でも残念、全部はずれ、もっと現実は苦いんだよ。苦くて酷くて、そしてとっても脆かったんだ。


 毎日日回ってくる追加の仕事を全て断らなかった結果、私のところにはいろんな会社の汚れ仕事が回ってきた。


 自分の会社が利益を上げるためならほかの会社が不利益を被ることになっても行う。大きな会社だったからそれに巻きもまれた小さな会社をいくつも潰した。


 騙して、使えるだけ使って、使えなくなったり、道ずれを被りそうになってらすぐに切る。


 気づいたら私にはそんな仕事しか回ってこないようになってたんだ。笑っちゃうよね。今思えば違う方向に頑張りすぎたんだと思う。新しく入った社員に今までやってた楽しかった仕事を引き継いで、いや盗られちゃって、もう私には汚れ仕事しか残らなかった。


 それからちょっと経った時に、いきなり出世したんだ。あー違う違う。働きが認められたとかそんなんじゃないよ。人の話はちゃんと最後まで聞きなさい。


 ポーンと平社員から部長まで一気に出世。責任もかかる立場になって、私に会社はあるプロジェクトを任せたんだよ、


 ずっと前からあるプロジェクトでね。それは欠陥だらけだった。会社は私に不正だらけのプロジェクトを押し付けたんだよ。元責任者を守るために私を代役に建てたの。


 部長になってから一か月で不正が内部告発されて、私は責任を取らされて会社辞める羽目になったんだ。

 やっぱり自分のしてきたことってさ、最後はさ自分に返ってくるもんなのかな、会社のために言われるがままにいろんなものを切ってきた私は、結局最後には会社に切られちゃったんだ。


 退職金は五百万だった。意外と高いでしょ? もちろんこの中には口止め料だったり、いろんなものが入ってるんだよ。どこまでも汚れたお金、それを私は受け取った。


 それで会社を辞めた私は何もかもが嫌になった。こんな腐りきった社会の仕組みが嫌になって、逃げた。免許も持ってないくせに車を買って、どこか遠くに行きたいって願ってろくに運転もできないくせにアクセル全開にしてさ、あてもなくただ逃げるように走ったんだ。」


 彼女はいったんここで話を止めた。彼女が一番話したくないのはここからだった。車を無念で走らせた結果。一体何が起こったのか。それを彼に伝えたくなかった。嫌われてしまうかもしれない、そんな事を考えると恐ろしくて仕方なかった。


 でも、そう思っている心がありながらも相反すように彼女は彼青年にすべてを打ち明けたいとも思った。すべてを受け入れてもらいたかった。だから彼女の口は震えながらも開くことができたんだろう。


 「私ね、実はここに来るときに人を殺しちゃってるんだ。今も私の乗ってきた車の中に死体が入ってる。腐りきって異臭を今も放ってる。初めて会った時のこと憶えてる?あの時私からすごい臭いしたでしょ? あれはそのせい、私の臭いじゃないからね? 事故だったんだ、でも明らかに私が悪かった。ホントは死なずに済んだ人を殺しちゃった。」


 彼女は下を向く、彼が言ったどんな顔をするのか確認をするのが怖かった。もしかしたらそんなこと気にしなくていいさ!なんて笑ってくれるかもしれない、なんて楽観視することは彼女にはできなかった。


 「ありがとう。」


 それは日本語でのお礼を伝える言葉。彼から発せられたのはそんな感謝の気持ちがこもった言葉だった。

 青年は純粋に嬉しかった。何が嬉しかってのか? そう問われれば彼女が今までずっと話してくれなかったことを思い切って打ち明けてくれたことが嬉しかった。それこそ心が飛び上がるぐらい。


 青年は彼女に会った時から気付いていた。彼女が自分を轢いた車を運転していた人間だってことは初めからずっと解っていた。


 だから青年は「ありがとう」と口に出す。彼女が前に進んでくれたことに関して、おめでとう、や良かったねといった意味を全て詰め込んで。


 「約束では僕は君が話してくれた時に話す約束だったよね?」


 青年は彼女の目を見て、そう微笑みながら伝えた。


 「まず驚かないで聞いてほしいんだけどさ、僕は生きてないんだ。見た目は生きている人間と全く変わらない。匂いも分かる、味も分かる、痛みだってわかる、目はちょっとだけおかしいけどまぁ、見える。だけど僕は死人なんだ。」


 彼はずっと彼女を不安にさせまいと黙っていたことを口にした。それが彼女に対する誠意をこめた対応だと思ったから。彼女が一歩踏み出してくれたのに対する自分がすべき一番の対応だと判断した。


 彼女は少し戸惑ったような顔を示したが、何か思いついた様に青年の方を見る。


 「ねぇ、あなたが死人だからって気にするような人間に見える?」


 彼女がまるで茶化すように、少しだけ不真面目っぽく笑って見せた。言われてみればそれもそうかと青年もつられて笑ってしまう。


 「そうだったね、君はそんな小さなことに物怖じするような人じゃなかった。あーあ、なんか勇気出して言ってみたのが馬鹿みたい。よし、それじゃぁ僕が何でここにいるのか話そうかな。」


 初めて自分が死んでいるということがとても小さくどうでもいいことに思えた。そして青年は大きく息を吸った。


 「僕は看護師だった。看護師として一生懸命に働いていた。そして前写真見たでしょ?あの子に恋をした。でもその子はすぐに死んじゃったんだ。重い病気だったりで寿命が尽きたとかじゃないよ? 車に轢かれて死んだんだ。」


 青年はこんなに簡単に口にできる日が来るとは思っていなかった。大好きだった優菜が死んだことを受け入れることができるとは思わなった。


 たぶん彼女の前だからこんなに口が動くのだろうと青年は思う。彼女に自分を知ってもらいたい、なんて、こんなことを自分から思ったのは初めてだった。


 「それから僕は絶望しきって、人気のないある森までやってきた。訳の分からない達成感はあったけど、でも僕の中のは何にも残らなくて、空洞のままで、気づけば足が車に轢かれようとして前に踏み出してたんだ。」


 彼女はやっと気づいたようだ。


 「僕の本当の体は君の車の中に積まれてるよ。そしてここはたぶん死と生の間の場所。こんな訳の分からないところで死んだから僕はここで存在してるんだと思う。」


 こんな世界のバグのような場所で君に出会えた、この出来事にはきっと意味がある。青年はそう思って疑わなかった。


 「え?」


 彼女の頭の中が疑問符でいっぱいになる。自分が轢き殺したのは目の前にいる青年で、でもそれは自分のせいではなくて青年が飛び出した結果だった。ここが死と生の間の場所。とても簡単に信じられるようなことじゃないけど、確かにそれを予感させるものはあった。


 花畑、川、彼岸の日どこからともなく流れてきた人を供養するための流し灯籠。


 彼女は頭の中でぐるぐると目まぐるしく変わっていく事実に、考えることを辞めた。考えたってどうしようもならない事は考えない。彼女は自分がそう決めていたのを思い出す。


 「だから、君はここにいるべきじゃない。君は戻るべきなんだ。僕は君が幸せに社会で生きていくために、ここで君に出会ったんだと思う。死んでいる僕にできること。それをずっと考えてたらこんな答えに行きついたんだ。」


 この言葉に彼女は固まってしまった。実のところ彼女は青年とずっといたかった、この同棲がいつまでも続けばいいなんて心のどこかで願っていた。いつの間にかそう望むようになっていた。それなのに青年から発された言葉はそれを全否定してしまう言葉だった。彼女には今更社会に戻るなんて考えはどうやったっても起きるはずもないのに。


 「……そう、だね。」


 やっと見つけた、好意を寄せれる人間。信頼できるような異性。彼女はそれを失いたくなくて、でも彼にこの想いを伝えることはせずに曖昧な返事を返し、逃げるように自室に籠った。


 冷たい畳に寝そべると体温を徐に奪われていく。そのまま滴を眼から頬へとつたわせながら、ここに初めて来たあの日のように、あの日を思い出すように眠りの底へ深く、深く落ちるように目を閉じた。

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