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今から起きることにはきっと幾多の過程が存在して、それは果てしなくどうしようもなかったことで、それは幸せになろうともがいた結果としてできた副産物的なものだったのかもしれない。
これから始まるのは誰も予想なんてできなかった二人の不幸が、どうしようもないくらいに絡まり混じった、そんな感動なんてできっこない人の死と生のお話だ。
もっと言ってしまうならば、光があれば影ができるように生があれば必ず死がある。このお話はその二つの間をうまく縫うように利用し、避ける話しだ。
さしあたって、世界の「間違い」や「バグ」のようなお話だ。
これからの起こることを「運命」だと語る者がいるのかもしれない、「奇跡」と総称する者もいるだろう。それは正しくもあり、正しくないともいえる。何故かと問われれば、理由はその二つが説明不十分だからというほかない。
それらの言葉は確かに的を射ている。しかしこの物語のすべてを表現できているか? と問われれば当然首を横に振らざるをおえない。
「運命」というには、でたらめで仕組まれていない危ない橋を何度も渡った。不確定要素の多すぎるものだった。絶望の淵に立ちどうしようもないくらいに不幸にもなった。「奇跡」と呼ぶには結末に至る過程が余りにも残酷で壊れている。
「奇跡」と呼ぶにはいささか内容が酷すぎるだろう。この物語を「奇跡」とするならば全然世間一般のイメージする「奇跡」とはとてもかけ離れたどす黒いものになってしまうことだろう。でなければ「奇跡」が鮮紅の色に無理に彩られてしまう。
だからこのどうしようもない「連鎖」を何と表せばいいのか、正直お手上げしたいくらいである。
できることなら誰かに任せてしまいたくらいだ。
それでも、この出来事を無理をして要約するならば、このどうしようもなさ、気まぐれさ、熱さ、美しさ、儚さ、切なさを全て考慮し、それから再び熟考した上で、この出来事を「愛」と訳したい。
かの著名な文豪は“I love you”を“月が綺麗ですね”と訳したらしい。その素晴らしい感性に凡人は倣ってこのどうしようもない物語をloveと訳すことにする。猿真似もいいところだが生憎、この凡人にはそれ以外にこの物語をどう表せばいいのか全く見当もつかない。
だから、これはそんなどうしようもないことから始まる「愛」の物語だ。