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 浅草の繁華街は夜でも明るい。

 外れの方に出てしまえば田んぼや畑ばかりだが、中心地で特に料理屋が集中している通りならば、店先の行燈で足元が見える程度には明るい。

 全力疾走しても転びはしないが、かえって人の多さには辟易する。

 この辺りに人出が多いのは盆に限ったことではない。

 とにかく早く師を見つけて、それから原因を調べなくてはならない。

 しかし、鈴代が今どこにいるのは全くわからない。元々待ち合わせ場所にいなかったのだから、居場所の知りようがないのだ。

 とりあえず、手掛かりを掴むため甘斗は神田の静海宅に戻るつもりだった。

ひょっとしたら輪廻も町に出てるかもしれないので、ついでに合流していておいてもいいだろう。合流したところで、万が一の助けにもならないだろうが。

 と。

 角を曲がったところに見覚えのある赤い影を見つけ、甘斗は慌てて顔を引っ込めた。

 金魚人(そう命名した)は、よく見れば町のあちこちを歩いている。

 目的もなさそうに歩いている者、見物人に紛れて軽業師の興行を眺めている者、意味はわからないが路地裏で横たわっている者などやっていることは多種多様だ。どれも死んだ魚のように虚ろな目をしているので、不気味なことは言うまでもない。

(……と、いうか)

 甘斗は、たった今すれ違った親子連れに視線を向ける。

 父親が子供を肩車している。子供がはしゃぐと揺れるのがますます面白いらしい、二人で笑いながら通りの真ん中を歩いている。ほほ笑ましい光景だ。

 が、人手の多い通りの真ん中を、誰にもぶつからずに歩けることがあり得るのだろうか?

 すれ違った時、親子からつんと煙の香りがした。今の時期には事欠かない線香だ。

それ以外に、どうもこの世の人ではない匂いがするのだ。

 甘斗の鼻は物の怪や妖を正確に嗅ぎ分ける。ただの人間でないのだろう。

 一体、どうしてしまったのだろう? 今夜の町は。

 ただでさえ人が多いのに、それに紛れた死者に、おまけに金魚――

 と、聞こえてきた悲鳴に、甘斗ははっと意識を戻した。

 通り中に響いたのは幼い少女のものだった。というのに、振り向いた者はおらず皆、平然と歩いている。

 襲われているのはきっと、さっきの親子連れだ。誰にも見えていない様子だったから、声も聞こえていないのだろう。

「……くっそ!」

 駆け付けて、甘斗に何ができるわけでもない。

 けれど、他に助けてくれる人もいないだろうに、見て見ぬふりもできない。

 庇い合う親子に、覆いかぶさらんとするところだった。

「あぶな――っ」

 そうつぶやいた時だった。

 ざっ――

 後ろで勢いよく地面を擦る音を聞き、目の前を白い影が通りすぎた。

「どおりゃああっ!」

 威勢の良い掛け声とともに蹴りを見舞い、見事に金魚を吹き飛ばしてみせた。

 金魚人は地面を滑って近くの店にねじ込まれ、蹴り飛ばした人物はその場で蜻蛉返りをして、やたら綺麗に着地した。信じられないほどの身の軽さだ。

 ――が、それも人間ならばの話。

どんな曲芸じみた軽業を見せられても、この人物ならば納得できる。正確には人間でないのだから。

「ね、ね、ね、猫町さん!?」

 またしても知り合いに出会ったことに驚いて、甘斗はつい叫んだ。

この近くにある長屋に住み、鈴代の友人で、その正体は猫の妖である。

戯作やら狂歌やら浮世絵やらを手広くやっているが要は無職で、よく鈴代と一緒に彼の家に遊びに行くと暇そうに縁側でひなたぼっこしていることが多い。その時はこの世の全ての幸せを噛みしめているような顔をしているのだ。鈴代が来た途端にその幸せは崩れるのだが。

が、今は様子が違った。

 ふうううう、と威嚇するように鋭く喉を鳴らし、毛を逆立たせんばかりだ。普段は黒い目だが、今は満月のように丸く、爛々と輝いている。普段は人間に化けているが、妖としての本性が出かかっている証拠だ。

 猫町も江戸ッ子の例にもれず気は短いが、決して不用意に本性を見せはしない。

 まさか、と思い至って胃の底が冷える。

 この宵の空気に当てられて、猫町もおかしくなってしまったのではないだろうか?

 金魚が出てきて死んだ人間が歩き、妖に何か影響があっても不思議ではない。

「おい、ガキんちょ……」

「は、はい」

 闇に底光りする目を向けられ、甘斗は思わず背筋を正して答えた。

 肌がちりちりと焼けるような感覚は、殺気というものだろうか。そう錯覚してしまうほど、猫町の剣幕は静かだがすさまじかった。

「昨日な……やっとこさ〆切が終わったんだ。飲まず食わず、寝るのも三日ぶりだもんで、ありゃどっちかっていうと気絶だ。んで、今の今まで寝てたんだが……」

 そこでがしっと肩を掴まれる。

しまった、と甘斗は後悔した。

 人間よりも妖に近くなって、やや伸びた爪と怪力で逃れられない。このまま食われ……

「何で町中に飯が歩いてやがるっ!?」

「…………は?」

 そう聞き返すのがやっとだった。

「初めは夢見てんのかと思ったけどよ、何度目ぇかっ開いても歩いてんのはお魚様だろ? 俺……俺、てっきり〆切にやられて天国に来ちまったのかと」

 甘斗は目を丸くして、真顔の猫町を見返した。

 猫町はそこらへんを徘徊している金魚のことを指しているらしい。

「確かに魚っすけど手足生えてますよ……って、泣かないでくださいって!」

「だって! だってお魚様だぜ!? 生きてて良かった! 今月ももう金ねぇし、まさかお魚様を腹一杯食えるなんて、俺もう幸せすぎて世界一の果報者じゃねえの!? なぁ、ガキんちょ!?」

「えーと……」

 男泣きに泣く猫町に、甘斗は言葉を濁した。

 懸念通り、と言っていいのかどうか。

 どうやら〆切が終わった直後らしく、眠気と疲れと空腹のせいで、少し頭がおかしくなっているらしい。よく見ると、げっそりと頬がこけて目の下が落ちくぼんでいる。

 なるほど。

 まったく、その光景が目の裏に浮かぶようだった。

 〆切直後。相変わらずぎりぎりまで仕事を引き延ばして、最後の三日間は寝ずに作品を仕上げた猫町。

 今の今まで眠りこけていたが、さすがに空腹に耐えかね、ふらふらと家を出た。

そこで、この金魚人たちを見て、魚だと勘違いした――

「いや、さすがに無理あるでしょ!? 手と足! 生えてるんですけど!?」

 甘斗はとっさに金魚に向かいかけた猫町の首を押さえつけた。

 猫町は完全に正気を失った顔で通りを歩く金魚を睨みつけ、フーッと声をあげている。もはや完全に猫である。下手をすると尻尾とか見えてしまいそうだ。

なんとなく、無表情なはずの金魚たちも怯えたようにじりじりと距離を取っている気がする。

「ガキんちょ、止めんな。これから俺は修羅の道へと踏み入る。もう誰も俺の食欲を止めることは――」

「止めませんけど……腹壊しても知らないっすから。ていうか猫町さん、先生知りませんか?」

 もう本当に止められなくなりそうなので、最後に本題だけ聞いておくことにした。

 猫町は視線を外さないまま、首を少し捻った。

「あ? あのヤローなら、どうせ吉原じゃねえの? この時期になると女の所にばっか行くんだよ、あいつは。さもしい奴だぜ」

「……ぜんっぜん人のこと言えないと思いますけど。もういいっすよ」

「うおりゃああああああ!」

 首を離すと同時に、猫町が勢いよく四つん這いで走り出す。

 その姿は、哀しいほどに猫だった。

 蜘蛛の子を散らすように逃げていく金魚人を追いかけ、猫町は通りの向こうに消えていった。それを見送って、甘斗はため息をついた。

 ――大人になっても、ああはならないようにしよう。

 そう心に誓い、甘斗はもと来た道を遡り始めた。


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