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甘斗はごくり、と唾を飲んだ。
金魚人(暫定)は何をするでもなく、ぼーっと座ったままあらぬ方向を見ている。人と違って、魚の目は何を考えているのかひどく分かりにくい。
甘斗が身構えて固唾を飲んで見守る中――全く違う方向から悲鳴が上がった。
慌ててそちらを見やり、一瞬目眩がした。
橋の上やたもとの出店に方にまで手足を生やした金魚がちらほらといる。今まで見えなかったものが、すぐ近くで感知してしまったために見えるようになってしまったのだ。物の怪や妖と接すると、いつもそうだった。
この様子だと、甘斗以外の人間でも姿が見えた者がいたのだろう。これだけ人数がいればおかしいことではないが、厄介なことに違いはない。
普通の人間が物の怪や妖を見抜いてもいいことはない。気付かないのが一番だ。見えるということは触れられるということ。触れられるということは――
じっと座っていた茶屋の金魚が、おもむろに立ちあがる。
身を固くした甘斗に向かい、両手を広げて突進してくる!
「うわあっ!?」
必死によけると、金魚は他の客を巻きこんで地面に転がった。酔っぱらいだと思われているのか、周りからは笑い声すら起こっている。が、この場で甘斗にだけは違うものが見えている。
(あんたらが助け起こしてるのヨダレ吐いてる金魚だからな! 笑いごとじゃないから!)
内心でツッコミながら、大急ぎで人ごみに紛れようと後ずさる。詳しい事情はわからないが、襲われたら一大事だ。下手をすると命に関わる。物心ついてから人外のものが見えるだけあって、対応法は嫌というほど身に付いている。逃げるが勝ちだ。
甘斗はくるりと踵を返した。
――が。
「ぶっ」
前を見ずに歩いていたのが災いして、人にぶつかって鼻をしたたかに打ってしまった。同時に、べちゃりと濡れた感触と生臭い匂い。
嫌な予感を覚えながら、甘斗は恐る恐る顔を上げる。
ぶつかったのはやはり、金魚だった。
改めて周囲を確認して、甘斗はさっと顔を青ざめさせた。
ちらほらどころではない。
この橋の通行人、三分の一ほどが金魚だ。
「げ……」
うめく甘斗を、ぶつかった金魚は無表情な目で見下ろしている。
見やると、前を歩いていた三体ほどの金魚が集まってきている。
甘斗は――金魚に何ができるか知らないが、かなり覚悟した。
その刹那。
しゃん!
澄んだ音とともに、空間を真横に斬り裂く軌跡が見えた――気がした。
胴を一文字に断たれ、血の代わりに大量の水が飛んだ。
一瞬の早技を、甘斗は目を丸くして見ていた。金魚から吐き出された水が、頭に降り注ぐ……よりも前に。
甘斗の襟首を猫のようにひょいと持ち上げ、その人物は不思議そうに尋ねた。
「何してんだ? 鈴代ン所のガキじゃねえか」
低い女性の声。聞き覚えのある粗雑な喋り方。軽々と持ち上げられた人物を見上げると、白い狐面と目が合う。
「石榴さん!?」
その稲荷は面を上げ、きょとんとした表情でこちらを見つめていた。