ガソリンをとる 1
それにしても、毎朝聞いているにも関わらず目覚まし時計のアラーム音は耳障りでならない。そういう音じゃないと効果がないというのは分かるけど、もう少し何とかならないものかと思う。その点、人の声はすごい。母親に起こしてもらったときは確実に目が覚めるうえ、全く不快じゃない。でも、それは昔のことだ。
俺は朝起きたらまず歯を磨く。歯磨き粉は使わない。余計に水を使うことになりそうだからだ。この時期水に困っているわけではないが、こういう細かい所で節約をしないと他の部分で気が緩むというか、連鎖的に贅沢をしそうで怖い。水を多めに使えば食料も多めに使っていいだろう、そして電気も……といった具合に。ただし虫歯予防だけはしっかりしておく。簡単に治りそうに思えるが、放っておくと地味に命に関わる立派な病気だ。歯医者にも行けない今では治す術もない。
そういえば昨日の時点で車のガソリンが残り僅かだった。いつも通り適当に他の車から抜いてもいいけど、そろそろガソリンスタンドから燃料を拝借する方法を身につけておきたい。多分ここから歩いて10分くらいのところにガソリンスタンドがあったはずだ。自転車で行けば2,3分で行けるだろう。そこで色々と試してみよう。車にも限りがあるし、安定して補給できるようになれば遠くに行くことができるようになるかもしれない。でもその前に腹ごしらえだ。
俺はパック詰めされた保存食……乾パンとかではなく、手軽にカロリーやら栄養素をバランスよく取れるやつ……を頬張った。賞味期限は間近だと書いてあるが、この手のものは期限が切れても食べられるのだろうか。もしダメであったら非常に寂しい。まあそのときまで手元にある保障もないが。
「ん?」
そんなことを考えていると、ふと口の中がパサパサになっていることに気付く。俺は慌ててペットボトルに入れた牛乳を口に流し込んだ。牛乳によって潤いを感じるだけでなく、口の中で固まった小麦粉と絶妙に溶けあい、優しい味に変わる。やはり小麦粉と牛乳は合う。今ではパンですら気軽に食べられないが、保存食はともかく牛乳を飲めるというのは非常に幸運なことだと思う。
俺は食事の後に出かける準備をした。出かける前にはまず水と食糧と地図、それと銃を用意する。銃といっても古い猟銃だが、日本で銃が手に入ること自体幸運だ。そして念のため銃に布を巻いておく。誰かに見られたとき無駄に警戒されないためだ。瞬時に使うことができなくなるが、すぐに構えなければいけない場面などほとんどない。デメリットはないに等しい。持っていくものといえば後もう1つ。俺は用心のために医学に関する本をリュックに入れる。医学に関するとはいっても、医療従事者でもない俺には家庭の医学程度の本しか読めない。それでも何かあったときに備えてお守り程度の感覚で持っていくことにしている。お守りにしては少し重いが。
俺は荷物を持ち玄関の前に立った。そして10秒くらい経ってから覗き穴から外を覗くが、何もいる様子はない。まあ当然この時間にアレがいるはずもないが。念には念を重ね、玄関とは反対方向にあるガラス戸から出ることにする。俺は足早にガラス戸まで移動し外を見るが、やはり近くには何も来ていない。用心深いというか無駄が多いというか、正直面倒くさい気もするが、毎日用心するに越したことはない。そもそも、面倒くさいと思うこと自体、気持ちが浮ついてきている証拠だ。気を引き締めなければ。
俺はガラス戸を開け、すぐさま家の前に止めてある自転車に向かった。もちろん自転車は昨日止めた位置にある。リュックを背負い直し、俺はサドルに跨る。ガソリンスタンドまでは2,3分だ。空は嫌になるほど晴れているけど、体力の消耗には繋がらないだろう。
「さあ出かけるか」
俺が今いる場所は狭い路地になっている。ここから少し走れば大きな通りに出て、その道沿いにガソリンスタンドがあるはずだ。
大通りに出ると車の渋滞に出くわした。もちろんこれは比喩表現であって、本当に運転されている車が列を成しているわけではない。大通りに捨てられた車が並んでいるだけだ。ここがよくあるゾンビ映画の世界だったら車中に死体が転がっているのだろうが、幸いなことに中は蛻の空だ。いや、これが幸いなことなのだろうか。人が誰もいないのに車だけが捨てられていて、こういった光景を見る度に自分が何カ月も白昼夢の中にいるような錯覚を覚える。この大通りには現実感がない。なんて、少し感傷的になり過ぎだろうか。
「そんなことよりも今はガソリンだ。石油が俺を待ってる」
独り言を呟きながら、車の間を縫うように自転車を走らせる。さっきは渋滞なんて表現をしたけど、車の間隔は自転車が通るには十分な程空いている。もっともここを車で通るとなると難しいだろうが。だから普段車に乗るときは車の少ない裏通りを使う。いつか大通りの車を全部どかしてやりたいとも思うが、そんなこと自分の人生を使いきっても終わらせられるかどうか分からない。自分の人生―。
「俺は何がしたいんだろう」
こうなる前は自分の人生に対して無頓着だったと思う。皮肉なことに、この状況に置かれてから自分の生きる目的をよく考えるようになった。選択肢なら前の生活では無限にあっただろうに。俺には選択肢がたくさんあり過ぎて迷ってしまっていたのだろう。きっとあのまま生活を続けても腐ってしまうのが関の山だった。今では人生に選択肢なんかないし目標もないが、その代わりに毎日やらなければいけないことは明確だ。俺は今回こそ上手く生きられるのだろうか。
「上手くって言ってもな……」
何と比べてなんだろう。比べるための他の人生なんかもうないだろう、多分。それでも今では何となく上手く生きていきたいと思う。
「あ」
ガソリンスタンドが見えてきた。車がいくつか置いてあるけどガソリンを拝借するのに特に問題はないだろう。俺はガソリンスタンドの隅の方に自転車を停めると、まずはポリタンクを探した。ガソリンを車まで運ぶのに容器がなければ話にならない。ガソリンスタンドの中を見回すと、すぐにそれは見つかった。灯油を入れる機械の横に並んでいる。まあ容器はあるだろうと踏んで手ぶらで来たわけで、ここまでは計算通りだ。容器を右手に持ち俺は再び給油機の横に立つ。さて、ここからだ。