澪次の過去
オリオン煌めく満天の星空、ピリリと痺れる雪風の中で、一組の男女が古城の中で団欒していた。
片や黒漆のように闇に引き込まれそうな漆黒の髪に雪のように白い絹のような肌、そして血を思わせる真紅の瞳でありながら優しげな気を感じさせる人柄の少年――夜瀬澪次。
片や澪次と特徴がほぼ同じであり漆黒の長髪に真紅の瞳。そして優雅な気を放つ妙齢の女性、蒼月の姫、黒血の姫君、血の支配者等と称されるアイルレイム・フューノシア。
そんな二人は暖炉の前で満月を眺めながら、アイルレイムは膝に顎をのせて眠るリグレイムを撫でながら澪次の奏でるオカリナ――『ユグドラシル』に耳を傾けている。
「失礼します」
と、そこへ黒の甲冑に身を包んだ騎士が中へ入ってきて地に片膝を着いて敬礼を取る。
「どうしかしたか」
「いえ。そろそろ殿方と姫君の友方が来られる時間帯ですので一声を。……もしや団欒の妨げに?」
少々不安そうに二人の様子を伺うリエルに、澪次は奏でているオカリナの手を止めて、彼女に淡く微笑む。
「いや、ありがとう。パーティーの支度は整ったの?」
「はい。友方が着く頃には仕上がるでしょう」
「そう。じゃあ彼らを出迎える用意をしておいて」
「承知しました。――では」
再び二人に一礼をすると、彼女は持ち場に戻っていった。
「もうじきということは周囲の森辺り。あそこは認識阻害を張っているため辿り着くのは一苦労することでしょう。あまり待たせるのも喜ばしくない。ここは道しるべを――」
そういってアイルレイムが手を掲げると、闇に覆われていた森を蒼い月が照らし出した。
「そうだね。これなら皆も迷わずにここに来れるはず。――そうは思わない、深紅」
「せやな。わっちは隠密が本業やから暗い道でも関係ないんやけど」
そんな事を笑いながら言う深紅にアイルレイムは深くため息を吐いてしまう。
澪次は澪次でいい笑顔で深紅を見つめ出した。
「それは立派な不法侵入だってこと、理解してる?ましてや男女二人の団欒の中に気配を消して入り込むのは些か無粋じゃあないかな?」
「え、あはは……いややなぁ」
その事に気がついた深紅はただただ冷や汗を浮かべるしかなかった。
「とんでもないなコイツは……」
途端に明るみを取り戻した森に歩みを止め、秀久は眼前に広がる光景に呆然と立ち尽くしていた。見れば一緒に来ている面子たちも同じように立ち尽くしている。
何故なら蒼い月光によって開けた視界の先には、幅が悠に300メートルを越える古城が聳えていたからだ。
月光を吸収し、淡く輝きを放つ古城は美しく幻想的だった。
「――流石は蒼い月のお姫様、といったところだな」
「………(うん)」
「ふわぁ。綺麗……」
「相変わらずアルが羨ましいわねぇ。私もこんなロマンチックなお城に住んでみたいわ~♪」
龍星、芹香、つぐみ、美桜も同じように目の前の現実を眺め、直ぐに中に入らなく、しばらくその光景を堪能していた。
先程から中に入ろうとしないのを不思議に思ったのか、城門にて待っていたリエルはそんな彼らの所に歩み寄った。
「友方。旦那様と姫君がお待ちです。さ、どうぞ中へ」
「――と、そういやそうだったな」
「ああ。いつまでもこうしていたら風邪をひいてしまう。行くぞ」
の催促に素直に頷き城に入っていく秀久と龍星。
「………(旦那様って、澪次の事?)」
「あらあら。まだそう呼ばれるのは早いけど、それほど仲睦まじいってことね♪」
芹香と美桜も各々感想を言い合いながら、二人の後を着いていく。
ただ一人、つぐみは足を止め、
(旦那様、かぁ……。レイくんはアイルレイムさんとそこまで進んでるんだ)
少しばかり羨ましそうに感じながら、それでいて秀久の背中を見つめていた。
「いらっしゃい皆」
「ようこそ蒼き月の城へ。歓迎します」
それぞれが案内された部屋は、澪次とアイルレイムがよく談笑の場に使う広間。
そこには蛍光灯といった電気による明かりは一切ないが、代わりに窓から差し込んでくる月光に、頭上で淡く存在を主張しているキャンドルによって温かい光に包まれていた。
「さ、どうぞ席におかけになってください」
「「「……」」」
アイルレイムが豪華な夕食が並んでいるテーブルに手を向けると、一同はそこにある微妙な違和感に気付き無言になった。
――顔にはここにいたのか、と書いてある。
「お前の家にはもういないから何処にいるのかと思えばここにいたのか、深紅」
「ふっ……探し損だったぜ…」
深紅にも招待状が届いていたのは皆知っていた事だが、先にここに来ていることまでは想定外だったのだ。
特に秀久に至っては彼女を探し回るといった過酷なお願いをされていた為、今まさに心が燃え尽きた。
席につき、そこでふとつぐみは辺りを見渡しある事に気がついた。
きょろきょろと視線を巡らせている彼女に澪次は不思議に思い
「どうしたのつぐみ?」
「……すごく人が少ないような気が」
確かにこの古城は壮大な広さを持つが、それなのに人の気配が全く感じられない。
「それもそのはず。ここには私と澪次に護衛の二人しかいないのですから」
「え?じゃあこの城はアイルレイムさん達が住む前からあったものなんですか?」
その事に澪次は首を振って否定する。
「アルシアは吸血種の中でも真祖なんだ。星の抑止力として当然バックアップも貰ってる。その一つの証明がこの古城。これって建てられた物じゃなくて創り出された物なんだ」
「創り……出された?」
「うん。文字通り創り出された――人工的なものじゃなく星が産んだ建築物。アルシアに関する伝説や伝承が形を為した神秘の塊がこの古城」
これには全員が驚かされた。
この何から何まで設計されたような石さわりでも、人工的ではなく自然の一部だと言うからだ。
「――話がそれましたね。それでは基督の生誕を祝うことにしましょう」
「あ、龍さん。ちょっとそこのジュース取って頂けますか」
「オレンジでいいか?」
「ええ。炭酸よりはそっちの方が好ましいし」
クリスマスの祝宴は静かに、しかし温かな雰囲気で行われて、皆本当に楽しそうに談笑していたが、一人だけ違った。
「どうしたのつぐみ?元気ないわよ。ほらほら、もっと楽しまないと!」
「……うん」
「つぐみ?」
そう。
つぐみだけが先ほどから元気のない様子だった。心配した美桜が明るく声をかけても表情は晴れることなく俯いたまま。流石に兄貴質の龍星や秀久に深紅も不安そうにつぐみを見守っていた。
「私達……こんなに楽しんでていいのかな?」
「急にどうしたん?」
「………(クリスマスなんだし楽しまなきゃ!)」
「だって今こうしてる間にも世界には苦しんでいる人達がたくさんいるんだよ」
澪次達はなにも言わずにつぐみの話を聞き続ける。
「こうしている間にも救える人達がたくさんいるんだよ!勿論こうして皆で集まれて嬉しいけど、それでも!」
「――雨宮つぐみよ」
今まで黙って話を聞き続けていたアイルレイムが唐突に口を開いた。
「いや…世界の犬か。人々の救済を望むあまりにそれに取り憑かれた生き様。まさにその呼び名が相応しい」
「おいちょっと待て!」
そこで耐えきれなくなったのか秀久がアイルレイムに一歩詰め寄る。
「なにも知らないくせに好き勝手言ってんじゃ――澪次?」
それを制したのは他でもない澪次だった。彼は優しく微笑みながら秀久に向かって首を振った。
大丈夫だから――彼の瞳はそう告げていた。
「世界の犬よ。お前は人か?それとも人間の救済という亡念に憑かれた機械か?」
「何を言って……わ、私は人間だよ!」
アイルレイムが何を言っているのか理解出来なかったが、つぐみは自分が人間たる確固な意志があったのではっきりと断言した。
だが吸血姫から放たれた言葉はつぐみを大きく揺さぶった。
「そうか。――では今こうしている間に朽ちていく人間の事は切り捨てるがいい」
「…………え?」
「よもや一つも取りこぼすことなく世界を平和にしようなどと考えてはなかろうな?だとすればお前は紛れもなく機械と同義だ」
まさしくその通りだった。
全ての人に笑顔で笑ってほしい。それこそがつぐみの願いであり旅を始めたきっかけなのだから。
それは悪いことではない。秀久や龍星達は何も言わなかった。アイルレイムの言わんとすることが分かったから。そしてつぐみにもそれに気がついて欲しかったから。
「でも、誰もが幸せになってほしい願いは間違いなんかじゃないよ!」
「否定はしない。私が言っているのはそれに取り憑かれすぎるなということだ。行きすぎた執着は必ず己を壊す。9を助けるために1を切り捨てる。――そんな割りきりを早めに持つことが幸いだろう。もはや呪いといえるほどにそれに執着し、どこか壊れた人間を私は知っているから……」
そう言って澪次の方に視線を向ける吸血姫。その瞳には確かに悲しみが混じっていた。
見ればこの場にいる全員の視線が澪次に向けられ、そんな澪次はただただ苦笑していた。
「……レイくん?」
つぐみはこんな状況でも、例え苦笑いでも笑っていられる澪次に、まさかといった表情で問いかける。それが間違いであってほしい、と万感の思いを込めて。
それに気づいた澪次は今がその時だと静かに覚悟を決めた。目の前にいる自分には眩し過ぎる少女にそれを気づいてもらうためにも。
「――少し昔話をしようか」