十話 一人の所以 後
クリスは目の前の定食を注意深く見つめていた。
テートと別れクリスが食堂に入り注文したのは、新人向けと書かれた日替わり定食。
出てきたのはクリスの頭ほどの黒パンと山羊の乳に発酵固乳、そして果物に肉麦包焼、そして何かの串焼き。
流石は騎士団、肉体労働者の巣窟だ。
日替わり定食でも大の男でも満腹になるであろう量である。
しかし、クリスが驚いたのはそこではない。
黒パンと山羊の乳や果物はいい。
肉麦包焼もいい、発酵固乳もいい。
普通に食べれるものだ、問題ない。
――けれども、これは何だ?
注意深く見つめればそれは、何かが丸まっているかのようで、甲殻と無数の足が見える。
おそらくはメインディッシュであるそれ。
大きさは、一つがちょうど今のクリスのこぶし大。
それが、二つまるまる、串に刺さって焼かれている。
どうみても節足動物と言われる類である。
「……ふむ」
食欲が一気に失せる見かけである。
他のものを食べ終えた後、それに取り掛かる。
串からはずし、ナイフとフォークで丁寧に甲殻を外していく。
足を切り取り、中身を曝け出す。
「うむ……」
余計に食欲が失せる見た目になった。
黒と赤が入り混じり、時折見える緑色。
ナイフで丁寧に切り分けて、一番まともに見える部分をフォークで突き刺した。
それを口元に運び……その匂いに辟易し、皿に戻した。
「それ、食わねえのか?」
「んあ?」
思わず変な声が出た。
クリスの横には見知らぬ団員が座っていた。
茶髪の長髪を靡かせ、クリスの串焼きを見つめていた。
その団員の前にはクリスと同じ日替わり定食、そして麦酒。
「考え中だ……」
「そっか、球虫嫌いなのかと」
「球虫というのか……」
「ありゃ、見たの初めて?」
随分と気安い男である。
ぐいぐいと、踏み込んでくる。
「ああ……しかし、凄い匂いだな」
そう言ってクリスは鼻を手で抑えた。
球虫から発せられる匂いはハーブを凝縮したようなきつい匂いである。
例えるなら、それは香水の原液のようなものだ。
「ああ、だけどそれが癖になる」
そう言って男は自身の前にある、同じそれにかぶりついた。
美味そうに咀嚼していく。
そして、麦酒で流し込んだ。
「かぁっ、これだよ、これ」
仕事終わりの一杯のような表現。
まさにその通りなのだが、ここまで感情を表にだす男も珍しい。
「随分と美味そうに食うな?」
「高級品なんだぜこれ? 見た目は悪いがうちの村じゃ祝い事の時しか食えなかったくらいに、これがでるなんて翼竜騎士団さまさまだ」
そう言って男は、二つ目を食べきってしまう。
食べきると少しだけ残念そうにして、クリスの分の球虫をじっと見た。
「……俺のもいるか?」
「話しがわかるな、あんた」
そういうと男はクリスの皿を嬉しそうに、自分の前へともっていく。
「そのために横に座ったんじゃないのか?」
クリスは呆れながらも、そう問いかけた。
食堂は混雑しているが、席が空いてないわけでもない。
それに、皆で固まって食べている連中も多いのでクリスのように一人で飯を食べてるものは多くない。
成れば当然、わざわざ横に座るには理由がある。
「御名答、球虫だけ食べないあんたをみて、これはと思った。好き嫌いが別れる食い物だからなぁ」
そういって男はにんまりと笑を浮かべた。
「……確かに虫は好んで食いはしないな」
「だろう?」
男は球虫を掻き込むように口にいれた。
むさぼる様は、汚く、犬のようなイメージが浮かんでくる
「ほほろへ、あんふぁ、はひふぇてみうえと……」
男は球虫を口一杯に、咀嚼しながら話しだす。
当然聞き取れない。
「食ってから喋れ」
男は口に入れたものをゆっくりと飲み込んだ。
「……所であんた、初めて見るけど、俺と同じ新人だよな? 肩章ないし」
肩章がないというのは見習いの証であり、外部からの一次雇いなどと同じく騎士としての格付けが一番低いという事である。
当然クリスに話しかけてきた男にも肩章はない。
「俺はクリス。所属は後方支援部隊の技術部だ」
「なるほど部隊が違うのか、どうりで見たことないはずだ……」
男はしきりに頷くと自己紹介を始めた。
「俺はグリフィス。騎士部隊期待の新人だ」
自分で期待の新人というあたり、グリフィスはよい性格をしているらしい。
「期待の新人様が日替わり定食か?」
「期待の新人といえど、新人の枠からははみ出さない! だから金はないので一番安い日替わり定食だ!」
クリスの軽い皮肉、けれどもグリフィスは笑って受け止めた。
そして、その大きな声に周りからも、失笑が漏れる。
「声のでかい奴だ」
「おう、それが自慢だ!」
笑うグリフィスにクリスは毒気を抜かれた。
一瞬呆けて、すぐに我にかえると席を立つ。
「何処へ行くんだ?」
「何処って部屋にもどるんだが……?」
グリフィスが呼び止めるもクリスは気にもしない。
「おいおい、早くないか? ここは友好の証に酌み交わす所だろ!」
そう言ってグリフィスはその手にもった、麦酒を掲げる。
「さっき出会ったばっかりだろうが」
「そんな事気にするな? 串焼きを分けあった中じゃないか? 兄弟」
やたらと親しげなグリフィスの様子にクリスは戸惑った。
「ささ、一杯やろうぜ。おっちゃん黒麦酒追加ね、二個」
「金がないんじゃないのか?」
「出会いには乾杯するのが俺の流儀だ! 一杯くらい付き合え!」
「……一杯だけだぞ」
クリスは渋々と承諾する。
クリスの言葉にグリフィスは笑を浮かべた。
すぐさま黒麦酒が用意され、グリフィスが陽気にそれを持ってきた。
「では、乾杯」
「ああ」
木製のグラスが打つかり鈍い音をたてる。
二人は生ぬるい黒麦酒を流し込む。
「ふぃー、これだねぇ……」
しみじみと呟くグリフィス。
けれども、クリスは生ぬるい黒麦酒を美味いとは思わなかった。
その時、遠くの席で騒ぎが広がった。
クリスは視線を向けた。
そこに居たのはグラン、それに団員達だった。
グランは周りにいる騎士にそれぞれ言葉を掛けている。
言葉を受けた騎士たちは、神妙な顔で頷いている。
「ペレイエ要塞に配属される連中だ。イスターチアの動きがきな臭いらしくてな、防衛を強化するらしい」
「送別会という所か……?」
道理で食堂が混雑していたはずである。
翼竜騎士団の任務は昼夜を問わない。
故に、決まった時間に食堂が混雑するという事は本来ないのである。
「ああ、イスターチアに一番近い海沿いの要塞だ。もし戦争が始まれば真っ先に死ぬ連中だ……そりゃ、送別会くらい開くだろ?」
「そうか……」
グリフィスの言葉に、クリスはそれ以上の言葉が出なかった。
本来なら、あそこにはクリス自身が混じっていたであろうはずであるからだ。
クリスが翼竜騎士団に入れられた理由は表向き武功をあげるため。
本来ならば、自分の意思など関係なく、あそこに混じっていただろう。
けれども、それはグランによって遮られた。
技術部という後方支援への配属。
アーノルドの思惑とは真逆の配置である。
グランはクリスに甘かった。
旧友の息子という事もあるのだろう。
支援者という立場もあるだろう。
けれども、それ以上の何かがそこにある。
クリスはそう確信していた。
けれども、クリスにはグランの意図はつかめなかった。
「……」
クリスは黒麦酒を飲み干すと席を立つ。
「馳走になった」
「おう、構わねえよ! またな!」
グリフィスは、朗らかに笑う。
クリスは、自室へと足を進めた。
***
クリスの朝は早い。
当然、訓練……というわけにはいかず、朝食もそこそこに小竜の厩に行き小竜の様子を見て、軽い掃除。
状況を幾つか報告書に書き込むと、次は事務小屋にて、書類の裁可だ。
これを昼までに終わらせ、昼食をとり、再び小竜をの様子を確認する。
あれこれやと、色々試し、受け付ける餌を探している。
少なくとも竜種は肉食だ。
翼竜や地竜は少なくともそうである。
牛肉、鹿肉、兎肉……はては魔物まで試してみる。
しかし、当然どれもを口にしない。
けれども、餓死するのがいるなか、生き残っているものも多くいる。
何も食べていないはずなのに糞もある。
ともあれ、不思議なことである。
それが一段落つけば、今度は午後の書類の裁可である。
そして、それが夜まで続く。
ここのところ、軍備の強化も相まって書類が増えているのである。
普段はそれが終わって初めて自由時間がとれるのだ。
休みなどとれはしない、純然たる違法企業である。
当然そうなると、クリスが訓練をする時間は限られる。
通常行われる訓練には混ざる時間もないし、仮にあってもついていけず醜態を晒すであろう。
というのも、ついていけるはずがないからだ。
体力面ももちろんある。
けれども、翼竜騎士団での訓練とはほとんどが実践形式だ。
魔法を使えないクリスではついていけるはずもない。
もしそこから失伝魔法がバレてしまえば事である。
故に訓練は夕飯の後、就寝までの僅かな時間に一人で行うしかないのである。
だから今日もクリスは一人で訓練に勤しむのだ。
闇夜に白刃がきらめく。
クリスが剣を振るっているのだ。
規則的に振るい、けれども、よく乱れる剣筋。
剣の重さにたたらを踏む、剣に振り回される。
それでも、何度も剣を振るう。
手に豆が出来た事など何年ぶりか、初めて剣をもった頃を思い出す。
懐かしさと悔しさで涙が溢れる。
それでもクリスは剣を振るう。
死なないために、殺すために、生き残るために。
千回に及ぶ、素振りが終わった時だった。
「精がでるな……」
男の声に、クリスが警戒しつつも振り向いた。
そこにいたのは朱色の髪の男。
クリスに声を掛けたのはオランだった。
「オラン……先輩、どうしてここに……?」
クリスは息を切らしながらも、オランに問うた。
ここは技術部の小屋の裏手である。
森に近く普段人はあまり来ない。
夜とも成れば尚更だ。
だからこそ、クリス己が訓練場所に選んだのだ。
「同室のものが度々、夜に抜け出せば、気にもなるさ」
「失礼しました……別に隠すつもりではなかったのですが……」
それは、嘘だ。
クリスは、誰にもこの姿を見せる訳には行かなかった。
無様で、弱々しい、剣すらまともに扱えない。
そんな姿を晒してしまえば、なぜ翼竜騎士団に入れたのか、と勘ぐられてしまう。
そこから無用に正体が知れてしまう可能性もある。
それだけは避けたかった。
「手を見せてみろ」
「……はい?」
「いいから」
そう言ってオランがクリスの手を取った。
「何か……?」
そこにあるのは、男にしては華奢な手。
そして潰れた血豆に擦り切れた肌。
それを見てオランは眉を顰めた。
そしてすぐさま呪文を唱える。
「活性化」
回復魔法。
その効果は直接傷を癒やすものではなく、人の持つ体の治癒力に働きかける類の魔法。
「これでマシになる……」
「有難う御座います」
クリスが礼を言うと、オランは頬を染めてそっぽを向いた。
「なぁ、クリス。なんでお前はなんで翼竜騎士団に入ったんだ?」
「なんで……と言われても……」
クリスは思わず言い淀む。
父の命令だと素直に言っていいものかを悩む。
「他の連中は、金のため、名誉のため、家のため、色々理由があるが、それでも自らの意思で入団したものばかりだ。だからだろう、皆ギラギラとした目をしてやがる」
「……」
「だけど、お前にはそれがない……なんか違う気がしてな」
そう言ってオランはクリスを見つめた。
「……剣を振るうだけが騎士じゃない、技術部ではむしろ雑務が多いだろう? なのにお前は剣を振るう……騎士団に所属してる以上、戦いは切っても切り離せないのは確かだ。だけどお前は何かに追い込まれるように剣を振るう……。技術部は後方支援だ、仮に戦争が始まっても前にでる事はないというのにだ」
「そんな事は……」
――解っている。
クリスとて、解っているのだ。
後方支援に戦闘などほとんど有りはしない。
ほとんど有りはしない、けれども逆いえば少しでも戦闘をする可能性は存在するのだ。
今のクリスは脆弱な女でしかない。
いくら魔法道具で上乗せしようと所詮は付け焼き刃。
戦闘訓練を積んだ男には、決して勝てないだろう。
その少ない戦闘で命を落とす可能性は少ならからず存在する。
故にクリスは己を鍛えるのだ。
少しでも、生き残る可能性をあげるために。
「俺は戻るけど、あまり根を詰めるな」
「ハイ……」
クリスの返事を聞いて、オランはそこから去った。
クリスは剣をしまい、空を見上げ、思い悩む。
「理由か……」
父の命令でなければ、クリスはそもそも騎士になど成らなかっただろう。
母のためでなければ、そもそも、公爵家になど入りもしなかっただろう。
選ぶ機会はあるにはあった。
けれども、結局クリスは自身の考えで選んだことなど無かったのだ。
父の命令、母のため、理由を付けて思考を放棄していたのである。
それに気づいて愕然とする。
思考の放棄を、自嘲した。
「くだらない……」
呟く言葉、否定したいときにでる言葉。
けれども、クリスは考えて、その言葉すら思考の放棄だと考えた。
「ああ、本当に……くだらない」
けれども、クリスはあえてそれを口にした。




