八話 見込まれて
翼竜騎士団に休みはない。
翼竜騎士団はエフレディアの軍部の七割を掌握する。
翼竜を使った迅速な索敵と防衛こそがその真価である。
翼竜騎士団が直轄する防衛は東と北。
南は、水竜騎士団による海上偵察。
西は、小国が割拠するために、それぞれ現地の騎士団が個別に対応。
南西は定期的な情報の交換と翼竜による視察対応をしている。
拠点である、各所にある要塞。
そして、拠点と本部である翼竜騎士団の駐屯所の間は翼竜による伝令が常に行われている。
そして、その情報は技術部により選別されて、上……つまりは団長であるグランや副団長であるジャックの耳に入るのだ。
情報を選別するのは、森の前にある小屋。
急ぎのものでなければ、基本は技術部が一旦眼を通す。
そして、余程の事がなければ裁可を下すのも技術部が一任されている。
とはいえ、一任といえば聞こえがいいが所謂雑用である。
技術部という名称、一応は飾りではなく、それなりの教養のあるものしか、配属されることはない。
そして報告書……所謂事務仕事であるが、翼竜騎士団に休みはない……、国防に休みなどあるはずもなく、昼夜問わず書類が届けられるのである。
故に今、クリスの目の前に山積みの書類があるのは、決して可笑しい事ではない。
クリスは引きつった顔で、それを眺めていた。
「見つめていても減らんでござる、はよう手を動かすでござる」
そう冷たく言い放つのはゴリアン。
言いながらもその手は素早く動き、判を押す。
技術部の人数はクリスを入れても四人。
本来は残り二人も一緒に、事務作業をこなす予定である。
けれども、今日は厩へと向かっている。
本来翼竜の世話というのはそれほど多くはない。
餌だけやっていればいい、というわけではないが基本、人が何かをする事はない。
否、できないという方が正しい。
だが、それでも二人が向かっているのは理由がある。
翼竜が産気づいたのだ。
それもチキャーナだという。
前々から兆候はあったらしく、最近は少し元気をなくしていたらしい。
チキャーナの体は他の翼竜に比べて大分小さい。
故にお産による命を落とす危険は他の翼竜よりもはるかに高い。
チキャーナの番は野生の翼竜。
森で遊んでいる時に孕んだという。
けれども、竜は女君主制。
その翼竜はミューデルトによって粛清された。
翼竜のなかでも特に人懐こい、チキャーナは団員にも可愛がられており、故に先日は新人のクリスが乗った事と、合わせて怒っていたという次第である。
本来クリスも、厩に行く予定だったのだが、どうにも翼竜に好かれすぎる。
先日のように囲まれては、邪魔になるだけだ。
そのため、完全に事務に回る事になったのだ。
クリスは仕方なしに書類を一枚手にとった。
備品申請と書類の山から手をつける。
「葡萄酒が三樽。小麦粉が四十袋。豚五頭。山羊七頭……宴会でも開くきか? ……使用用途は誕生日会? ああ、そう」
否決と書き込み、己が名前を書く。
「片手平剣が二十本。長槍が三十本……使用用途は……訓練」
可決と書き込み、再びサインを書く。
「……長髪のカツラ? 登城用か……片手平剣が二十本より高いし、誰が使うんだよ?」
申請者の名前をみると、グラン・サーシェス。
一瞬だけ想像し、吹き出しそうになる。
こらえて静かに否決と書き込んだ。
次々と書類をこなしていく。
とはいえ、備品の裁可など難しい事もなく、時間も掛けず終わらせる。
「早いでござるな……」
ゴリアンが関心したような声をあげる。
己が手をとめ、クリスが終わらせた書類を確認する。
眼を見開き、関心したように頷いた。
「いやはや、貴族というのはこういう時に便利でござる」
「はい?」
「何、この誕生会の申請書なんぞ、東にある砦にあるペレイエ要塞という所なんでござるが、最東端、イスターチアの監視が多い激務であるがゆえに、そこは多少の無茶が通る。さらにそこの主は、フェリマヌ・ブラデイ子爵という御仁でな。こういう無理な申請もよくくる……我らのような、ただの騎士団員……准男爵では後から何を言われるか怖くてな、なかなかそう否決など出来ないでござるよ、故に本来多忙な団長殿にサインをもらわねばならぬのでござる」
その言葉にクリスは疑問を覚える。
騎士団員とは、団長副団長もしくは、特異な立場の部隊長を除けば、等しく准男爵である。
それは、現場での指揮を統一するためであり、下級貴族の上司に上級貴族の部下が下手に口だしをできないようにしてある仕組みでもある。
故にクリスは問いかける。
「騎士団に入れば、例え名家であろうと、フェリマヌ子爵とて準男爵扱いであるはずですが……?」
「そうは言っても、その話は半ば形骸化しているでござるし、実際貴族がその権力を振りかざしたりもしたら、我らのような平民の出では逆らえないでござる……」
ゴリアンはそういうと、顔を顰めた。
その視線の先にはクリスのサイン。
「リリィ公爵家か……フェリマヌ子爵も文句は言わぬでござろう」
「……」
「しばらく、その手の裁可はおぬしに任そう、おかげで幾分団長の負担が減るでござる」
そう言うとゴリアンは深く頷いた。
そして呟く。
「それと……団長殿のカツラは可決にしておくように……」
「……」
ゴリアンがあまりにも寂しそうに、何処かを見つめて言うものだから。
クリスは無言で否決に✕を書き、可決と書きなおした。
それをみてゴリアンは、ゆっくりと深く頷いた。
「おかげで予想外に早く終わったでござるな、次は午後のぶんがくるまで一刻は仕事はないでござる」
気づけばゴリアンの前にあった書類は全て処理済みと書かれた箱に入れられていた。
ゴリアン、仕事のできる男である。
「厩にいくでござる、クリスも付いてくるでござる」
そう言うとゴリアンは、上着を羽織外にでる。
ゴリアンのその言葉。
クリスにとっては想定外だったのか、眼を見開いて、慌てて後についていく。
少しばかりの期待に眼を輝かせながら。
***
「翼竜の厩じゃないんですね……」
少しばかり残念な様子でクリスは呟いた。
クリスが連れて来られたのは、森とは正反対。
崖下にある、岩場に掘られた洞窟形の厩。
「ここにいるのは、小竜と呼ばれる種類でござる……知っているでござるか?」
大きく繰り抜かれたそこは覗けば小さな竜達が確認できる。
「力竜、走竜、羽竜、跳竜、泳竜の五種が有名ですが、加えて他の雑多な小さな竜の総称ですよね。別名吐息の吐けない竜もどき」
ゴリアンの問いにクリスは、常識の範疇の返答を返す。
「そうでござる、最もここにいるのは、力竜、走竜羽竜の三種類でござる……力竜は荷車用走竜は陸上騎兵用羽竜は伝達用として……全て野生で捕まえてきたのでござるが、飼育してるでござる、最も実験段階ではあるのでござるが」
どうにも歯切れの悪いゴリアン。
「翼竜だけじゃないんですね」
「左様、未だ繁殖段階まで進んではおらぬが、羽竜と力竜は実用化されれば特に重要でござる。今は翼竜に頼りきりの荷物の運搬は力竜が実用化されれば、一頭で数倍の荷物を運ぶ事ができるし、伝令に関しても羽竜が実用化されれば、近距離ならば翼竜を使わずとも事足りる。最速はもちろん翼竜でござるが、常時使うわけにもいかなのでござる……それに経費の削減にもなる」
確かに体の大きさが何倍も違うのである。
その費用は翼竜の何分の一であろう。
用途別に使い分ければ、翼竜ばかりに費用をかける必要もないのかもしれない。
ゴリアンはそこで厩に視線を向けた。
「まぁ、説明するよりも見るのが早いでござる」
そう言うとゴリアンは厩の中へと進んでいく。
クリスも、追いかけ中に入る。
入ると竜達が色めき立つ。
けれども、途端臭ってくるその異臭に意識を奪われた。
換気されているはずなのに、思わず鼻を塞ぎたくなる程のカビ臭さ。
その匂いの元を辿れば、そこは羽竜の場所。
そこには倒れている一羽の羽竜の姿。
色は緑だが小翼竜とも呼ばれるその凛々しき姿。
だけども、それは今は霞む。
その瞳に力はなく、羽竜は濁った瞳で力なく岩の上に横たわっていた。
「またでござる……」
ゴリアンが落胆したかのように眉根を下げる。
仕切りをあけ、羽竜の所へと進みよる。
近場にいた羽竜が嫌そうに逃げまわる。
近寄り羽竜の遺体を検分する。
「また?」
「餓死でござる……」
そう言って掲げて見せたのは、羽竜のその全体。
一メートルに満たない、その体。
通常よりか遥かに軽く薄い。
「体の小さい羽竜はすぐに死ぬでござる。ついで走竜も、力竜も危ういでござるよ……」
そう言ってよくよく見わたせば、厩にいる竜たちは全て痩せていた。
「餌は?」
「なぜか食べない……あらゆるものを試したが、これでは繁殖どころか飼育すら目処が立たない」
そう言ってゴリアンは眉を揉む。
相当に疲れているのだろう顔には疲労の色が濃い。
そして、眼を開き、クリスを見据えて告げる。
「クリス、お主の仕事でござる」
「は?」
端的に告げるゴリアンに、クリスは思わず真顔になった。
「お主が竜に好かれやすい体質というは某も聞いた。それを見込んでの大仕事でござるよ……事実ここにお主が入った瞬間、小竜達がいろめきだったのを某も感じた、この試みが成功すれば、戦場にでなくても大いなる武功になるでござるよ」
「……武功」
クリスの望むものは、父を見返すための武功と、生き残ること。
戦場にでなくてもそれが叶うのならそれは願ったり叶ったりである。
「技術部に入る連中はどいつもこいつも訳ありでござる、どうせおぬしもその口でござろう……?」
そう言ってゴリアンは厭らしく笑う。
「そう……ですね、否定はしません」
「ならば、やってみせろ。いや、やって欲しい……国のためにも、竜のためにも……いくら国のためとはいえ、竜達が無体に死んでいく様は見てて気持ちの良いものではない……頼むでござる」
そう言ってゴリアンはクリスに頭を下げた。
直情的なまでへの竜へのその思い。
クリスは初めてゴリアンという男を好意的に見ることができた。
「承ります」
故にクリスは確りと頷いた。
翼竜騎士団技術部での初めての大仕事。
クリスは静かにやる気を滾らせた。




