七話 翼竜騎士団 初日 後
「食事はここに運ばれてくるから、基本的には翼竜が勝手に食う」
そう言って目の前の男が指し示すのは、床元。
そこには、青白い光を放つ超大な魔法陣が設置されていた。
転送用の魔法陣である。
周囲には生臭い匂いと共に血の跡がこびりついている。
その匂いと汚さに、クリスは少しばかり眉を潜めた。
「臭いか? 慣れないと辛くなるぞ?」
そういって気遣うようにクリスに声を掛けるのは、朱色の髪を逆立てた男。
翼竜騎士団の黒い騎士服を着込んでいる。
男の名前はオラン、クリスの指導役の騎士である。
クリスはジャックに厩に連れて来られ、その後彼を紹介されたのだ。
その後クリスはオランに厩の案内をされていた。
そして、今は案内途中で立ち寄った、厩の中にある翼竜の餌場である。
円柱形の厩の、その中心。
文字通りの中心に餌場は存在した。
そこは、厩の中に生える、厩程の中を殆ど覆い尽くす程大きな、巨大樹の虚である。
「大丈夫です」
すぐさま表情を戻し、答えるクリス。
「貴族のぼんぼんなんかは、すげぇ嫌そうな顔するけど、お前は大丈夫そうだな」
オランは、頷くと、外へ歩き出す。
慌ててクリスも続いた。
外に出ると、涼しい風がクリスの頬を撫でた。
同時に、クリスの視界に移るのは、とてつもない大きさの木の枝葉。
その太さでいえば、半径がクリスの持つ、両手剣より遥かにでかい。
さらに夥しい程の太い弦が縦横無尽に張り巡らされている。
上を見上げれば、枝葉や弦が張り巡らされ、所々に翼竜の姿がかいま見える。
翼竜二百匹が住む巨木。
それが、翼竜の厩の正体であった。
これが、たった一つの樹だというのだから、クリスは下から見た時に驚いた。
翼竜の厩は、巨大な円柱状に作られている。
中に入るとすぐに見えるのは、その巨木。
地面から生えるそれは、厩の天井までその枝葉を伸ばし、厩全体に弦を伸ばし、まるで建物と一体化してるかのような印象を見るものに与える。
オランはそんな大きな枝葉を足場に軽々と跳んで先へ進でいく。
クリスもなんとか見失わないようにと、ついていくのがやっとだった。
たどり着いたのは、その巨木の天辺。
厩の半球状の天井に仕切りはなく、骨組みだけが存在している。
そして、その上に佇むのは、無数の翼竜達。
「ここは……?」
「翼竜の寄り合い所……みたいな場所だな。大抵皆ここにいる」
二人が骨組みの上に乗ると、一匹の小さな翼竜が骨組みの上を伝って歩いてきた。
「おう、チキャーナ元気か?」
オランが軽く手をあげると、その手に顔を押し付けた。
「グルゥ」
喉を鳴らし、猫のように体をすり寄せる。
「甘えん坊だな、まったく」
オランも、悪い気はしてない様子で、チキャーナの体を撫でくりまわす。
「獰猛じゃなかったのか……?」
クリスの呟きが聞こえたのか、オランが振り向いた。
「ん? 獰猛だぜこいつら? ただチキャーナは特別小さくてな……」
言っている間も撫で回す手は止めないオラン。
チキャーナも眼を細めて、うっとりとしている辺り、確かにその姿は心を開いてるといっても過言ではないのだろう。
「クリスも触ってみるか? ほらチキャーナ」
そう言うとオランがポンとチキャーナの首を軽く叩いて、その後クリスを指さした。
すると、チキャーナゆっくりとクリスに近寄っていく。
小柄とはいえ、翼竜。
その大きさはゆうに五メートルを超える。
小柄な今のクリスと比べるならば、大人と子供というようなレベルではない。
大人と乳児。
それくらい大きさに違いが合った。
「……」
「……」
眼をあわせる、一頭と一人。
一頭は、興味津々に。
一人は、緊張気味に。
そして、二人の距離は徐々に縮まっていく。
ゆっくりとチキャーナが首を伸ばす。
ゆっくりとクリスが手をの伸ばす。
そして、触れた。
クリスの手に伝わる手触りは、なんとも言えない硬質な物だった。
けれども、滑らかで、暖かかった。
しばらく撫でていると、緊張が解けたのか、チキャーナも気持ちよさそうに眼を細めた。
そしてゆっくりと頭を垂れた。
――しそさま。
「え? オラン先輩、何か言いました?」
唐突に聞こえた声に、クリスがオランを見れば、オランは口をあけて呆けていた。
そして、我に帰ったオランは奇声を発した。
「な、ななな……」
「な?」
慌てふためくオランは、言葉を喋れない程に驚いているらしく、口をなんども平開させ言葉にならない悲鳴をあげていた。
そして、震える手でそれを指さした。
その先には頭を垂れたチキャーナの姿。
「うん?」
何も可笑しい事はない。
ただ、頭をなでて欲しいのだろう。
そう思ってクリスはチキャーナ撫でた。
「グルァァァァ」
高い唸り声、まるでそれは喜んでいるかのような。
そして、直後クリスは空を飛んだ。
「おわっ!?」
そして、乗せられたのはチキャーナのその首。
すっぽりとその首元に収まった。
「チキャーナ!? クリス! 下手に刺激するな!」
オランが慌てて叫ぶも、既に遅く。
「ギギャァ」
チキャーナの小さい掛け声。
それは出発の合図だった。
クリスを襲うのは浮遊感。
そう、チキャーナはその翼を大きく羽ばたいていた。
風が舞い上がり、木の葉が揺れ、その場に浮き上がる。
「飛ぶのか?」
オランとは反対にクリスはとても冷静だった。
けれども、頭とは反対に、内心、胸は早鐘のように鳴り響く。
「クリス、降りろ!」
オランが叫ぶが、クリスには何も聞き取れない。
そこに居るのは、自身とチキャーナのみ。
だからだろうか、クリスに迷いはなかった。
そこにあったのは純粋な願望のみ。
飛びたいという願望。
故に、クリスは迷いなく命じた。
「ああ、いいぞ。飛べ」
そして、飛んだ。
高く、高く、高く。
羽ばたき、前に、前に駆けていく。
幻獣最速と言われる翼竜。
その最高速度は有に時速五百キロを超える。
クリスに壁とも言える暴風が吹き荒れる。
本来なら吹き飛ばされ墜落するであろうほどの衝撃だ。
けれども、それは防がれた。
いかなる力か、淡い緑光がクリスを包む。
その光は翼竜の力である。
風を読み、風を駆ける翼竜が、風を操れないはずがない。
風はまるでクリスが居ないかのように流れ去る。
鞍すらつけていない、不安定な翼竜の首元。
だというに、しかし、クリスは落ちる気はしなかった。
「いいぞ、行け……試してみろ」
クリスの呟き。
それに合わせるかのように、チキャーナは空を駆ける。
雲を切り裂き、上昇し、大きく体を回転させる。
地上すれすれまで、滑空したかと思うと、そのまま急上昇。
今度は錐揉みで、森に突っ込んだ。
木々をなぎ倒し、回りを破壊し、再び空へと駆けのぼる。
まるで弧を書くようにに厩の回りを旋回する。
そして、上昇。
遥か高所で、滞空。
「アッハハ、最高だなお前っ!」
冷静だったクリスも、感情が昂ぶり、思わず声がでる
まるで、チキャーナと一体化したかのような、感覚。
チキャーナの言いたいことが、やりたいことが、何もせずとも伝わってくるような感覚。
あり得ないと頭では理解している。
けれども、クリスには解るのだ。
クリスはまるで手足の如くチキャーナを操り空を飛んだ。
何度も、空を駆けた。
何度も、何度も、何度も……。
まるでいつまでも、飛んでいられるような感覚だった。
しかし、それはやってきた。
「いいぞ、次は……ん、そうか」
チキャーナの限界だ。
クリスは残念そうな顔をするものの、チキャーナを思い、ゆっくりと厩へと降り立つことにした。
降り立ったそこに居たのはオランだけではなかった。
団長、副団長、ゴリアン、その他見たこともない団員達がそこに集まっていた。
一様に険しい顔をしている。
「何をしてるんですか?」
飄々とチキャーナから飛び降りるクリスに面食らったかのような団員たち。
「何ってお前っ!」
オランが走り詰め寄ろうとしたが、それを手で制したのはグランだった。
そして、グランはクリスへと向き直る。
「……なにをしたか解っているのか?」
「何をって、彼女と飛んだだけでしょう?」
クリスが不思議そうな顔をして、チキャーナを指し示す。
「彼女? オラン、クリスに竜の雌雄の見分けを教えたのか?」
「いえ、自分はまだ案内しか……」
グランは、眉を顰めるとクリスへと視線を向けた。
「竜の雌雄は、俺達でも中々難しい、しいて言うなら雌のほうが体がでかいくらいだが……、チキャーナは雌にしてはとても小さい。なぜ解った?」
「なぜって……?」
そこでクリスは首を傾げた。
――なぜ俺は、チキャーナが雌だと知っていた?
思考するも、出てくるのは疑問だけ。
ただクリスは解っただけ。
そこに理由など介在しなかった。
「幻獣に騎乗した経験は?」
「いえ、ありません、馬だけです」
その言葉に辺りがざわめいた。
「才能か……?」
「馬鹿な、才能のあるやつでも一年以上かかるはずだ、それに鞍もない」
「なら、なぜだ!」
喧々諤々と言い争いが始まった。
「こんな、小僧っ子を認めるわけにはいかん!」
一人の団員が駆け出し、クリスを殴りつけようとしたのか手を振り上げる。
「やめろ、ヴァルム!」
グランや、他の団員が抑えようと駆け出すよりもそれは早かった。
ブオンと、ヴァルムと呼ばれた男の上を何かが横切った。
直後に、ヴァルムは空に投げ出され、巨大樹の葉にたたきつけられた。
「ミューデルト、お前……」
それを成したのはグランの愛竜。
翼竜が女王、ミューデルトだった。
ミューデルトはクリスの前に佇むと頭を下げた。
「えっ、何、助けてくれたのか? 何? お前も撫でて欲しいの?」
困惑したのはクリスのほうだ、とはいえ撫でるしか無い。
ゆっくりと撫でるクリスに、ミューデルトは眼を細める。
――しそさま。
「団長、何か言いました?」
「いや……?」
言えるはずがない。
グラン達はミューデルトの行動に唖然とし、何も出来ずに居たのだから。
「クリス、お前は竜を操れるのか?」
「は? そんなわけ……」
ふと思い出すのは、チキャーナに騎乗したときの、まるで一体化したかのような感覚。
けれども、クリスは首を傾げた。
操れるというわけではない。
「操れるわけないでしょう?」
「なら、これは翼竜達が勝手に行ったというんだな?」
「そうでしょう? 自分は翼竜に会うのも乗るのも今日が初めてですよ」
何を言ってるんだとばかりに、クリスは胡乱げな視線をグランへと向けた。
「そうか、お前には才能があった、という事にしておこう、皆戻るぞ」
グランは、回りの団員を促した。
団員は不満気な視線をクリスに向けるものの、渋々と下に降りていく。
そこに残ったのはオランとジャックだった。
「結局団長達は何しに来たんですか?」
クリスはジャックへと問いかけた。
「オランが駆け込んできてな、クリスがチキャーナに連れ去られたというから、助けに来たんだ、新人はたまに食われるからな」
さらっと、とんでもない事を言うジャックだが、その眼は真剣だった。
ちょっとばかりクリスは頬が引きつった。
――その割には、心配というより怒ったような感じだったがな?
「そうですか……心配を掛けて申し訳ありません」
クリスは疑問に思うが、荒立てないために謝罪した。
「気をつけるといい、オランもいつまでも呆けてないで、行きたまへ、クリスは俺が宿舎へ送っていこう」
「すんません……俺がもっと気をつけていれば、まさか行き成り頭を垂れるなんて……」
「いや、気にするな、俺も驚いた」
二人の会話に、特有の言葉が入り込む。
クリスは気になり反復した。
「頭を垂れる……?」
「ああ、竜は相手を認めると頭を垂れるんだ……下げられたら乗っていい」
「へぇ……じゃぁ俺チキャーナとミューデルトには乗れるのか……」
クリスはその事実に少しばかり胸が高鳴った。
思い出すのは空を駆けるその興奮。
癖になりそうな程の快感だった。
「チキャーナ、またよろしくな……」
そう言ってクリスはチキャーナを撫でた。
チキャーナは嬉しそうに、眼を細めた。
すると、今度はミューデルトが嫉妬するようにクリスに頭を押し付けた。
「おいおい、わかった。お前も撫でるから、そう急かすな」
二匹の翼竜は競うように、クリスへ擦り寄った。
「翼竜に好かれる体質か……?」
オランが不思議そうに首を傾げる。
気づけば周りには、他の翼竜まで寄ってきている。
クリスは、どんどん囲まれていく。
「ちょっ、舐めんな。べっとべとになる。騎士服食うんじゃねえ……ぶえ」
流石に好かれすぎである。
オランがどうやって助け出そうかと、考えている時だった。
クリスの騎士服、その上着が、剥がされた。
現れたのは、晒しに巻かれた、薄い胸。
けれども、其処には本来男にはない、膨らみが確かにあった。
さらにまとめてあった髪留めは外れ、髪は解かれた状態が拍車をかける。
「副団長……俺、幻覚でも見てるんすかね……? クリスが女に見えます」
オランは目元をこすりながら、再度クリスの様子を確認した。
翼竜がじゃれているせいか晒しは先ほどよりも緩み、その形が先ほどよりも見えやすい。
「ああ、それはそうだろう……? だってクリスは……」
そこでジャックは思い出したように、言葉をつぐむ。
「禁則事項だ」
そして、真面目な顔をして宣った。
ジャックが何処か抜けているのは翼竜騎士団では周知の事実。
「そうですか……」
オランはジャックの台詞に呆れた様子で流した。
余談だがオランとクリスは宿舎で同じ部屋の予定である。
この日から、オランにとって苦悩の日々が始まる事になるのは別の話。




