五話 裏路地《スラム》 後
燃え盛る炎じは徐々に、床板へと移り行く。
「お前が……クリス?」
ロイドは眼を見開いて、クリスを見た。
「何の魔法だ?」
当然といえば当然の疑問。
けれども、明確な先を見据えたロイドの問いかけにクリスは笑を浮かべた。
「頭の回転が早いのは嫌いじゃない……変身魔法だ」
「変身だと、なんだそりゃ? 聞いた事もねえ……」
眉根を寄せるロイド。
その眼は、まだクリスの事を信用してはないかった。
「公爵家に伝わる……失伝魔法だ」
「……それを俺が信じると思ってんのか?」
そう言ってロイドはクリスを睨みつけた。
クリスは銀時計を取り出し、ロイドに投げつける。
ロイドがそれを開けてる。
銀時計の裏蓋に刻まれているのはリリィ家たる二本の百合の花である。
それを見てようやくロイドは信じたのか、眼を瞬き、視線が文様とクリスの顔を交互した。
「クリス……本物なのか」
「信じないならここで殺す。この体勢だ、お前が何かやる前に喉を貫いて見せよう」
「その、物騒な物言いはクリスだ……」
何かを諦めたかのように、ロイドはため息を付いた。
「やっと理解したか?」
「理解したくもねーけど、な、いい加減その剣をどけてくれ」
一瞬目線が交錯するも、クリスはゆっくりと剣を鞘にしまった。
「まぁいい、火を消せ」
「その人使いの粗さもクリスだ……」
ロイドは机を戻すと、蝋燭を取り替え、火をつけた。
「……水玉」
そして呪文を唱える。
桶がひっくり返されたかのような水が床にたたきつけられ、燃え移った火を消した。
「それで、なんで公爵家のご子息様がそんな事になってるんですかねぇ……」
「武具庫にある魔法道具を起動したらこうなった」
端的なクリスの説明に、ロイドは眼を細めた。
「色々説明すっとばしすぎてねぇ?」
「いいから、黙って専用化しろ」
「……わかった、わかった。ちょっと待ってくれよ」
そう言うとロイドは、呪文を詠唱する。
「……木製創世」
手に魔法陣が展開し、手を床板へと付ける。
すると、焦げていた床が元に戻り、机に合わせたのか新たな椅子が二つ出現していた。
「見事なものだ」
クリスは賞賛しながらも椅子に座った。
「お褒めいただき光栄ですねぇ……」
「俺が褒めているんだ、手放しで喜ぶといい」
「わー、嬉しい、嬉しすぎて涙がちょちょぎれそうだ」
ロイドは心底嫌そうな顔だった。
「それで、仕事の話だ」
「切り替え早すぎじゃないですかねぇ……」
ついさっきまで、貞操と命を取り合った関係である。
ロイドはクリスの切り替えのはやさに、辟易した。
けれども、クリスにそんな事は関係ない。
淡々と要点を述べだ。
「明日、遅くても明後日の朝までに仕上げろ」
「はぁ!? 何いってんの? 専用化ってお前、あの数の魔法道具をか?」
「そうだ、言っただろう?」
「なんでそんなに必要なんだ?」
「言っただろう、翼竜騎士団に入ると」
その言葉を聞くと、ロイドはげんなりとした顔をして頭を抱えた。
そして、唐突に叫んだ。
「そこが可笑しいってんだよ!」
「……何が可笑しい?」
「だって、お前よぉ、変身魔法なんだろ? 女に変身なんかしちまって……魔法なんか使えんのかよ?」
「……いい着眼点だ」
どうなんだ? とロイドの眼は語りかける。
クリスは肩をすくめて、おどけてみせた。
「使えないな、使おうとしても危うく小魔力枯渇になりかけた程だ」
「……っだったら、おとなしく家に籠もってろよ! 魔法道具じゃらじゃらつけたって誤魔化せやしねえぞ、アーノルド様は何を考えてんだよ!」
「父上の考えか……」
クリスは、ふと悩む。
今まで単純に嫌われてばかりいると思っていたが、あえて父の思考まで模索した事はなかったと今更ながらに考えた。
だが思い出すのは無情な言葉。
「この姿になった時、嫁に行くか、騎士団に行くかを選ばされた」
「それが可笑しいってんだよ。貴族の男児なら確かに数年騎士団に入るのは箔付けで必要だが、事情が事情だろう、その魔法解呪する方法を先に探すのが普通じゃないか?」
「この魔法は失伝魔法だ。大っぴらに解呪方法を探すわけにもいかない、解呪ができるという事は、魔法を解き明かすという事だ。変身魔法という価値を考えればそう安々と公表できないんだろう……」
「言いたい事はわかる……変身魔法なんざ解き明かされて復活しちまったら。世の中誰も信じられなくなるからな……」
「そうだな、思うままに変身できれば、奸計、暗殺、計略、なんだってできる、最高の暗殺者が作れるな」
「だからってな、借りにも自分の息子をだぜ、手枷をして魔物の群れに放り込むようなもんじゃねえか……」
あり得ないとばかりに、ロイドは呻く。
「俺は既に、翼竜騎士団に入団することが決まっている……、戦争も近い、正当な跡継ぎも既にいる。そんな時勢だ、次男である俺が騎士団に入団しないなど、何かあったと自分から言いふらすようなものだろう?」
「だがな、それじゃお前、嫁に行くを選んでたら……」
「選ぶと思うのか……?」
瞬間、まるで、生ごみか何かをみるかのような表情でクリスはロイドを見ていた。
「ねぇな……アーノルド様もわかってて言ってるんだろうな」
そう言うと、ロイドは静かにため息をついた。
ロイドとて、騎士学校時代のクリスは知っている。
そして、その父に向けられた殺意にも近い怒りもだ。
「戦争が近いしな、翼竜騎士団は間違いなく最前線だ……魔法の使えない女なんぞ、戦場で何ができる? 間違いなく犬死にだ」
ロイドがげんなりとした表情で呟くのも当然だ。
あからさまなほどにわかりやすい口封じ。
親から殺されそうになっている子供など見てて気持ちのいいものではない。
しかし、本来なら、本人が逃げようと思えば逃げれるだろう事柄でもある。
逃亡なり、神殿に入るなり、王に嘆願するなりやりようはある。
けれども、クリスはそれをしない。
なぜなら父に向けられた怒りが、大きすぎるからだ。
クリスが好むのは本来相手の得意な戦場にさせない戦い方。
だが、あえて相手の戦場で戦う時がある。
それは、相手の心をへし折りたい時だ。
相手の得意な戦場でもって、相手を妥当する。
それは、クリスの怒りが本当に大きい時にしかしない事だった。
けれども、今クリスはそれを自らの父にやろうとしているのだ。
だがそれは同時に、自ら逃げ道を塞いでいるとも等しいのだ。
今回は部の悪すぎる勝負である。
「俺もおいそれと死ぬ気はない。だからこそ死なないための専用化だ……ロイド頼む」
そう言ってクリスは静かに頭を下げた。
ロイドは面食らったのか、少しばかり動揺するが、それでも、気を取り直した。
「わかった。やってやる……だが、条件がある」
「言ってみろ、大概の事なら叶えてやる」
「専用化には血が必要だ。本人の小魔力を含んだ血が」
「なんだ、血くらいくれてやる……好きなだけもっていけ」
「俺は言ったぞ、本人の小魔力を含んだ血だと」
「うん? 小魔力なんぞ血に流れて……」
そこまで言って、クリスは顎に手を当てた。
「女の体には殆ど流れて無いな……」
言葉にでるのは一般的な結論。
そして絶望的な答だった。
「可能性が一つある……」
「ほう?」
ロイドの言葉に、クリスは期待するかのように、眼を細めた。
「破瓜の血だ」
「死ぬか?」
瞬間クリスは、片手平剣を引き抜いていた。
「待て待て待て待て……その剣をおろせ!」
剣をもつクリスをみて、ロイドは慌てて続きを口にする。
「昔、なぜ女は魔法は使えないって議論した事があったろ?」
「ああ、あったな、結局体に流れる小魔力の総量が男の何十分の一であるから、呼び水にすらならない、という結論じゃなかったか?」
「その先を考えてみたんだよ」
「先?」
「なんで、何十分の一なのかってことだよ」
「ふむ……?」
「わかんねーよな、まぁこんな酔狂な研究するやつも多くねーしよ、だが俺は予想をつけた」
自信ありげに語るロイドにクリスは続きを促した。
「言ってみろ」
「男の女の違いなんざ、一つしかねえ、子供を産むか、産まないかだ」
「なるほど……だが、それがどう繋がる?」
「小魔力は心臓で生成されるのは研究でわかってんだよ、女も一応生成されてるんだ、体に行き渡る量が少ないけど、けどそしたら、体に行き渡ってない小魔力は何処へ消えちまってるんだという話になった」
「それで?」
「さっきも言ったろ。男と女の違いだ。そう考えた小魔力の行き着く先なんて子宮に決まってんじゃねーかってことだ」
「ある意味……理に適っている……」
あまりの必死さに少し納得してしまったクリス。
「だろう……だから、破瓜の血をだな」
「……子宮を少し切ればいいんじゃないのか?」
「内蔵を傷つけるのはおすすめしない、治療も大変だ」
「確かにそうだが……」
「なんなら、痛くないように手伝ってやるから……おい、やめろ。感情の無い眼で睨みながら剣を突きつけんな」
「お前が猿なのは理解した……」
呆れたように呟くクリス。
けれども、ロイドは厭らしく微笑んだ。
「だから言いたい事はわかるだろ? 専用化したいんなら、大人しくヤらせろ」
その言葉に、クリスは目眩がする。
「もう取り繕いもなくなったのか」
「いいじゃねーか。気持よくしてやんぜ……?」
なんという条件なのだろうか、クリスはロイドに軽く殺意を覚えた。
けれども、ふと思いつくのは、ロイドが言う自身の体の変化。
「月経の血でいいだろう、子宮から出る血だ、お前の理論が正しければ小魔力を含んでるはずだ」
「チッ、気づきやがった」
「おい……」
思わずクリスから低い声がでる。
ロイドは慌てて取り繕った。
「冗談だぜ、そんなおっかねー顔すんじゃねーよ」
何処まで本気で、何処まで冗談かわからない。
ロイドの態度にクリスは若干苛つきもする。
「……血は後で渡そう」
「後でってまさか、なんだ来てんのか……?」
「ちょうど先日からだ、それだと気づいた時は流石に死にたく成ったがな」
クリスは忌々しそうに吐き捨てた。
「ご愁傷様で……」
「言ってろ」
クリスの状態を把握したロイドは軽口を叩きながらも思考を進めていたのか、次の疑問を口にした。
「しかし、まぁ、随分と高性能な変身だな……姿形でなく中身まで、本当に変身魔法なのか?」
「……どういう事だ?」
ロイドの言葉にクリスは違和感を感じ取って、問いただす。
「わからねえか? 体自身を作り替えている……一時的な変身でなくて、永久的な変化の可能性があるって事だ」
「っ……」
その言葉にクリスは絶句する。
その可能性は否定出来ない。
便宜上変身魔法と呼んでいるが、姿が変わったのは一回限り。
それも、任意ではない、過去の人物。
「あくまでも可能性だ……そう身構えるな……、その場合、何のためにその魔法は作られたか考えて見ればその魔法の本質が見えてくる」
「何のために……?」
「その姿はお前が女だったらって姿でもないんだろ? お前、背は平均より少し高いほうだろ、でもその姿、女でもちっちぇえ、となると誰かに化けている事になる」
「初代エフレディア王妃の姿だそうだ……」
その言葉だけで推理したのか、ロイドは頷き、眼を白黒させた。
「なら用途は身代わりか囮か……」
「俺もそう思うが……身代わりなら確かに変身ではなく変化なのかもしれないな……」
「だろうな……死んだ後に魔法が解けたら身代わりの意味がないからな」
「……戻れない可能性が高いと?」
「最悪はな……だが、まぁ今は置いとこう、ここで話していても……何が変わるわけじゃない。俺もおいおい調べといてやる」
「……そうしてもらおうか」
そこで二人は一端話を区切った。
部屋を重い空気が漂った。
二人共何かを考えているのか、クリスは腕を組んで黙っているし、ロイドはブツブツと呟いていた。
しばらくして、ロイドが切り出した。
「専用化するんだろ? 流石に数が多い、さっき持ってきたのはいくつあるんだ?」
「十かそこらか?」
「……一つに付き、一日は掛かる。近日では無理だ」
「なら、別にいい、出来上がる度に届けろ」
「っておい、借りにもエフレディアの軍部を司る、翼竜騎士団だぞ? 荷物一つだって検問される、魔法道具なら尚更だ、手間が掛かり過ぎる」
「なんで、検問される?」
「なんで、ってそりゃ外からの荷物はそうだろうよ」
「外? お前は翼竜騎士団に入らないのか?」
「あー、クリスは知らなかったか、俺は翼竜騎士団には入らない」
「どういう事だ? お前の親父の騎士団だろ?」
「クリス、お前ならわかんねーか? 優秀な親父を持つ俺の気持ちがよぉ……」
ロイドの父であるグラン・サーシェスは翼竜騎士団団長である。
翼竜騎士団はエフレディア最強と誉れ高き騎士団である。
当然、その団長であるグランはエフレディア最強の男である。
その息子のロイドにかかる期待、それは生易しいものではないのだろう。
騎士学校を卒業したというに、彫師として裏路地に居るのだ。
やはりそれは、騎士の道を諦めたという他ないだろう。
境遇でいえば、公爵家のクリスも内外の重圧は相当な物である。
ロイドはクリスに共感して欲しかったのだろう。
「どいつもこいつも勝手に期待して、勝手に落胆するんだ……それで付いた渾名が臆病者だぞ? そんなんで騎士なんかやってられっかよ」
そう吐き捨てた。
「だからこそ、超えたくなるものだと俺は思うがな」
そのクリスの言葉に、ロイドが不思議なものを見るような眼をしてクリスを見て、その後そっぽを向いて言い放った。
「皆が皆、クリスみたいに強くねーんだよ」
その言葉に、クリスも黙りこむ。
「血は後で使いの者に持ってこさせる……俺は明後日から翼竜騎士団に入る予定だ。手間だと思うが頼むぞ」
そう言うとクリスは立ち上がる。
「わかった……俺は今日はここにいる、マスターに話を通しておく」
そう言うとロイドは、俯いた。
説明会。




