二話 公爵家 後
「これが、クリス……? 随分と可愛らしくなったものね」
開口一番。
長女から放たれたのは、侮蔑とも嘲りとも取れる言葉だった。
「いいのではなくて? 少しばかりエンバスより腕が立つからといって調子に乗った報いでしょう」
次女は、鼻を鳴らし、厭らしい眼でクリスを見やった。
「可愛いですね、私の事はお姉ちゃんと呼ぶように!」
三女は、何処かずれていた。
「まぁ、あれだよ。生きていれば、そんな事もあるだろうさ。気を落とすなよクリス」
自身が嫌っている兄からは同情された。
声をかけられるごとにクリスの中で何かがブチブチと切れていく。
「ギャーギャー喚くな……」
恐ろしい程冷たい声が、クリスの喉から搾り出された。
長女と次女は怯み、三女は首を傾げた。
「……クリス、あまり女性を怖がらせるものではないよ?」
唯一平常なエンバスがクリスを窘めるも、クリスはひと睨みして舌打ちをするだけだ。
けれども、それは彼女らに火をつけた。
「まぁ! 次期党首様になんて態度!」
「所詮妾の子! 立場すら弁えること叶わぬか!」
先ほど怯んだ事など忘れたかのように、長女と次女が合わせたように騒ぎ出す。
「既に他家に嫁いだあなた方に、言われる筋合いはない」
けれどもクリスは当然のごとく言い放つ。
「なんて、無礼な!」
「父様が拾ってくださらなければお前など!」
加熱する姉妹の台詞。
けれども、逆にクリスの心は冷えきっていく。
「……もっと自由に生きてただろうよ」
クリスは慢全と吐き捨てる。
その言葉に長女と次女は忌々しいものを見るかのように、クリスを睨む。
「自由はいいですね、私も自由は大好きです」
おざなりな、セシリアの反応。
セシリアの視線は机の上にあるお菓子を捉えていた。
「セシリア、君はお菓子でも食べてなさい……そこの侍従、紅茶を頼むよ」
エンバスは空気読めないセシリアを早々に座らせた。
「エンバスも何か言いなさったらどうなのですか!」
「そうです、貴方は正当な後継者なのだから!」
今度は、二人の怒りはエンバスへと向けられる。
エンバスは堪らないとばかりに、話をそらした。
「サークトレア姉上もレヴァヌス姉上も落ち着いてください。僕達は態々クリスに文句を言うために戻って来たのではないでしょう?」
エンバスの言葉にふたりとも我に返り、黙りこむ。
だがすぐに水を得た魚のように騒ぎ出した。
「ええ、そうでしたわ、そうでした。ナタリア様とエンバス様の式の手伝いに来たのでしたわ」
「ええ、そうですわ。こんな無頼漢に構う暇などありはしません」
クリスは青筋を立てながらも、二人の言葉を聞いて、驚いた。
だが、同時に納得してしまう。
リリィ家の子供達が集まった理由。
公爵家の婚姻だ。
それは、リリィ公爵家、及び公爵領全てをあげて、行う一大行事である。
来賓には国王、王妃、他公爵家や有力貴族が押し寄せる事になる。
それほどまでに、影響力があるのだ。
リリィ公爵家とはそういう家である。
クリスは静かに紅茶をすすると、ナタリアに眼を向けた。
ナタリアは今まで静かに黙っていたが、その眼は静かに微笑んでいた。
どのような心境なのか、クリスに推し量ることは出来ない。
「そうですか、兄上、ナタリア様、おめでとう御座います」
クリスは静かに祝福の言葉を口にする。
「ありがとう、クリス様……」
「君に祝われるのは複雑な気分だが、ありがとうクリス」
二人は静かに返礼すると微笑んだ。
「何か祝いの品でも用意致します……積もる話もあるでしょう自分はこれで、失礼します」
そう言うとクリスは立ち上がり、いそいそと自室へと足を向けた。
「あ、クリスッ!」
ナタリアが声が掛けるも聞こえないふりをした。
そのまま、歩き出し、扉を閉めた。
クリスは、この場に居たくなかったのだ。
クリスにとってナタリアとの婚約は義務的なものだった。
そこに、感情が関与していたわけじゃない。
けれども、一緒にいる時間は少なくなかったし、決して嫌いではなかった。
故に、少しばかり感傷的になったのである。
クリスは自室に戻ると、男物の服を着こみ、外に出かけた。
***
クリスは森に居た。
リリィ公爵領にある、名前をゲルブの森という。
そこで、クリスは犬鬼と戦っていた。
犬鬼とは小型の魔物だ。
人型の魔物としては最も小型な部類で八歳児程の大きさでしかない。
見た目は全身くまなく毛が生えており、まさにぱっと見たかんじでは犬のように見えなくもない。
「邪魔だ!」
近寄ってきた、一匹を蹴り飛ばす。
「ゲェエオ」
無様な声をあげながらそれは、胃の内容物をまき散らす。
次いで飛びかかってきた敵の頭を掴み、地面へと叩きつけた。
その上から心臓に両手剣を突き刺し、息の根を止めた。
肉から剣を抜き放ち勢いのまま、近くに居た一匹を切り払う。
「ギャッ」
短い悲鳴をあげて、それは足もとに転がった。
直後、木陰がら現れる新たな影。
ソレは左右からクリスに襲いかかる。
「ハァ!」
気合一声。
体を捻り、両手剣を全力で横に薙ぐ。
片方の腕を切り飛ばし、片方は鎧ごとその胴を切り裂いた。
クリスはたたらを踏むが、そのまま強引に両手剣を引き戻し、手が無くなり狼狽えていたソレを切り飛ばした。
辺りに散らばる、血と臓物。
クリスは一歩下がりそれを避けた。
けれども、背後より一匹が忍び寄る。
気づいた時には、すぐ背後に迫っていた。
「空気短剣!」
振り向きざまに、詠唱破棄。
裏拳の要領でそれを振るった。
「グェン」
ドン、という鈍い音ともに悲鳴。
そしてそれは倒れる。
同時にクリスの手に鈍い感触。
そして、虚無感。
辛うじて持ちこたえるが、それでも魔法を使った事を後悔した。
空気剣は無手の時によく使う、クリスの得意な魔法の一つである。
手のひらに空気の短剣を生み出すそれは、小回りの効く、近接用の魔法である。
今回は剣を振り回す隙がなかったので使ったのだが、魔法は生成されず。
単純な裏拳として、犬鬼へと直撃した。
まだ犬鬼だから、裏拳でどうにか成ったが、もう少し大きめの魔物などに成って来るとそうはいかない。
一瞬ひんやりとしたものが、クリスの背筋を這い上がった。
「ちっ」
魔法が使えない、とう事実にクリスは歯噛みする。
魔法とは、生活の一部である。
特に荒事を生業にする人間に取っては必須ともいえる。
故に常に訓練してきたというのに、クリスの中からそれは全て消え去った。
積み立ててきた己の力が否定される。
それは、クリスに虚無感とやり場のない憤りを与えていた。
裏拳で沈めた犬鬼を蹴飛ばし、呼吸を確かめる。
息があるのを確認すると、きっちりと両手剣で首をさした。
全てが終わった後には、そこには血の海ができていた。
下位の魔物。
犬鬼の討伐。
難易度でいえば高くはない。
けれども、機敏な動きの犬鬼は素人には中々御し難い敵である。
故に犬鬼を倒せれば、駆け出しの戦士として認められるくらいの功績だ。
だというのに、それをやった本人は浮かない顔だ。
「……はぁはぁ……くそっ」
呼吸を整えながらも、クリスは悪態をついた。
「体力も、力も、全部落ちてやがる……」
クリスは改めて理解する。
身体能力の低下。
腕試しを兼ねてやってきた、公爵家のゲルブの森の生体調査。
大型の魔物が発生しないように、小型の魔物を狩っていく。
言わば間引きであるこの作業。
男の時は笑ってこなせた。
犬鬼など、剣を抜く必要もありはしなかった。
魔法でなぎ払うか、身体強化をかけて殴りつける、それだけで十分妥当しえる相手であった。
だというのに、この体たらく。
剣を抜き、死に物狂いで戦って、僅か数匹の犬鬼に苦戦した。
女の体の弱さ、魔法を使えない、もどかしさ。
結果、数分の戦闘で息が上がってしまう。
敵は僅か数匹の犬鬼だというのに、この体たらく。
確かに犬鬼は駆け出し戦士ならば、十分な功績になるだろう。
けれどもクリスは違う。
騎士学校に三年通い、度々実践演習もこなしてきた。
技術も座学も、常に上位。
その辺の騎士団なら、引く手数多であろう程の成績で卒業したのだ。
さらに、実家の所有する白百合騎士団での英才教育。
任務補助、訓練への参加。
若くして実践慣れしたその実力は、決して現役の騎士にも遅れを取りはしない。
下位の犬鬼どころか、単独で中位の豚鬼や巨人蜘蛛、捕食鬼や、首なし騎士すら討伐した事がある。
クリスは十四という年齢を考えれば破格の戦闘力を保持していた。
だというに、たかだか犬鬼で苦戦するなど、本来有ってはならない事だった。
「くっそおおお」
腕試しに来たはずだった。
否、それは建前だ。
クリスは憂さ晴らしに来たのである。
けれども結果は芳しくない。
むしろ現実を知り、クリスは苛立ちを募らせた。
アーノルドの手前、騎士団に行くと言ったが、こんな状況では騎士団などやっていけるわけがない。
そうそうに死んでしまうのが落ちだろう。
或るいは、ずっと下働きなら生きていくこともできるだろう。
けれども、そんなものはクリスのプライドが許さない。
アーノルドも分かっているのだ。
クリスの攻撃的なその性質、プライドを。
だからこそ、あえて騎士団という選択肢を外す事はなかったのである。
「ふざけやがって!」
クリスの人生を歪めた、アーノルドに腹が立つ。
当然のように戻ってきたエンバスにも腹が立つ。
そして、それに賛同する姉たちも……解っていながら従うナタリアも。
けれども、それ以上に自分に腹が立つ。
何の力もない自分に腹が煮えくり返る。
クリスは夜空に向かい吼える。
「くそがっ! くそがっ! くそがっあああああああ!」
感情をむき出しにし、吐き出した。
ただ只管に罵倒した。
「ちっくしょぅ……」
そしてクリスは覚悟を決めた。
「強くなって……絶対に生き残る」
そう、誓った。
翼竜騎士団への入団、七日前の出来事である。




