八話 部族 族長の意思
改修
夜明けの太陽が眼に眩しい。
昨夜の騒がしさとは裏腹に、そこには静寂が満ちていた。
魔物たちが布陣していた場所の中心に、ユカラ達四人の土耳長がそこに居た。
蛇女の死体を見つめる、四人。
怒り、困惑、疑問、様々な表情でそれを見つめている。
ユカラがもうす少し詳しく調べようと、近づいて。
硬いソレ踏みつけて、拾い上げたところに、後ろから声がかかった。
「よう、この辺に俺の細剣落ちてなかったか?」
土耳長達が振り返る。
クリスが飄々とした態度でそこに立っていた。
細剣と言われ、己が手にあるソレを見るユカラ。
美しい銀の剣だ、刀身には傷一つ無く、それでいて剣先はとても鋭い。
本来なら持ちてに寄せるはずの重心が少しだけ、中心に寄っていた。
切合いもできるだろうが、他の用途も念頭に作られている気がする。
そう例えば、投擲とか。
「これの事か?」
「お、それだそれだ、ありがとう、もう使えないと思ったけど案外丈夫だなこいつ」
ユカラから細剣を受け取るとクリスは嬉しそうに細剣の調子を見る。
軽く叩いて、音を聞く。納得したように鞘へとしまった。
「お主なぜ……、ここに居るのだ? 地下に隠れてろと言っただろうに」
「なぜってほら、手伝い?」
今まで地面に挿していた、長槍を見せつけるように掲げるクリス。
瞬間、ユカラ以外三人の土耳長が殺気立ち、即座に得物を構えた。
ユカラも一瞬顔を顰めたが、すぐに他の三人を手で制す。
二人の土耳長は得物を下ろしたが一人だけ下ろさないのが居た。
「しかし、ユカラ様!」
エンファである。
アリシアに食べ物を持ってきた土耳長だ。
エンファはまるで狂犬のように牙をむき出しに、一時もクリスから眼を離さない。
「私がよいと言ってるいるのだ、エンファ」
ユカラが語気を強くしたのに、ようやくエンファは弓の構えを解いた。
それでも、いつでも弓を構えられるようにか矢は掴んだままだった。
「なにか気に障ったか?」
不思議そうに問いかけるクリス。
「何かしたかどうかは、これから確かめるのよ~?」
痩躯で短い投槍を持つ土耳長がクリスの手に持つ槍を見つめる。
「その槍は村の医者をしている、テリアさんの物なんだ。なぜ君が持っているのかな?」
小柄で短剣をもった土耳長が問いかける。
不思議に思っていたクリスだが、その言葉で気がついた。
奪ったかなにかと勘違いされた可能性もある。
改めて見てみたが、槍はそれなりに使い込まれていて、なかなか上質なものである。
それなら勘違いされても可笑しくない。
「武器が無くてな、流石に素手で魔物とやり合う気はないから、来る途中に借りたんだ。手伝いだと言ったろ?」
素直に答えたクリスだが、胡乱げな視線をぶつける四人の土耳長。
それもある意味、考えてみれば当然である。
憎き敵の死体があるところには知らぬ女が一人、しかも味方の武器をもっている。
道中にはまだ、魔物が居ただろう、そんな中を一人で来たと言う。
おまけに手伝いに来たと、怪しまない方がおかしいだろう。
「たく、信用しろよっほら」
面倒なのか、投げやりになったのか、クリスは再び槍を地面に刺した。
距離をとり、様子見る。
「シトリ」
ユカラは一人の名を呼んだ。
すると小さな土耳長が前にでて、その槍を引き抜いた。
槍の様子を確認する小さな土耳長。
持ち上げて端から検分する。
大事なものだったのだろうか、やけに丁寧である。
「刃先がこぼれてる……、何かと戦ったかな?」
「人鳥を何匹か……」
正直に説明するクリスだが、返ってそれは土耳長達の警戒心を煽ったようだ。
なぜなら、人鳥は飛翔するのだ。
飛べないものにとって飛べる相手というのは、絶対的に空間敵優位を取られる恐ろしい相手である、文字通り地の利が効かないのである。
正面切っての先頭こそ強い部類ではないが、集団での狩りや奇襲に関して人鳥の魔物としての脅威度は豚鬼程とはいかなくても人狼と同等程度には驚異である。
それを数匹、一人で、無傷で屠るというのは熟練の、少なくともこの村にいる土耳長の戦士でも難しい。
可能性があるとしたら弓など遠隔攻撃を備えている場合である。
そして人鳥を無傷で退ける程の遠隔攻撃というのは驚異に値する。
「ロッテ、あとでお姉さんに返しといて」
長槍を取り、背中に背負うロッテと呼ばれた土耳長。
「協力は感謝しよう」
ユカラは警戒しながらクリスを見る、実際服に細微な汚れはあれど怪我や出血、返り血といったようなものは見当たらない。
疲れたような顔でもない。
まるで散歩でもしているかのうような気軽な態度である。
「まぁ、大したことはない」
「しかしなぜ、ここにおぬしの細剣が落ちていたのだ?」
中半予想できているのか、ユカラはけれども確信もなく、けれど問いかけずにはいられないかった。
どのような事をしたら、蛇女がこの様な形で死に絶えるのか。
蛇女の皮膚は固く、頑丈だ。
人に見える上半身、一見柔らかくも見えるが、それは下半身の鱗よりも遥かに硬い。
世界樹と同等くらいはある。
事実、幾重もの戦闘で蛇女に傷を追わせる事ができたのは、ほんの数回。
下半身は上半身よりやわいとはいえ、その分再生もはやいのか、戦う度に前の傷は消えていた。
そして、この女が土耳長に手を貸す理由がない。
蛇女の死体を見て、その後クリスをみる。
問わずには居られなかった。
「お前がやったのか?」
その言葉に他の土耳長が驚愕した。
「そんな猿人如きにっ」
「えー」
「本当に?」
思い思いの言葉を吐きながら、クリスを睨む。
「ああ、一応な……? ユカラって言ったか? あんたが俺達に隠れろって言ったあと櫓に登ってな、そこからこいつを投げた」
そういうって腰の細剣を鞘の上からポンポンと叩く。
土耳長達は目を見開いて固まった。
「馬鹿な……。あそこからは千メートルはあるぞ? そんな距離から投擲だと……?」
ユカラとて中半予想はできていた、細剣の重心、人鳥を的確に倒せる技術、となれば相応の投擲技術が備わっていると、だがそれでも信じられるような事ではなかったのだ。人が豆粒に見えるような距離からの投擲で蛇女を無残にも爆散させるなど、理解の外の威力である。
「ちょこっと疲れたけどな」
不敵に笑うクリス。
その笑いが警戒心に拍車をかける。
「ふざけた事を抜かすとその首、貫くぞっ」
エンファは叫び、ユカラの前にでる。
怒りを顕に再び長弓を構え狙いをつける。
「エンファ、よい」
再びユカラに制され、エンファは悔しそうに弓を降ろした。
「私とて信じられんが、その細剣がここに落ちていたの理由も気になる、それにそいつを捕まえたときに確かに細剣を腰に指していたのを私は見ている」
ユカラはエンファを窘める。
エンファは肩を落とし、唇を噛んだ。
「嘘ではないんだがな?」
「話は村で聞こう、シトリ。蛇女の死体を運ばせよう、先に村へ行って報告を」
「了解っす」
言葉と共にシトリが駆け出す。
あっという間に見えなくなるシトリ。
「ほう」
クリスはその早さに思わず感嘆する。
速さだけなら平地の馬にも劣らない。
「早いもんだな」
ゆっくりと頷くユカラ。
「シトリ、あの娘は村で一番の瞬足でな、偵察や伝令の際には頼りになる」
――確かに、小さいのは目立たないしな。そうなるとアリシアもそういうのに向いているのか?
クリスはどこか場違いな事を考えていた。
「では私達も村へ向かう、お主もついてこい」
そう言って歩き出す三人。
頷き後に続くクリス。
千メートルなど目と鼻の先である。
十分と立たずに門へたどり着く四人に道中に会話はなかった。
エンファがクリスを警戒していて話しかけようとすると、弓を構えようとするのだ、流石にクリスも三回目には諦めた。
村に着くと、門には生き残りであろう土耳長が全員集合していた。
ユカラ達三人がつくと歓声をあげて迎え入れる。
入口でもみくちゃになっている三人を尻目に、クリスは目立たないように門の端の方から街の中に入った。
――時間がかかりそうだな。
「英雄の凱旋ってか?」
クリスが中へ入るとアリシアが小走りに駆け寄ってきた。
顔には疲労が浮かんでいるが、まだ元気そうである。
「クリス!」
「おつかれ、状況はどうだ?」
すぐさま尋ねると、アリシアはすぐさま話しだした。
「治せる人は粗方治しましたが、部位が欠損してる人は流石に……」
言葉を濁すアリシア。
アリシアの持つ癒やしの聖痕は他社の肉体的な怪我を治療する力を持つ。
その効力は、所謂回復魔法と呼ばれるものよりも性能が高い。
それでも部位欠損は治せないのだが。
「十分だ、それで戦士として使えそうなのは何人くらいいそうなんだ?」
「今帰ってきた人達を入れて、八十人って所ですね、半数は怪我で戦士としてはもう無理でしょう、残りは亡くなりました……」
二百人近く居た戦力が半分以下。
勝利を得たとしても、その代償は大きかった。
半壊以上、全滅未満。
少なくとも他にこの村に攻め入るものがあれば、すぐさま壊滅するだろう大きな痛手である。
「まぁ十分か……使えないのが四十人、仮に全員連れていくとしても給仕には多いな……神殿で受け入れはできるか?」
「可能です」
しかし、懸念を示すアリシア。
「彼女たちは素直に従ってくれますかね?」
「状況次第だろうが」
騎士団へに入隊を呼びかけたとしても、付いてきても全員ではないだろう。
思案しながらも話してみるさとクリスが言う。
しばらく二人が話していると、一人の女性が歩いてきた、手には布の掛かった網籠をもっている、クリスに長槍を貸した女だった。
「アリシアちゃん、そっちのこを紹介してほしいなぁ」
笑いながら近づいてくる女性。
しかし、よくみると顔が青く、眼にくまを作っている。
「テリアさん、もう大丈夫なんですか? 寝ていなくても?」
テリアと呼ばれた女は胸をぽんと叩いた。
「アリシアちゃんみたいな小いちゃな子ががんばってくれたのに、おねーさんが眠れるわけないでしょう」
そういってアリシアの頭を撫でるテリア。
アリシアは頬を若干膨らませているが、まんざらでもなさそうだ。
少しばかり機嫌が悪いものの、言葉通りクリスを紹介するアリシア。
「こっちは、クリスと言って、私と同じ聖騎士です」
「クリスだ、宜しく」
手を差し出すクリス。
「私はテリアよ、薬師なの。よろしくねー」
お互いに握手を交わす。
舐めまわすようにクリスを見つめるテリア。
見定めるような視線でクリスを射抜く。
槍を借りたときには気づかなかったが、なるほど薬臭い。
それに視線も学者や、医者、研究者特有のものであり。
若干ねっとりしている。
「借りた槍は妹さん? に渡してしまった、後で受け取ってくれないか?」
「ロッテに会ったのねん? 槍を貸したときはツンツンしててごめんなさいねー、余裕がなかったのん」
「戦場での医療などそんなものだ、気にするな」
そう言って、笑うクリス。
「それでロッテに会ったということは、一緒に居た他の三人も無事だったのねん?」
「門前でもみくちゃにされているよ」
騒ぎのほうを指で示す。
「あそこかー」
門前を確認するテリア。
「挨拶は後にしとくわん」
人の多さに諦めたのか、再びアリシアに向き直る。
「お腹すいてない? アリシアちゃんのおかげで怪我人も大分減ったし、一緒にご飯食べましょう、もちろんクリスちゃんもー」
「ありがたい」
申し出を受けるクリスとアリシア。
「ジャーン」
籠をにかかっている布を外すテリア。
中にはトウモロコシの粉練焼となにか赤いソースの瓶が目に入る。
食欲をそそる、いい匂いが漂ってくる。
匂いに触発されたのか、アリシアの腹がくぅと音を鳴らす。
クリスは笑い、テリアも「あらあら」と微笑んだ。
顔を赤くしながらも、アリシアは「早く食べましょう」と急かす。
さすがに戦場で、食べるのはどうかと思う場所を移動する。
クリスとアリシアが捕まっていた広場まで歩いてきた。
丸太に腰掛けると鞄から小さな三脚とヤカンと杯を取り出すクリス。
「飯の礼というわけではないが、茶でもいれよう、水はあるか?」
「もちろんあるわよー」
腰につけた革袋をクリスに渡す、テリア。
クリスは薬缶に革袋から水をそそぎ、火を付け、湯を沸かしはじめた。
そわそわとするアリシア。
「昨日作ったお茶がまだ残っててな……」
「へぇ、手作りなのん?」
興味を持つテリア。
「ああ、世界樹の葉から作ってな、これがなかなか旨いし、体に良い……と思う」
最後は小さく呟いたクリス。
「お~」
感嘆の声をあげるテリア。
「うちの村でも作っているのー、でも崖下までいかないといけないから中々のめないのん」
嬉しいのだろう、テリアは目を輝かせた。
「そうかそうか、もう少し待ってな、飯のお供にしよう」
「それがいいの」
微笑んでいるテリア。
そわそわするアリシア。
「そういえば、その瓶のソースの中身は何なんだ?」
「これは、唐辛子ソースなの、とっても辛いけど食欲増進にいいし、体がポカポカするから、冬なんかは重宝するのん」
「ほほう」
感心するクリス。
辛い物や味の濃いもの体を温める。
寒い地方でほぼ必須である。
山の民の知恵である。
ソワソワしてるアリシア。
「トウモロコシの粉練焼に辛いソースか、なかなかうまそうだな? なぁアリシア?」
「そうですね」
アリシアは心なしか力なさげに答える。
「そろそろ沸いたかな?」
薬缶を火から下ろし、お茶の葉を入れるクリス。
少し蒸らして、三つの杯に注いでいく。
「とっとっと、そら準備できたぞ、食べようか?」
「はい!」
途端に元気になるアリシアに苦笑しつつ、お茶を配るクリス。
テリアは粉練焼にソースを塗ってくれていた。
「すまないな」
「お互い様なの」
テリアに渡された粉練焼に待ちわびたとばかりに被りつくアリシア。
「美味しい! ……ちょっと辛いけど、でもおいし……」
けれども、二口目をかじった瞬間アリシアが固まった。
だらだらと冷や汗を長し始める……。
「か、か、か……」
烏の鳴き真似か、一瞬思う。
「からいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ」
アリシアは吠えた。
「そんなに一度に口にいれるからだ」
呆れ顔でお茶を渡してやるクリス。
「あっつ、お茶あっつい!」
沸かしたてである、熱いに決まってる。
涙目になるアリシア。
「ほらフーフーしなフーフー」
「ふーっふーっ」
子供にやるように、クリスが息を吹きかけるように言うと、アリシアは必死にお茶を冷ますように息を吹きかける。
「ブフーっ」
その光景にテリアが堪え切れず吹き出した。
「二人って姉妹、親子? 私も妹がいるからクリスちゃんの気持ちわかるわん」
微笑むテリアだが、反対にアリシアが硬直する。
――私が妹なの?!
アリシアの中ではお姉さん的立ち位置は自分だったのである。
色んな意味で衝撃の事実である。
「いや、姉妹でも親子はないよ、髪と眼が同じ色なのは事情があってな、というかアリシアのほうが確か二つばかり年上だったかな?」
笑うクリスとは対照的に目を見開く、アリシアとテリア。
再びの沈黙を醸し出す。
―ーえっ? クリス年下?!
――アリシアちゃんのが年上なんだ?
「ちなみにいくつなのん?」
「俺が十八でアリシアが二十だったかなぁ?」
――十八のクリスより若く見られた、つまり子供っぽいってこと?
――二十だと?! このゆるふわ可愛い物体が?
二人とも別の意味で衝撃を受けて固まっている。
そんな二人を尻目に、そんなに辛いのか? と自分の分の粉練焼を一齧りするクリス。
「ほう、これはなかなか、辛味が後からくるな、だが悪くない」
パクパクとあっという間に一つ平らげる。
お茶をすするクリス。
一息つく。
ふと周りを見回すと二人はまだ固まっていた。
「どうした? 食べないのか?」
ハッと我に帰る二人。
「食べますとも!」
言いながらまた大口でかぶりつくアリシア、再び動きが止まっている。
「学習しろよ」
クリスは再びお茶を差し出していた。
見ればロッテもパクパクと食べている。
食事は和気あいあいとすすむ。
ある程度食べ終え、クリスがお茶をすすっているとふと背後に人の気配を感じ取る。
「あんたも食べるかい?」
後ろにはユカラが立っていた。
「おぬしは一応、捕まっていたという自覚はないのか?」
非難の目でクリスを見つめるユカラ。
「食事に誘ったのは向こうだがな……?」
テリアを顎で示すクリス。
「テリア殿……」
ユカラも視線をそちらに向けるとテリアがユカラに気づいた。
「あらん? ユカラ様じゃない。どうしたのん?」
いや……と口ごもるユカラ、どうやら言いにくいようだ。
「一応彼女らはまだ調べが済んでいないので、自由にさせるわけには行かないのだが……」
わかってくれないか? という目でテリアをみるユカラ。
「彼女、アリシアちゃんは恩人よん。怪我人を何人も救ってくれたんだから、そんな恩人を信じられないっていうのん?」
「いやその……」
テリアのもっともな言葉に口ごもるユカラ。
どうやらテリアには頭が上がらないようだ。
医者や薬師に頭が上がらないのは万国共通である。
「アリシアが怪我人の治療に尽力してくれた事はこちらも伝え聞いている、人柄についても問題ないだろうと結論はでた、あらためて礼を言う、有難う」
「いえ、当然の事です」
誇らしげに言うアリシア。
だがと言葉を区切り、急に鋭い目つきになりにクリスをみるユカラ。
「おぬし……、名前は?」
「クリスだ」
「クリスについては、悪いがまだ話を聞きたい事もある、一緒に来てもらってもよろしいだろうか?」
「構わない」
アリシアがついていこうとするが、それを手で制した。
「いいから、ゆっくり昼を食べてるといい、俺からも話すことがあったしな」
問題ないと、微笑むクリス。
「では付いて来い」
「そう急ぐな」
言いながら付いていくクリス。
テリアとアリシアは心配そうに二人を見送った。
***
二人が到着したのは、一軒の小さな家だった。
中に入ると、木でできた簡素な家具が置いてあるだけの、質素な部屋のみである。
「こっちだ」
ユカラが地面にある石版を槍斧の柄でコツコツコツと三度叩く、と石版が消えた。
――なんか見たこと有るな。
クリスは顔を顰めた。
「どうした? 変な顔をして、初めて見るのか?」
「前にちょっとな」
「そうか」
聞きながらもさほど関心はないのか、壁に埋め込まれた何か細い筒状の物に声をだすユカラ。
何本か束になっており、番号が振られている、そのうち一番というものに声をだしているようだ。
「私だ、例の奴を連れてきた。部屋の用意はできているか?」
「問題ありません」
細い筒状のものから声が帰ってきた。
どうやら伝声管のようである。
石版の先には階段があり、奥に続いている。
付いて来いと先に降りるユカラ、続いて降りるクリス。
降りたさきは地下あというのにさほど、暗いとうほどではなかった。
しかし明るいというわけでもない、天井が僅かに光を発しているからして、天井に何か光量を取り入れる細工があるのかもしれない。
そこは道が交差し、あちらこちらに向けて狭い坑道が伸びていた。
「地下街か?」
「うむ、私達の村は冬には雪で覆われてしまうのでな、冬はここで過ごすのだ、避難所も兼ねている」
なんとも大仰な話である、平地暮らしのクリスには理解できない代物だった。
それほど雪が積もるのだろう。
騎士としてあちこちに行った事のあるクリスだがこれほど大掛かりな地下街は初めて見た。
「こっちだ」
歩を進めるユカラ、段々と奥まったところに進んでいく。
時折質問をしながらクリスはユカラについていった。
村の事をとわれるとユカラは自分の事のように嬉しそうに話す。
街が好きなんだなとクリスは思う。
「ついたぞ」
大きな扉の前につく二人。
扉には耳長は長弓と短剣を土人が大剣と鎚を鬼人が爪と棍棒を翼人が短弓と突撃槍を水人は三叉と鞭とそれぞれ手にもち中央で武器を重ねている彫刻が施されている、他にも知らぬ部族や耳長の派生の黒耳長や翼人の派生の天使なども描かれている。
「荘厳な扉だな……土人製か?」
「うむ、我らの祖先がお作りになられたものだ、お主らのいう所の亜人五部族が集まり、猿人に挑む前の決起集会を掘ったものらしい」
扉の脇に向かうユカラ。
「開けろ」
ユカラがまた伝声管に声をかけた。
すると大きな扉の横の通用口が開いた。
通用口を過ぎて、クリスの目の前に広がったのは闘技場だった。
半径二十メートルはあろうかという円形の台に、囲むように高さ一メートルほどの網目の柵が貼り回らされており、周りは傾らかな斜面が階段型に彫り込まれている。
階段にはすでに待機していたのか、エンファ、ロッテ、シトリの三人を含む、土耳長が二十名ほど各々得物を準備し座っていた。
ロッテとシトリ以外は物々しい雰囲気でクリスを睨みつけている。
エンファに関してはもし視線で人が殺せるなら、百人は殺せそうな形相をしている。
――俺なんかしたかな?
クリスは首を傾げて考えたが、結局思いつくものもなかった。
「本来、こんな事をしなくてもいいのだがな……事が事だけにな? 私と戦ってもらおうかクリス」
「なんでそうなるんだ?」
「蛇女を倒したのはおぬしなのだろう?」
クリスは頷く。
「倒したっていうか投擲したっていうか、まぁ殺したのは俺だけども」
「その距離、確か千メートル弱、その距離の投擲など誰も信じはしないのよ、私も含めてな……。だが蛇女が死んでいたのもまた事実、あそこにお主の細剣が落ちていたのも事実、ならば確認するしかなかろう?」
興奮しているのか、ユカラの言葉が段々と早く、甲高いものになっていく。
「投擲を見せればいんじゃないのか?」
「私もそれで構わんと言ったんだが、しかしだ、蛇女の死ぬところは誰も見ていない、あっさり我らに捕まるような猿人の小娘にやれるはずがないとな、一部じゃ名声欲しさに騙りをしていると言うものも居る」
「心外だな……信じるために強さを見せろとかそういう話か?」
「話が早いな」
「別に信じてもらわなくても俺はいいんだが」
その言葉に騒めく土耳長達。
「ではなぜ、蛇女を倒したのですか? 名声欲しさでないのならなぜ?」
闘技場の中のほうから声があがった、あの時、門前で土耳長の遺体を渡した門番だった。
「まだそやつが倒したと決まったわけではないだろ?」
他の土耳長が門番に問う。
「私はそいつが、蛇女を倒したというのは嘘ではないと思う、門前でそいつは鳥人を二十匹近く、瞬く間に屠っていた」
辺りが騒めき、門番が質問攻めにあっている。
「なるほど、あの時口にしたのは嘘ではないということか」
それを見てユカラがニヤリと嗤う。
「それで、なぜ蛇女を殺したのだ。お主は人助けなどをするような高尚な性格ではあるまいよ? かと言って我欲を求めるほどに腐っているわけでもなさそうだ、しかし、我らをほっといて逃げる事もできたはずなのにわざわざ蛇女を殺した。つまり我らに死んで欲しくない理由が何かあった、違うか?」
クリスを問い詰めるユカラ。
――もう少し様子を観ようと思ったんだがな。
「概ねその通りだよ、別に隠すことでもないしな」
クリスあっけらかんと答えた。
「理由は教えてくれるのだろうな?」
「そうだな……俺は、現エフレディア王国が王妃エフレディア・フランシス様の命により、女だけの騎士団を作ることになった。ここには女性だけの集落があると聞いて、人員の確保に来た」
再び騒めく、土耳長達。
「酔狂な王妃も居たものだ、女では男には敵うまいて……」
「確かに我らは幾重もの戦闘により鍛えられてきた、其の辺の猿人が男などいくら魔法を使おうとも殺せるだろう、しかしいいのか? 我らは猿人に牙を向いたが故にこの地に根を下ろしたわけだが?」
ユカラは力強い眼差しでクリスを見つめている。
「猿人の寿命は短くてな、お前らの何分の一だと思ってる? もうその頃に生きてたやつなんか生きちゃいねーのよ、それに歴史に埋もれた事実なんて邪魔にしかならん」
クリスはくだらないとばかりに吐き捨てた。
「我らが猿人を恨んでるとは思わぬのか?」
ユカラは確かめるようにクリスに問う。
「騎士団に入る人数次第では、この集落くらいの人ならもっと暮らしやすい土地を用意することも可能だ」
一瞬目を見開くユカラ、土耳長達にさらにざわめきが訪れる。
「面白い答えだが、私の質問の答えになっておらぬと思わんか?」
「……時代は変わった、過去に捕らわれて未来を見れないようなら、いずれこの部族も滅ぶだろうよ」
クリスは当然の事のように言い切った。
ユカラも苦虫を噛み潰したような顔になった。
理解していたのだろう、此度の被害の大きさは下手をすると村全体が生活すら困難になるような被害である。
となれば、そこに残るのは破滅だ。
「ここに残れば、われらが滅ぶと言うのか?」
投げかけるように、けれども真摯にユカラは問いかけた。
「ああ滅ぶよ」
即断。
そこに感情はなく事実を事実として告げられた。
そう理解してユカラは唇を噛み締めた。
「そして我らに何を求める?」
「俺の作る騎士団に入れ、そうすれば一族の未来は開けるだろう」
「なんと不遜なことようのう」
ユカラは目を見開いたかと思うと呆れた顔をし、手で口を抑えクククと押し殺したように笑う。
「ならばなおの事お主は私と戦うのだ、クリス。我らは弱き者には従わぬ。力の弱い魔法の使えぬ女ばかりだからこそ、力にこそ従おう、我らはそうやって今まで生きてきた」
ユカラはそう言うと中央へ歩き出す。
「舞台にあがるのだクリス、私を倒せる事ができれば全員お前に従おう」
またも騒めく周り。
「お前の一任で決まるものなのか?」
「……前族長は先ほど息を引き取られた……部族の掟に従い、今日から、いや先程から私が族長だ!」
ユカラは何処か悲しみのこもった瞳で喋る。
しかし、先ほどというなら、本来なら今時分、死者へ手向けをしているべきではないのだろうか。
特に族長なら、盛大に行われてもおかしくはないのだが。
「供養はしなくていいのか……?」
「……私は、仇を取れなかったんだ」
仇というのなら蛇女の事だろう、確かにクリスが倒してしまえば、仇は打てない。
「そんな私に、死者に手向ける言葉があると思うか?」
ユカラ少しだけ寂しそうに口ごもる。
流石にクリスにもかける言葉が思いつかなかった。
「蛇女を倒したお主を、誰も攻めはせぬ、礼も言おう、だが!」
ユカラの口調が段々と荒くなる。
思いの丈は吐き続けた。
「仇はせめて己の手でと思うのは当然の事だと思わぬか? 皆も、私だって本当はわかっている、お主と戦う必要などない! これはただの八つ当たりだと!」
ユカラは一拍おいて、続ける。
「だが、だからこそ、戦ってはくれないだろうか? お主が蛇女を倒したというなら、理解はできる。だが、納得ができるのとは話が違うのだ!」
「仕方ないな……」
そう言うとクリスは一足飛びに舞台へと飛び乗った。
そこまで言われてしまえば、クリスとて断りはしない。
何より、これほどの激情貯めこむべきではない、クリスはそう思った。
そしてこれ受けなければ、土耳長は納得しないだろうとも。
「悪いが手加減はせぬぞ!」
ユカラはその白い槍斧を構えた。
「間違って死んでも恨むなよ?」
軽口を叩くクリス。
そして、蛇女を貫いた細剣を引き抜いた。
改修