一話 公爵家 前
ぽちぽち。
「成っていませんわ。さぁ、もう一度、ワン、ツー、ワン、ツー」
高い女の声が響き渡る。
良く言えば自信に溢れた。
悪く言えば高慢な口調である。
言い放った女性は、仁王立ちで胸を強調するような形で手を組んでいた。
右手には扇子を持っている。
髪は金で左右に一個ずつの縦ロール。
青いドレスをを着込んだ女性である。
「ナタリア様……自分はなぜダンスの練習などしているのでしょうか?」
不満の声をあげるのはクリス。
白いドレスを着せられて、ダンスの不格好な形で踊っていた。
「それは、女の子として最低限の教養を学ぶためです」
堂々と言い放たれる言葉に、クリスは気落ちする。
「いえ、結局しばらくすれば騎士団に入るのですから、本当の意味での最低限で構わないのですが……」
「いいえ、殿方を誘惑する仕草から、笑い方、閨への誘い方まで、十日でみっちり仕込んであげますわ」
「必要皆無ですが……」
げんなりとした表情でクリスは拒否する。
「甘いですわ!」
ズビシッ! とナタリアは扇子をクリスの胸元につきだした。
「殿方の気に入る仕草を知るという事は、気に入らない仕草を知るという事と同義なのです」
鼻息荒く、クリスへと近づいた。
「そして、殿方の気に入る仕草というものはダンスに集約されています、さぁもう一度!」
「あ、はい」
クリスは勢いに押され、つい頷いてしまう。
――どうしてこうなった。
クリスは漠然と昨日の事を思い出した。
***
武具庫の奥に隠されていた、謎の水晶。
起動してみれば、それはクリスの姿を女へと変えてしまったのである。
「これ……俺か?」
叫んで落ち着いたあと、マジマジと水晶を覗き見る。
反射して映る顔は、父親に似た男くさい顔ではない。
美しく可憐な女性の顔だった。
「性転換? にしては似てない母上にも父上にも似てないような……義母上に少し似てるか? でもどっかで見たような……」
その時だった、コツンコツンと足音が響く。
ソレは段々と地下へと近づいてきた。
「なんて説明するべきか……」
クリスは考えるが、考える前にそれは地下へと到達してしまう。
「そこに誰が居る?」
声をかけてきたのは、父であるアーノルドだった。
「誰が居ると聞いている」
「自分です、クリスです」
アーノルドはクリスの顔をみると、その顔を驚愕に染めた。
「クリス……だと、その姿まさか!」
アーノルドはクリスの脇を走り去り、水晶に駆け寄った。
「身代わりの依代を発動させたのか……」
「身代わりの依代?」
「お前をその姿にした魔法道具の名前だ」
「身代わりの依代……どのような効果なのですか?」
「公爵家に建国当時から伝わる、魔法道具だ……その効果は初代王妃、エリザベート・エフレディアに変身する魔法を授けるというものだ」
「初代王妃に変身……身代わりの依代……まさか」
二つの言葉から連想されるのは一つの結果。
「そうだ、建国当初、王妃が命を狙われる事はまま合った。故に王妃には影武者が必要だった。けれども王妃程の美貌を持つものなどそうはいない。故にそれが作られたと私は聞いている……」
王妃の影武者を作るためだけの魔法道具。
「王宮の壁掲げられている初代王妃の姿絵を見た事くらいあるだろう。今お前まさに、その姿なのだ」
どこかで見たことがあるというクリスの感想は正しかった。
しかし、それが王宮とは思いもしなかったのか、クリスは眼を丸くした。
「しかし、これは魔法を授ける魔法道具なのですよね? でしたら解呪方法を教えて頂きたいのですが」
「そんなものはない」
「はい?」
「その魔法はあくまで魔法である、つまりそれは魔法によって解くしか方法はない。だがお前とて、知っているだろう? 女は魔法など使えぬのだ。初代王妃。王妃とは王の妃だ。つまり女だ。女に変身したのだから、そもそも魔法を使えぬ女ようの解呪方法など有りはしない。そして、例え解呪方法があっても女は魔法を使えぬが故に使えない」
アーノルドの言葉にクリスは目の前が真っ暗になった。
――嘘だろ。
だがしかし、アーノルドは嘘を付いているようには見えなかった。
「クリスよ、選ぶがいい。公爵家の末娘として嫁に出るか、それともそのままの姿で騎士団に入るか」
面白いのだろう。
そう言ってアーノルドは酷薄は笑みを浮かべた。
アーノルドはクリスの事が目障りなのだ。
本来クリスは妾ですらない、行きずり相手の子である。
昔は公爵家などという身分ではなく十の時まで実家である商家で育ってきた。
クリスが十になった頃、公爵家の長男であるエンバスが行方をくらました。
そのため、クリスに白羽の矢がたち、次期当主として迎え入れられた。
当然正妻からの受けはよくない。
当然だ、自分の子を差し置い行き成り公爵の座を横からかっさらわれたようなものなのだから。
おかげで、正妻とアーノルドの夫婦間の仲はすこぶる悪い。
正妻やその娘達に辛く当たられ、それでも次期党首としてクリスは教育を受けてきた。
クリスは今年で十四歳、三年せいの騎士学校も卒業した。
本来ならそのまま、リリィ公爵領白百合騎士団に入団するはずだったのである。
けれども最近、エンバスは戻ってきたのである。
それからは綺麗なほどの手のひら返しだった。
唯一救いなのは、使用人やエンバス本人がクリスの境遇に同情的な事である。
直接命を狙われないだけまだマシであった。
とはいえ、アーノルドのだしたその選択肢はどちらも間違って居なかった。
嫁に出されれば、それは公爵家の出である。
爵位が下がろうと死ぬまで良い生活は保証されているようなものである。
だが、それだけだ。
男の相手をするのは真平ごめんだし、引きこもってるのも性に合わない。
クリスは幼い頃、商人を目指していた、当然だ、商人の子供なのだから。
けれども、リリィ家に来て騎士を強制された、貴族の泊つけのためにだ。
いずれ公爵になるのだ、と大きな目標へ向けて、納得はせずとも理解して、クリスは騎士学校に入学した。
苦労し、騎士を目指すのも悪くない、そんな風に思い始めた所だった。
兄が見つかり、大きなその目標さえも消え失せた。
自分の将来が変わってしまう。
残された道は公爵家の次男として道だけだった。
他家に婿として入るか、独立するかだ。
貴族という性は商家に戻り、商売をするのは許されない。
二度、他人によって変えられた自分の運命。
そして今、三度めの変換気。
他人のせいで歪んだクリスの人生。
故に、クリスは自分の人生を歪めたアーノルドとエンバスを恨んでいた。
けれども、二人を恨んでいたからこそ、例えそれが不可抗力だとしても。
自分のせいで自分の運命が歪むのは耐えられなかった。
「騎士団に入ります……」
絞り出されたクリスの言葉。
「いいのか? 知っている騎士団だ。便宜は図ってやろう。だが魔法を使えぬ身で苦労も多いぞ」
「構いませぬ、武功を立てて参ります……」
クリスの意地をかけた言葉だった。
必ず、男に戻り、騎士として生き抜いてみせる。
そんな、思いが込められていた。
「そうか、その身で何処までできるかは知らぬが期待している」
「ハッ」
「身の回りはナタリア・ローズマリー嬢に任せよう、あの娘はこの魔法を知っているからな」
「ナタリーに……」
クリスの脳裏に浮かぶのは、懐かしい女の顔。
ローズ公爵家の傍流にあたる、ローズマリー候爵家。
代々女傑を輩出する名家である。
「ナタリア様だ……もうお前の婚約者ではない、エンバスの婚約者だ」
「申し訳ありません……」
***
「こしが引けてますわよ!」
ナタリアは次期公爵家当主の妻。
封印されていた魔法を知っていても可笑しくはないのである。
だが、それなら現公爵夫人でもいいのだが、元婚約者であるナタリアを付ける当たり、アーノルドの性格が歪んでるのがよく分かる。
元婚約者である彼女に女性として手取り足取り教えてもらうクリスの内心はとても複雑だ。
そんなクリスの心を知ってか知らずか、ナタリアは次々とクリス女性としての常識を仕込んでいくのである。
「今日はここまでにしましょう、上の空では意味がありませんわ」
パシッと、扇子を手の平で受け止めて、ナタリアは不満気に漏らした。
「申し訳ございません、ナタリア様」
クリスの謝罪。
けれどもナタリアは尚更、機嫌を悪くした。
「昔のように、ナタリーとお呼びくださっていいのですよ?」
「そういうわけには参りません、自分はもう婚約者ではないのですから……」
「連れないのですね、折角女の子になったのだもの、今度は友達としてナタリーと呼んで欲しいですわ」
「そういう意味であるのなら、尚更勘弁して欲しいのですが……」
「口調も、いつものようにぶっきら棒で構いませんのよ? あなたに敬語を使われるとむず痒くて……」
「申し訳ありませんが、出来かねます」
クリスは即答する。
「そういう変な所だけは堅苦しいですわね、貴方……」
そう言うとナタリアは椅子に腰掛けベルを鳴らした。
即座に侍従達が、お茶の準備をしはじめた。
「次はお茶会の作法ですわ」
「本日は終わりではなかったのですか?」
「ダンスは終わりです、淑女にとってお茶会の作法など気晴らしのようなものでしょう」
当然のことのように言うナタリアに、クリスの顔は引きつった。
その時だった、侍従がナタリアに耳打ちをした。
「あら、それはちょうどいいわね。お連れして。一緒にお茶にしましょう……ささクリス様もお座りになって」
「はぁ……?」
クリスは言われるままに席につく。
すぐさま紅茶が注がれた。
「お砂糖はお幾つお入れしましょうか?」
「無しで良い」
侍従の言葉におざなりに反応し、紅茶を口にした。
疲れていたのか、水分が喉に心地よい。
ふと扉を叩く音。
侍従が出迎えた。
すると、扉を開けてやってきたのは、白い騎士服を来た男。
クリスの兄である、エンバス・リリィを筆頭に。
黒いドレスの長女、サークトレア・ガーベラ。
緑色のドレスの次女、レヴァヌス・フリージア。
そして、乗馬服を来た、三女セシリア・リリィである。
「ぶっ」
思わず紅茶を吹き出しそうになったクリスは悪く無いだろう。
なぜこのタイミングで揃ったのか理解できない。
長男であるエンバスは地竜騎士団員として働いているし。
長女と次女はすでに嫁いで家名すら違うのだ。
三女に関しても今は王宮で侍女として働いているはずなのだが。
リリィ家、子供大集合である。




